第5話 異郷への帰路

軍団が引き下がるのに合わせて、俺も防衛線――リメスの最も近くにある街へと帰投することになった。俺個人にとってはそうではないが、ディオに言わせれば俺はもう軍団の一員なのだから、そう思うのが当然らしい。

「なんだ、馬に乗れないか」

 彼は騎乗を拒否した俺に、そんなことを言ってきた。肩をすくめて、返す。

「鐙でもあれば乗れたかもしれねぇけどさ、そのままの馬に乗るなんて無理だよ――そもそも、馬に乗ることを当たり前にしている民族か、それが常にできるだけの地位と金がないと無理だと思うんだけど、違うか?」

「一理あるな」

 馬の上から、ディオが続ける。

「あぶみ、とは何だ?」

「馬に乗るのを容易にする道具だな――絵でも書ければ、具体的に説明できるけど……口で説明するのは難しいな」

「それがあれば、騎馬民族に対抗できるか?」

 今度は真剣に聞いてくる。首肯する。

「鐙があれば、馬に乗りながらでも容易に弓が射れる――弓矢はあるよな?」

「ある。……そうか、それは大きい。ウェールに戻り次第、絵にしろ」

 ウェールとは、これから行く街のことらしい。どちらかと言えば覚えにくいが、まぁ異世界なのだから慣れるしかない。

 その街までは、軍隊の行進速度で一日ほどだった――街に着く直前、ディオは呆れたように言った。

「お前、この程度で疲れるのか?」

「馬に乗って言うなよ」

「特別に急いでいないのだぞ。俺は前線に立つ兵ではないが、歩いても疲れん――学徒だから体力がないのか?」

「運動よりも勉強が好きでね、まったく……」

 小中高、そして大学のすべてに置いて俺は運動部じゃなかったし、吹奏楽部のような文化系でありながら体力強化の練習をするような部活にも入っていなかった――もっぱら帰宅部で、放課後は図書館に通うことしかできなかった男だったことを、今は後悔している。

 望んでそうなったかは、微妙なところだったが――負け犬になったが、それにだって相応の理由がある。

「ふむ。時間はないが、お前は鍛え直す必要がある」

「体力がなくても、力は使える」

「人として当たり前のそれは身につけろ、という話だ」

 軍人は言うことが違う――わかりあえない、と心の中で嘆く。まぁ、ディオの言葉を信じれば彼は兵站などの担当で、体力が重要視されるポジションではないが。

 ウェールという街は、意外にも城壁がなかった。それで、何とはなしに悟る。

「……ローマみたいなもんか」

「なんだそれは?」

「俺が知ってる中では、一、二を争うくらい偉大な帝国だよ――それに似てるんだろうな、と思ってな」

「我らの帝国の名はフラヴィスだが」

「知らねぇなぁ……」

 形態や在り方は似ているが、別の国で、つまり異世界なのだろう。面倒くさい。

 街の入り口で、住民たちが歓喜の声で俺たちを――軍隊を迎えた。蛮族を撃退したことはすでに知れ渡っているらしい。もっとも、兵士たちの多くは戸惑っていたが。

 いきなり現れた男が、いきなり蛮族を殲滅して、いきなり帰投を許されたのだから、そうでない方が不自然ではある。

「見ておけ」

 ディオが、言う。

「あれが俺たちが守る民だ――これからは、お前が守る民でもある」

「……俺を生かしておく理由か?」

「そうだ。お前があの人たちを忘れないならば、天寿を全うできるだろう」

 そのために、人殺しをした事実は消えない――どれだけ吐き出しても、罪悪感は消えなかった。いつか慣れるかもしれないが、それは今ではない。どれだけの人に称賛されようと、俺のやったことは人殺しでしかない。それも、数千単位の。

 俺は、もしかすれば人類史に残る殺人者になるかもしれない。それは本来、組織がやるもので、個人でやるものではない――再び襲い掛かってくる吐き気を殺す。これは凱旋なのだから、素直にそれに身を委ねたりしてはいけない。

 自分を称えてくれる人たちの前でくらい、強がってみせたい。それができないなら、俺は男じゃない。そう思った。その想いで、必死に、俺は歩いた――涙がこぼれないのが、不思議で仕方なかった。

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負け犬の爆炎―帝国の危機を救え、負け犬! @aoihori

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