廃墟の街

パラークシ


 いつからここにいるのか、分からなかった。


 気づいたらここにいる。コンクリートのような床を見てみる。微妙に傾いでいる。


 傾いでいるといえばこの廃墟の中が全体的にそうだ。随分前に打ち捨てられたみたいで見えるところがどれも殆ど斜めになって穴ボコができている。あの隙間から差し込んで見える白い光は日光?


 何というかーー陽光が存在していなさそうな雰囲気だ。


 よい、しょと。


 背中に重みがあるのに気付いて、自分がリュックサックを背負っていることを知った。下ろして確認してみると、全体はオレンジ色で、洋梨のように奇妙な膨らみ方をしている。


 ジップを開けて中身を確認しようとしてみる。


 覗き込む。


 闇。


 手を突っ込んでみると、カンテラや懐中電灯なんかが闇の中から取り出せた。謎。ピッケルまで出てきた。更に謎。要するに登山でもしろと? よく考えてみれば自分の格好は結構こなれた登山者のする格好だった。ブーツも厚底でしっかりしているし、ウィンドブレーカーのような保温性の高い外套を着ている。


 缶詰なんかも出てきた。とりあえず食糧や寒さの問題はなさそうだった。


 とりあえず歩いてみよう。ここがどこで、どういう場所なのか、歩いているうちにわかるかもしれないから。




 歩いているうちに色々と気付いて、思った。


 まず、この建物は一つではなくて、部屋がいくつもある。その開けっぴろげになった空洞を潜ると、また傾いだ建物と、床はプールの底のようなタイル張りになっていて、時々そこに水が張っていたりして、藻みたいな草が瓦礫の間から生えていたりする。益々謎だ。


 ……自分にもしもここに来る前の記憶があったら、多分ーーそこまで考えて、頭の中に強烈な横槍のようなバリバリとしたノイズが走る。


 そしてそのノイズの後、何かのイメージが脳の中で描かれ、自分が何かを思い出したことを悟る。


 ああ、サレルテーナ劇場から来たんだ。しかしそれがどこにある何かなのかが分からない。しかも一人ではなかったような、そんな感じまでする。


 同行者はいなかった? 一人で? そもそも山登りをするような格好で来るところなのか?


 人がいなくて、天井はとにかく高いーー螺旋状に続いているようでいて、先の方は白い光で見えない。


 眩しいな。これは多分夢だろう。夢だろうな。うん。




 カッーーーーーーーーーーン……






 変なことを考えていると、そんな音がした。遠い、とても遠い音だ。それから地面に落ちて、硬い音が続く。石ころでも落ちてきたような。とても高いところから、落とされたような。


 落とされた? 何故そう思ったんだろう? いや、そう感じたのだ。何というか、今の音には生き物の意思のようなものが感じられた。試みに少し大きめの石を、下に向かって落としてみたら、どうなるだろう……というような。


 自然、上を見る気になる。眩しいほどの白い光の影に、何かーー一瞬だけ、キラリと何かが明滅した気がする。


 安心しろ、自分。何が起ころうと、それを確認しに行こうだなんて思わないから。そういう非活動精神だけは負ける気がしないんだ、誰にも。


 座って缶詰を開ける。缶切りがなくても開けられる、初心者にとても優しい缶詰だった。


 ズワイガニの缶詰だった。とても身が柔らかくて、何だか久しぶりに微笑んだような気がする。そうだ。人がいないからだ。一人で、広い場所で、外にいるのに、人に見られる心配がない食事。何という贅沢を自分は貪っているのだろう。もう夢でもいいや。


 立ち上がって、ちょっと影に行って、用を足そうと思う……が、上が開きすぎていて、ちょっと躊躇う。


 通路を少し行ったところに、トイレのようなマークがある場所を見つけた。男女のマーク。あれ? 男が赤で、女が青だっけ? 分かんない。どっちでもいい。出せればいいだけだから。


 用を足して出てくる。普通のトイレだった。清潔でもなく、やっぱり斜めになっていてちょっと踏ん張る必要があったけれども。快適ではあった。


 水は出なくて、いや、出はしたんだけれども、この廃墟全体を覆っている圧倒的なまでの白さの延長みたいな白い液体が、チョロチョロと少しだけ出た。まあ、少しは流れただろうと思うことにする。


 それにしても、本当に白いな。


 廃墟の中、埃が舞っていて、光の光線を可視化させている。その下にタイル張りの床。藻みたいな植物。出口が見当たらない。どこまでも道が続いている。前向きな建物だこと。


 とりあえず、降りられるだけ降りてみることにする。


 ……水滴が落ちる音。ピチョン、ぴちょん……、ぽん、……水たまりがどこかにあるんだ。


 下に向かって、斜めになったひび割れた床がすぐ下の床に落ちていて、それが螺旋階段のように間断なく続いている。


 不思議と疲れを感じることがない。歩いても歩いても、ズックの重さが気になることも、脚に痛みを感じるようなことも……。


 楽しいな、何だか。


 ただ降りているだけなんだけど。


 急に意識が暗くなる。何だろう。今度はなんだ?


