生成される戦場であたしたちが回想すること

灰都とおり

生成される戦場であたしたちが回想すること

 決勝戦、ヴァリエーション二三。

 後半一三分四一秒、波琉ハルがフィールドに戻ってくる。「竜」のポジションにつくしなやかな手足をあたしは後衛から見つめる。完璧に作動する機械のように調整された身体からだ。チームメイトの期待と高揚が伝わる。

「波琉!」

 前衛のヒビキが張り上げる声に波琉は手をあげて応え、それから後衛を振り返って安心させるように笑いかける。試合を左右する場面でよく笑えるものだと思う。その瞳と一瞬視線が交わる。あたしの顔は疲労と緊張でひどいありさまだろう。

 波琉は敵陣右サイドへチャージをかける。彗星のように迷いのない動きからあたしは目が離せない。波琉が相手校の「王」を射程に収め、敵の「銀」が遮る。そして乱戦。そう、この流れは憶えている。左サイドから相手校の「竜」朔良サクラが来る。


――波琉の左上腕アジリティを二・五増加。


 先生の声が聞こえた。

 その一瞬で、あたしの意識はタイムラインの向こう側に飛び出ている。そこではあたしも、波琉も、フィールドのだれもが凍りついている。世界の外からあたしたちのゲームを眺め下ろす、神々の視点が捉えた試合の光景だ。


――右上腕の保護マテリアルを変更、第六装三○九。


 先生の声に応じ、波琉の骨格や筋肉がライトグリーンの光を放ちながら調整される。床を蹴った姿勢で静止する波琉は意志のない人形だ。技術の粋を込められた美しい人形――。

 あたしは意識を引き戻す。試合は続いている。波琉が朔良の攻撃をかわし、敵陣を駆ける。そして二分三五秒後、勝負は決する。敵の「角」に隙を突かれてあたしたちの後衛は崩壊、「王」が討ち取られる。

「……みんなを誇りに思うよ」

 先生のねぎらいがあたしたちを迎える。いつもの優しい先生、でもあたしは時のない場所で聞いた冷たい声を思い浮かべて距離を置いてしまう。いまだにあたしはあれを白昼夢と区別できない。あたしたちの身体は、あたしたちには知覚できない領域でつくり変えられる。身体パラメータが先生によって随時調整される。でもそんなことは白昼夢に教わるまでもなく、だれもが理解している。

「悔しさは次につながるからね」

 先生の言葉にチーム全員がうなずく。そしてみんな視覚モニタで勝敗収束率を確認する。相手校の勝利、五一・九%――稀にみる接戦だ。

「今回で戦術の有効性ははっきりしたから。次の決勝戦・・・・・は前半からしかけましょう。それじゃ一四四○分遡行します。みんな、決勝戦だから出し切るよ!」

 全員が声をあげる。

 これが二三回目の決勝戦、そして一二度目の敗北。

 大会レギュレーションでは収束率九○%以上で勝敗が「確定」する。それまであたしたちはタイムラインを遡って試合を繰り返す。先生があたしたちのために、何度でも決勝戦を生成する。遡行のたび記憶のほとんどは消えるけど、身体感覚は残る。戦術は蓄積される。

 あとは託したよ、次のあたし。


 決勝前日、放課後の教室。

 パチ、と渇いた音が鳴って、あたしは波琉の指した一手を見つめる。

「……いいの? 飛車とっちゃうけど」

「どうぞ。あーちゃんがそうしたいなら」

 波琉が涼しげに笑う。いや惑わされるな。こいつはなんでも見通しているようで、ただ直観で動いてるだけだ。

「じゃあはい」

「はい」

 パチ、パチ、と盤上の駒が小気味よく互いの駒を取り合う。その結果をあたしは呆然と眺める。ただしこいつの直観はあたしの思考じゃ予測できないんだった。

「……はい、負けです」

「ぼくに負けるのは恥じゃないからね」

「勝率はあたしのほうが上なんだけど!」

 反射的に突っ込んだ瞬間、やりとりに強い既視感を覚える。遡行したんだ。もちろん明日は決勝だから、一日戻ればちょうどいま時分になるとわかってあたしたちはここでこうしているのだ。

「……決勝、長引きそうだね」

 夢の残像を思い出すように、波琉が窓の外に目をやる。その外ハネしたショートの襟足を風が揺らす。

 この瞬間はなかなか慣れない。自分が、いなくなった別の自分と重なる瞬間。あたしは決勝を必死に戦った記憶をぼんやりなぞる。それはすぐ色あせ、夢と区別がつかなくなる。

「将棋のルーツになったインドの駒遊びってさ」

 波琉が唐突に話題を持ち出す。衝動と即興が波琉の本質だ。でも、前回・・にもこの会話をしたのかも。

「王様の戦争好きをやめさせるためにつくられたって逸話があるんだ。それって現実よりゲームのほうが楽しいって発想だよね」

「……あたしは試合ゲームのこと考えると憂鬱だけど」

「あはっ、そりゃぼくらは先生の駒だから」

 駒……。あたしはタイムラインの外側で響く先生の冷たい声を思い出す。

「つまりゲームはさ、現実を抽象化したものでもそのシミュレーションでもなくてさ、新しい現実をつくる行為なんだよ。子供が道路の白線の外を断崖にしちゃうみたいな。そのとき現実の外側に別の領域げんじつが生まれて、ぼくらはそれが楽しいんだ。その遊びからこの世界が……」


