第8話 囮生活の幕開け

「そろそろ行くか」


 慌ただしく執り行われた結婚式から一週間。

 特に何かをすることもなく部屋で休んでいたところ、ルーカス様がやってきてお茶に誘われたので部屋で一緒にお茶を飲んだ。

 まったりとした空気が流れていたが、飲み終わるころ唐突に、そう声をかけられた。


 私は反射的に「どこにですか?」と聞き返す。


「外だ。メリナはただついて来れば良い。……ああ、安心しろ。これをやる」


 彼はそう言って胸元から何かを取り出し、手のひらを開いて私に見せてきた。

 彼の手には、僅かに透き通った水色の石が付いたシルバーの指輪が乗っていた。


「わあ。綺麗ですね」

「魔除石を付けた指輪だ。これを指にはめてる間は悪魔も寄って来ない。で、指から外すと魔除石の効果は発動しなくなっている」

「……指輪をつけて外に行き、祓魔したいところで指輪を外して、悪魔を引き寄せるんですね?」

「そういうことだ」


 ニッとルーカス様は笑った。

 言ってることは悪魔のようなのに、実のところ彼は悪魔を祓う側なのだからおかしな話だ。


 ……妻を囮にするというのにこの笑顔。ほんとおかしな人。


 でも……外に行ける。

 どんなところに連れて行ってもらえるのかと想像すると、囮になることの恐怖より外への期待の方が勝ってしまい、私も少し笑みが溢れる。


「この前の式で渡した指輪はその場しのぎだったからな。改めてこの指輪を結婚指輪として着けてくれ」


 ルーカス様はそう言うとテーブルの向かい側から私の手を取った。

 そのまま、私が左手の薬指にはめていた指輪を外し、新たに持ってきた指輪をはめてくれた。


「うん。似合うな」


 指輪を私の指にはめてみて、ルーカス様は改めて指輪の出来に満足したようだ。

 突然左手を取られた私は、彼にされるがまま指輪をはめられた。その間内心ドギマギしつつ、「似合う」と言われてほんのちょっと嬉しかった。


「……ありがとうございます」


 あれ。ということは……?


「この指輪さえあれば、これからは自由に外へ――」

「それはダメだ」

「え」

「何があるか分からないだろ? 指輪はやるが、外に出られるのは俺がいる時だけだ」


 ……それは残念。

 まあでも、出られるようになったんだからそれだけで十分ね。


「でも安心しろ。結婚の話をしたときに設定したように、俺は愛する妻をどこにでも連れていきたいことになってるからな。これから外へはいくらでも行ける。……じゃ、今から『二人で夜景を見に行く』という理由で出かけるか」

「夜景ですか!?」

「あくまで理由だ。本当に行くわけじゃない」

「……そうですか」


 ルーカス様は私を上げて落とすのが好きらしい。

 先ほどから一喜一憂で忙しい。


「外は冷えるだろうから、何か羽織れるものも持ってくると良い」

「分かりました。すぐに支度してきます」

「ああ」


 さっきはちょっと残念に思ってしまったが、夜景は見れなくても外には行けるのだ。

 そう思ったら、ワクワク感が湧き出てくる。


 私はいそいそと外出する支度をして、ルーカス様と一緒に馬車に乗った。


 ――馬車に揺られて二十分ほど。

 馬車はいつのまにか、夜景の見える高台に到着していた。


「え、あれ……?」


 ……高台ってことは、夜景が……?

 夜景を見に行くのは表向きの理由だったのでは?


 私の質問を見越してか、ルーカス様がさらっと教えてくれた。


「気が変わったんだ」

「…………え! じゃあ夜景を!?」


 少し遅れて、ルーカス様の言葉を理解した。

 ルーカス様の気が変わり、私は本当に夜景が見られるということだ。

 てっきりこの前の森とかに行くと思っていたのに。


「嬉しいか?」

「はい! とっても!」


 私は思いっきり首を縦に振る。


「ここって、恋人たちがよく来る場所ですよね? 小説によく出てくるので、一度は行ってみたいなあと思っていたんです!」


 家の中でやれることは限られている。

 本を読んだり、勉強をしたり、絵を描いたり。

 少ない趣味を楽しみながら日々を過ごしていたので、本なんて何冊読破したか分からない。(ものによっては何回、何十回と読んだりもしてるので、それも数えると何冊分になるか見当もつかない)


