4 - 制服
りんが小学校の卒業を迎える少し前、ファーストキスの次に鮮明に残っている記憶がある。それは、りんの中学校の制服を買いに行った時のこと。
りんとりんのお母さんが制服を買いに行くとなった時に、なぜか私もついて行くことになった。ハッキリとした理由は覚えていない。たぶん、お母さんに「来年はあなたも着るんだから、先に勉強させてもらいなさい」と言われたとか、その程度の大したことない理由だったと思う。
家から歩いて十五分ほどのところにある、地元の商店街。その商店街の奥の方、あまり
りんと私が行くことになる中学校の制服は紺色のセーラー服で、襟には三本の白い線が入っていた。三角スカーフの色は無難な青色。とくに可愛くもダサくもない(りんは後でダサいと言っていた)ありきたりなデザイン。それでも、ビニール袋の中に入れられた真新しい制服は、小学生の私たちから見ると高級な宝飾品のように特別な空気を漂わせていた。
その特別感は、りんが試着をした時にもっと鮮明になった。
制服を身に着けて試着室から出てきたりんは、満面の笑みで私に制服を見せびらかした。
「似合う?」
生まれて初めて目にしたりんの制服姿は、正直、何とも言葉にしがたい違和感があった。
制服が似合ってないとか、そういう容姿の問題じゃない。生まれてからずっと一緒にいたはずの幼馴染が、制服を着ただけで急に大人びて、まるで別人になってしまったかのように見えた。私よりもずっと年上の、知らないお姉さんになってしまったような錯覚。今、私が着ている子供服が、制服に比べて子供っぽく見えて急に恥ずかしくなってくる。
「袖、長くない?」
りんの手のひらを隠している袖を指先で引っ張りながら言った。それは私にとって精一杯背伸びした抵抗だったのかもしれない。だけど、そんな私の気持ちなんて露知らず、りんのお母さんが笑いながら教えてくれた。
「三年間で成長するから、その分大きめに作ってあるのよ」
「そう、背ももっと伸びて、ユキを追いこすから!」
そう宣言したりんが背伸びをする。りんが爪先立ちをしたところで、その頭の頂点はぎりぎり私の頭上に届かない。
「それはない」
りんの頭を抑えつけると、りんは不満気に頬を膨らませた。
「伸びるもん」
そんなことを言いながら、りんが歩いたり跳ねたりするたびに、りんの胸元で紺色のスカーフがひらひらと揺れていた。
制服を受け取ったあと、とくに用事は無かったけどそのままりんの家に行き、りんの部屋でしばらくだらだらとお喋りをしながら過ごした。小学校の思い出や中学校でやりたいこととか、そんなことをりんは楽しげに話していたと思う。
すっかり見慣れた部屋の中で、ビニールシートに包まれてハンガーにかけられた新しい制服だけが浮いて見える。りんの顔を見るたびに、その制服がちらちらと視界の隅に映り込んだ。
「気になる?」
私が何度も視線を向けていることに気付いたのか、りんがにやりと笑いながら言った。
「そりゃあ、ね」
「着てみる?」
「着ないよ。私のほうが背高いから合わないし」
「むう」
りんはまた頬をぷくりと膨らませて、ローテーブルの上で頬杖をつく。
ふと心に浮かんだ思いつきを、私は何も考えずにそのまま口にしてみた。
「着てみてよ、もう一回」
それを聞いたりんは、一瞬きょとんとしたあと、なぜか恥ずかしげな表情を見せて立ち上がった。
「汚したくないから、一回だけだよ」
ベッドの脇で、りんは着ていたセーターとスカートを脱いで下着姿になり、まるで割れ物を取り扱うかのように制服からビニールシートを外して、袖を通す。
まだ慣れていない手つきでスカーフリボンを結び、さっきお店にいたときとは違って、不安げに私に制服姿を見せた。
「どう……?」
私はと言うと、さっきお店で感じたものと同じ違和感を覚えていた。
やっぱり、制服を着たりんはとても大人びている。大人の階段を登る、というのは、もしかしたらこういうことなのかもしれない。それは言い換えると、私の人生の中でずっと隣に居たはずのりんが、まるで違う人になってしまうということ。
そう思うと、どこか得体のしれない恐怖感が、急に私の中に生まれた。
「似合ってる」
私が言うと、りんは照れくさそうに笑って、ありがと、と小さな声で呟いた。
「来年、ユキの制服も楽しみだなー」
なんの屈託もない笑顔で、りんが言う。
そう。私がこの制服を着るのは、りんよりも
私がどれだけ頑張っても、りんに追いつくことはできない。それは生まれたときから決まっていた、私たちの運命だから。
これから一年間、私たちは手をつないで一緒に学校に行くことも、帰ることもできない。小学校と中学校は別の方向だし、登下校の時間だって全然違う。そもそも、小学生と中学生が一緒に遊ぶ機会があるのかどうかすらわからない。
年齢。学年。そんな大した意味の無いくくりのせいで、私のそばからりんが離れていく。生まれたときからずっと隣に居たはずのりんは、私を置いて一つ先の階段を登っていく。
目の前でセーラー服に身を包むりんの姿が、そんな現実を嫌でも突きつけてくる。
その現実をうまく受け止められなくて、私は胸の痛みに耐えるように、手をぎゅっと握りしめた。
「ユキ?」
なんで、こんなに苦しいんだろう。
今まで感じたことのない、息がつまるような苦しさ。
わけがわからないまま、私の心の中に突拍子の無い疑問が浮かぶ。
今、キスして欲しいって言ったら、りんはまたキスしてくれるかな。
なぜそんなことを考えているのか、自分でもよくわからなくない。結局、そんな言葉を口にする勇気を持ち合わせていなかった私は、全ての感情をぐっと飲み込んだ。
「うん……楽しみ」
私が言うと、りんは安心したように笑って、くるりと回る。りんの動きに合わせてふわりと広がるプリーツスカートの輪郭が、私の目に焼き付いた。
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