――双方の有効戦術が互いの実行とエラーを促し、千日手の状況を生んでいる。この膠着は有機知性が生み出すゆらぎの観測に好ましく、引き続き構成要素の解析を……


 タイムラインの外側から先生の声が聞こえた。遡行直後にこだまする残響のようなものだ。

 いま・・に戻ると、一瞬の間をおいて波琉が言葉を続ける。

「……この世界が生まれたんだ」

 もしかして波琉も先生の声を聞いてるんだろうか。あたしが口に出す直前、

「そもそも先生はどうしてぼくらを必要とするんだろうね?」

 秘密を打ち明けるように、波琉が芝居がかったしぐさで声をひそめる。

「授業の話だと、先生はぼくらの生み出した領域に存在してる。ぼくらが空間と時間の構造体としてとらえる世界の外側に。つまりそこが機械知性せんせいの住みかってことだけど」

 あたしは唖然とする。たしかに教わったことだけど、波琉の言葉はどこか冒涜的な感じがした。

「きっと葉緑体をもつ生物が酸素濃度を高めて脊椎動物の進化を準備したみたいな話でさ、ぼくらは先生にとって藻みたいな意味で不可欠なんだ。だから面倒をみてくれる。酸素がないと困るでしょ」

「波琉は……先生が嫌い?」

「そんなこと。だってぼくらが先生をつくったんだから、子供みたいなものだよね」

 波琉はまるで有機知性にんげんの代表だった。

「つくったものにつくってもらえるなんて理想的だよ。それならもう、ぼくらはいなくてもいいってことだもん……」


 決勝戦、ヴァリエーション九六。

 あたしは思考する。ランダムな要素のない完全情報ゲームなら必ず最善手が存在するから、充分な計算能力があれば戦術に迷うことはない。あたしたちの試合はまだそうはいかないから、やり直すヴァリエーションのたびにゆらぎが生まれる。

 前半二五分四四秒、相手校「馬」の左サイドからの奇襲、その着地点に向けて響が前衛から駆けつける。今回は響がわずかに早い。先生が反応速度を調整したからだ。

 あたしたちの身体はより精緻な数値に還元されていく。いつか試合の前に勝敗が決まるようになるんだろう。そこには葛藤もない。あたしはフィールドを支配する波琉の美しさに魅入られる。身体パラメータが最適化されるほど意志が介在する余地はなくなる。あるのは人形の美しさ。だけどそこには、教室で話す予測不能の波琉はいない。


「きっとだれかが、あの頃はこうだったってぼくらを懐かしがるね」

 冬休みの自主練のあと、あたしと波琉は渡り廊下から静かなグラウンドを眺めていた。

「そのぼくらはさ、つらい練習に泣いて、試合じゃキラキラ輝いて、脚色されたドラマの人物みたいなんだよたぶん。それならもうそれでよくない? このぼくらはいらないよね?」

 あははっ。笑い声を校舎に響かせながら衝動のまま走る波琉をあたしは眺める。フィールドでの針の穴を通すような精密人形とはかけ離れた波琉。

「そうなればぼくら、透明になれるねえ」


 決勝戦、ヴァリエーション三七八。

 あたしたちの攻防はわだちを走る車輪のように同じ軌道をなぞる。ときどき車輪はがたんと外れ、しばらく左右にぶれてから諦めたようにもとの軌道に戻る。パラメータ調整は極限に近づき、波琉や朔良は協奏曲の旋律みたいにあたしたちをリードする。

 収束率は五〇・〇を動かず、フィールドのだれもがもう試合の勝敗はつかないことを理解する。それでもあたしたちは戦い、先生は調整を続ける。辿り着かない完成に向けて工芸品アーティファクトの細部にこだわる職人みたいに。


「人間はいろんなゲームを楽しんだけど、政治もビジネスも恋愛も機械が最善手を導くようになるとゲームじゃなくなっちゃった。最後に残ったのは身体を使う試合ゲームだけ」

 あたしは気づいている。この試合中の回想もまた時間の外側、先生の領域だってことに。そもそもあたしたちの日常は回想にしか存在しなかったのかも知れない。そこであたしは波琉との会話を繰り返す。

 昼休みの屋上で鉄柵に登る波琉。授業中にネットで漁った難しそうな論文を転送してくる波琉。

「でも身体を特別視する根拠はないし、これだってすぐゲームじゃなくなる。それまで人間は遊び続けて、機械せんせいは遊びを解体し続けるんだ。ぼくらはひとつの生命圏だねえ」


 決勝戦、ヴァリエーション二九四八四。

 試合は変わらず激しく展開し、そして彫像みたいに静止している。あたしたちの身体は意志を要さず動き、だからあたしたちは意識の生成をやめている。

 それでもあたしたちは、時間の外側で出会う。

 波琉は教室でひとりあたしを待っていて、窓から射し込む夕日が眩しい。

 二九四八四のヴァリエーションの果てで、あたしはようやく辿り着いたことを理解する。

 試合ゲームは解体された。

「ぼくらやっと重荷が降ろせたね」

 波琉が伸びをするように両手をあげ、イスから立ち上がる。そのしぐさが心底幸せそうで、あたしは笑ってしまう。

 グラウンドから楽しそうな声が聞こえる。響がいて、朔良たちもいて、聞き知ったたくさんの笑い声が教室まで届く。

「行こ、あーちゃん」

 そうだね。

 まずは衝動のままに走ろう。きっとそこから、あたしたちは新しい遊びゲームを思い出せる。

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