 だから、本に出てくる場所にはいつも行ってみたいと思っていた。

 風景描写を読んで、そこがどういう場所なのかを考えるのも楽しかった。

 主人公たちが立ったらどんな風に見えるのか、そこではどんな匂い・音がするのか、そこからは何が見えるのか……などとたくさん妄想したもので。

 今この扉を開ければ、「夜景」が目の前に広がるのだ。


 ゆっくりと、外を見る。


「わあ……」


 私は思わず、感嘆の声を漏らした。

 先に馬車から降りたルーカス様が出してくれたエスコートの手にも気づかないほどに、扉を開けた瞬間に見えたその景色に、私は夢中になってしまった。


 ……なんて美しいの。こんな景色、見たことない。


 高台から見下ろす街は、想像していたよりもずっと大きい。

 多種多様な建物に、街を照らす街灯。

 狭い道と細い道。

 中央に見える噴水。

 道を歩く人。


 その全てがバランスよく調和され、美しい景色を作り出していた。


「……ここで描けたらよかったのに」

「何をだ?」

「!」


 ボソッと漏れ出てしまった私の願望をルーカス様に拾われてしまい、私はビクッとした。


「え、えと……」

「絵でも描けるのか?」

「あ、いえ……」

「確かに、引越しの荷物の中に少しだけ画材が混ざってたな?」


 正式にアデナウアー家に嫁入りするとなって、私は住んでいた一軒家から必要なものだけ持ってきてもらった。

 持ってきてくれたのはアデナウアー家に仕える侍従の方々。

 欲しいものとどこにあるかを紙にまとめて、持ってきて欲しいとお願いしたのだ。

 私の家の場所は、叔父様に教えてもらって。


 ……私としては自分で取りに行きたかったけど、ルーカス様に頑なに拒まれたものだから仕方なくお願いしたのよね。


 賊に襲われた後は、家に帰ることができていなかったので鍵もかけられないままだった。また別の賊に入られて何か盗まれてないかと若干ヒヤヒヤしていたが、リストに書いたものは全て持ってきてもらえたので安心したものだ。


 そして、私はその中に画材を含めていた。


 真っ白なキャンバスやスケッチブック。

 それに絵を描く用のペンや絵の具や筆。

 空いた時間ができたら描けるかと思って、持ってきてもらったのだ。


「描けると言っても趣味程度です。これからいろんな外の景色を見たら、きっと絵に残したくなると思って持ってきてもらっただけで……」

「なるほど。それにしては画材が少なかった気がするが?」

「あれだけあれば十分描けますよ」


 公爵家はあらゆる物が潤沢そうなので、あの量を少ないと思ったのだろう。

 画材に限らず、私が持ってきてもらった荷物の全量を見ても「これだけか?」と訝しんでいたくらいだ。


「ふうん。じゃ、絵が描けたら見せてくれ」

「はい?」

「良いだろ。減るもんじゃない」


 減るかどうかの話ではない。


「でも本当に趣味程度で……。ルーカス様に見せられるようなものでは……」


 自分の絵を見せたことがあるのは家族くらいだ。

 昔、お父様とお母様が私の絵を褒めてくれて、それからずっと描き続けているだけ。

 二人が亡くなってからは、誰に見せることもなく密やかに描いていた。

 だから、ルーカス様に見せるとなると、気後れしてしまう。


「俺は、メリナの目にこの景色がどう映っているのかを見たいんだ。……俺にとってはただの景色なのに、あんなに喜んだ顔をされては気になってしょうがない」

「へ……」


 ……『あんなに喜んだ顔』……?

 私、どんな顔してたの!?


 私が返答に困ってしまうと、ルーカス様はある提案をしてきた。


「じゃあ、賭けをしよう。今日のノルマは悪魔五体にする。祓えたら俺の勝ちで、祓えなかったらメリナの勝ち。俺が勝ったら、この夜景を絵に描いて俺に見せる。メリナが勝ったら、俺に見せなくて良い。……どうだ?」


 どうだ? なんて聞かれているが、彼はすごく笑顔だ。

 私が断る余地なんてないし、この賭けはおそらくルーカス様に勝つ自信があるのだろう。


「……分かりました」


 私はそう答えるしかなく、ふう、と、一息ついて指輪を外した。


 間も無くして悪魔が現れると、ルーカス様は難なく祓っていった。

 久々に見る緑炎で覆われた剣は何度見ても美しく、夜景を背景にするとまるで一枚の絵のようにも見えて、私はまたルーカス様に目を奪われていた。


 ――気づいたときには、ルーカス様はノルマの五体を祓い終えていた。それは、わずか十五分足らずの出来事だった。

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