第一章

6 - 中学校

 入学式の日のことはよく覚えている。春にしてはめずらしく雲ひとつ無い快晴。寒さは和らいで、かといって暑くもなく、清々しいくらいに心地良い天気だった。

 当日の朝、りんは七時くらいにメッセージを送ってきた。


『いよいよ入学式だねー!!!』

「やっと会えるね」

『楽しみ!』


 その後に送られてきた、うきうきと楽しそうに踊るテディベアのスタンプから、私よりも楽しみにしているりんの姿がありありと目に浮かぶ。りんも部活動と新入生勧誘のために学校に出てくるので、入学式とホームルームが終わった後に会う約束をした。その時に学校を案内したいとりんが言ってくれて、私は喜んでその提案を受け入れた。そうすれば、中学校初日からりんと一緒にいられるから。

 手のひらが隠れるぶかぶかな制服に袖を通し、お母さんと一緒に初めての通学路を歩く。私の制服姿は入学式の後に会って目にするまで内緒にする約束で、りんには写真も見せていなかった。


 はじめて中学校に来てまず感じたのは、敷地の広さ。正門から校舎までに広い敷地があり、駐車場や駐輪場の他に、日時計が設置されていたり、お花が植えてある庭園のようなものも見えた。校舎は小学校と階数こそ同じ三階建てだけど、教室数が多いのか、全体的に一回り大きく見える。

 正面玄関までたどり着くと、新入生のクラス分けを掲示している看板の前に人だかりができていた。私もその中に混じって、自分のクラスを確認する。一年生は三クラスあって、私は一年三組だった。

 入学式のために体育館へ向かう親とはここで別れて、私は教室へ向かうために昇降口に入る。自分の名前が書かれたロッカーを見つけて、靴を脱ぎ、真新しくて不自然に白い上靴に履き替えた。上靴の先、ゴム部分の色は学年によって違う。私たち一年生は赤色。この色は三年間変わらないから、来年は二年生、再来年は三年生が赤色になる。ちなみに、今、りんたち二年生は青色で、三年生は緑色。これは全部りんが事前に教えてくれていた。

 履き慣れていない上靴で、階段を踏みしめるようにゆっくりのぼりながら、三階にある自分の教室へと向かう。一年三組は廊下の一番奥にある。廊下に漏れ出ていたガヤガヤとした賑やかな声は、教室の中に入ると一気にボリュームアップして私にぶつかった。


「あっ、ユキじゃん!」


 たくさんの見慣れない生徒で混沌とした教室の中、真ん中あたりで喋っていた女の子に名前を呼ばれた。


千夏ちなつ!」


 まわりの喧噪にかき消されないよう、私も大声で名前を呼んだ。小学五年生の頃に同じクラスでそこそこ仲が良かった、同級生の千夏。私と同じように、千夏も少し大きめの制服で身を包んでいた。

 私は人混みの中で目印を見つけたように、まっすぐ千夏のもとへと歩いていく。


「久しぶり。同じクラスだったんだ」

「ね! 亜季あきは隣のクラスだってさ」

紗代さよは?」

「紗代は受験組、橘中たちばなちゅう。お金持ちだしアイツんとこ。なんか高校も一緒にあるすっごいでっかい学校らしいよ」

「なんかわかる。紗代っぽい。会いたかったなあ」

「ねー、また三人で遊びたい」


 あらためて教室を見回してみると、話したことはないけれども、小学校で見かけたことがある顔ぶれも何人かいることに気付く。それもそうだ。校区の範囲から考えて、受験組でなければ私の小学校の三分の一くらいの生徒はこの公立中学校に入学していることになる。少なくとも、顔見知りが誰もいない中に一人で放り出されたわけではないことがわかり、少しだけ肩の力が抜けた。


「ユキ、頭いいし私立受けるんだと思ってた」

「私立はお金かかるから。歩いて通えるほうが楽だし」

「だよねー。あっ、この子、結花ゆいかちゃん。いま仲良くなった」

「はじめまして~」

「えっと、春菜ユキです」

「ユキはね、真面目ちゃんなの」

「その言い方やめてよ」

「えー、でもすごい賢そう!」


 そうやって千夏とか初めて会った子と話しているうちに先生が教室に入ってきた。もちろん初めて見る顔で、この先一年間、私たちのクラスの担任になる先生。教卓に立った先生が大声で座るように促すと、みんな名残惜しそうに会話の輪を解散し、名前順で席に着いた。「はるな」はちょうど教室の真ん中あたり。まわりは知らない子たちに囲まれていて、少しだけ身体が強張る。

 先生の話を聞きながら、もう一度教室を見回した。小学校の時より少しだけ広い教室、少しだけ大きい黒板、少しだけ大きい机。世界全体がほんのわずかに大きくなったような、もしくは自分がほんの少し小さくなったような気分。前の席から回されてくるプリントを一枚とって後ろに回しながら、静かに深く息を吸う。教室はまだ、私が慣れていない新鮮なにおいがする。

 入学式の流れを先生が一通り説明し終えると、みんな座ったまま、教室はまたにわかに騒がしくなった。数分ほどして体育館への移動を促す校内放送があり、全員で廊下に出て二列で並んだあと、一階に降りて、渡り廊下から体育館へ移動する。まわりはとくに知り合いも居なかったので、私はみんなと足並みをそろえて体育館へと進みながら、校舎全体の雰囲気とか、渡り廊下から見える青空とか、グラウンド脇の桜並木を見ていた。


 入学式自体は、小学校の時とそんなに変わらなかった、と思う。青緑色のシートが敷かれた上にパイプ椅子が並んでいて、後ろの方にはお父さんとお母さん、あと吹奏楽部の上級生が座って見守っている。そんなちょっと特別な空気感の中で、校歌を歌うフリをして、校長先生の長い話を聞いて(たぶん十分くらいだったんだろうけど、聞いている時は二時間くらいに感じた)、祝辞や新入生代表の挨拶があって、また教室に戻る。それだけだった。


 体育館と校舎は少し離れたところに建てられていて、外を通る渡り廊下でつながっている。教室に向けて、他の新入生たちと一緒にぞろぞろと渡り廊下を歩いている時、私はふと空を見上げた。渡り廊下の屋根の向こう、あまりにも澄んでいる春の青空に見惚れてしまう。

 空から校舎の方へと目を向けると、二階の窓から身を乗り出してこちらを見下ろしている人を見つけた。私たちと同じセーラー服。春風に優しく撫でられてふわふわと揺れるショートヘア。

 幼いころからずっと変わらない、大きくて丸い瞳と視線が交わる。

 私は無意識に、そっと、ほんの少しだけ左手を上げた。他の新入生もいる中で、あまりはしゃいで目立ちたくないから。そしたら鏡みたいに、こちらを見下ろしていたりんも控えめに右手を上げる。りんの表情は堪えきれずあふれ出したような笑顔に満ちて、頬は春の陽気でほのかに赤く染まっていた。そんなりんの顔を見て、私の口角も思わず緩んだ。


 新しいものばかりの中学校の中で見つけた、すっかり見慣れているはずの幼馴染の姿に、私は胸が高鳴るのを感じていた。

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