 私は自分が倒れたことを知る。







 目が覚めた時、自分が風呂場の前に立っていることに気付いた。


 風呂場の前の、広めの洗面所の手前。そこに、何故か裸で立っている。


 鏡を見てみる。


 自分の姿がそこにはある……ように見える?


 薄ぼんやりしていて、こんなに肌が白かっただろうか? 一応裸らしい。男なのか女なのか、いや、胸が少しばかり膨らんでいるような気もする。気持ち。


 鏡を見るより、直接見下ろす方が簡単に分かると知り、うん、女だと分かる。


 まあとりあえずそこに風呂があるんだから入ってゆっくりしようと何故か私は思い、警戒感ゼロで横滑りのすりガラスの扉を開けて、中に入る。


 湯気がほかほかと上がっている、タイル張りの古い感じの大きな浴槽。


 迷わずお湯の中に足を着けて、大丈夫そうと思って一気に全身を浸ける。


 ふう〜。


 何か大きな音がする。


 唸り声? サイレンみたいだ。


 怪獣が怒鳴るような声だ。空腹の時に叫びそうな、駄々をこねているような、そんな……。


 外の扉が音を立てた。ガタッと。


「誰?」


 ここに来て初めて声を上げたことに気付いて、今更ながら少し驚く。


 でも、今は呑気になっている場合ではない。


「誰?」


 ガタ、扉が軋む音。すりガラスで奥が見えない。体を隠しながら、すりガラスをゆっくりと開けて覗き込んだ。


 立っていたのは『自分』だった。


 口が大きく開きすぎていて、三日月を横にしたようになっている。目は陥没していて、そこはブラックホールみたいに無機質で、時間が止まっているみたいだった。


「誰」


「おかえり、お姉ちゃん」


 大きな音を立てて天井が崩れ始め、瓦礫が浴槽に飛び込み、熱いお湯が全身を覆う。そして私にも、目の前の『私』の上にも、瓦礫が降り注いだ。





「おい、ねえちゃん。起きてんか」


「あい」


 瞼を押し開けると、緑色が目に入る。もう一方の瞼も頑張って開けてみると、緑色のパーカーを着た少年であることを確認する。髪がツンツンに立っていて、少し険しい目をしている。


「ほら、よだれ。しっかりしてえな」


「あ」


 自分が寝ていたと思しき場所に、湖みたいな巨大な涎が残っていた。


 ああ、そうか、やっぱり自分は寝ていたんだ、と思い、ティッシュを取って涎を拭きながら思う。


「これ」


 そう言って四角い物を差し出される。ヒーリング薬局。頭痛薬。即効性。スパッと快適。


「代金。丁度やから。はよ精算してんか」


「ああ、薬。そうか。薬局か、ここは」


「いつまで寝ぼけてんねん」


「あのさ、君……サトシくんだっけ?」


「なんや。ええからはよしてえな、サッカー始まってまう!」


 サトシ君が地団駄を踏む。


 そうか。もう七時前か。


 うん……うん、顎に手を当てて、少しばかり考える。


 代金をキャッシャーに入れてレシートを千切り、袋に商品を包む。


 それを渡しながら、言った。


「なあ、サトシくん」


「なんや」


「私、妹がいるんかもしれん」


「阿呆なこと言うな。はい、ほなどうも」


 そう言うとサトシ君……サトシ某少年は薬局から出ていった。個人経営の、小さな薬局。奥には何故か駄菓子コーナー。そして私は留守番店主。


「あーあ……」


 結局あの廃墟は何だったのか、分からなかったな……


 まあ、いいか……


 スーっ……



 また廃墟の前に立っていた。


 今度は外観が見える位置だった。


 うそおん。おお、来たか。二つの反応が内側で混沌を形成する。


 そう思いながら、廃墟の中にまた、私は足を踏み入れるのでした。今度は記憶を引き継げるかな?



 

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