第16話傭兵イワン(3)

 泣くイワンに、男性はポケットから白いハンカチを出して血が出ているイワンの額の傷口を抑えた。


「傷は浅いから、しばらくこれで様子を見よう」

「……うん」

「いいですよ、こんなガキに」


 父親はそう口にして、

「で、俺に用ってなんでしたかな?」

「私の顔をお忘れですか?」

 ハンカチをイワンに渡した男性は立ち上がった。


「あんたと俺が昔に会っているって? いつだったかな? もしかして昔の仕事仲間ですかい?」

「昔馴染みを一人、一人と探すために旅をしています」

「なぁんだ、仲間を集めて仕事をする計画ですかい。そりゃいいや。だったら、俺も仲間に入れてくださいな。人さらいに強盗、金さえもらえれば、なんだってしますぜ」


 にやにや笑ってイワンの父は、これからの犯罪を楽しむような顔つきになった。


「それほど罪を犯していたなら、私の顔など憶えているわけがないでしょうね」

「ん?」


「昔、ある屋敷で、強盗殺人がありました。主が留守のとき、妻と息子、使用人たちが殺されました。私は全財産を投げ打って、犯人たちを捜す旅に出たのです。長い年月をかけて一人、一人と復讐してきました。そして、やっと最後の一人を見つけました」


 そこまで言うと父親の顔が引きつった。


「お、おい、まさか、あんたは……」

「ええ、そうです。やっと見つけました。うちの屋敷で働いていた庭師を始末して、私の復讐の旅は終わります」


「グレゴリー……」

「やっと思い出したか」


「いや、あれは事情が有って」

「事情だと?」


「ああ、そうだ。グレゴリーさんよ、俺も生きるか死ぬかで、借金取りに脅されて、ちょっとだけ手伝っただけだ。俺はあんたの家族を殺していない。だから俺に復讐なんてしても意味がない」

「借金取りの連中を屋敷の中へ招いたことがちょっと手伝っただけだと? 自分が生き延びるために、あれだけ多くの人を殺すのがわかっていて奴らを屋敷に手引きしたことに責任がないと言っているのか?」


 グレゴリーは、イワンの父親の目をじっと見据えていた。


 長い沈黙の後、父親は口を開く。


「ああ、そうだ。俺には責任がない。夜中、奴らを屋敷に引き入れていただけだ」


 開き直ったような様子で父親がへらへら笑う。


「ところで、あんた、ここへ来るのを誰かに言ったか?」

「まさか、そんなことをするわけがないでしょう」


 それを聞いたイワンの父親はニヤリと笑みを浮かべて、隠し持っていたカマを持って、「昔のことをいつまでも引きずって、バカな野郎だぜ」と襲い掛かった。


 だが、立ち上がった瞬間、力が抜けたようにひざから暮れ落ちた。


「力が入らねぇ……。グレゴリー、酒に何か入れやがったな」


 カマを杖代わりにしながら、立ち上がろうとする男に、グレゴリーは何も言わず、羽織っていた旅人のコートを放り投げた。


「くそ、前が見えねぇ」


 パニックを起こし、コートを頭にかぶさったままの父親に、グレゴリーは剣を抜いた。


「うぐ」


 先ほどイワンの父が投げ捨てたタンポポの花の横に父親は倒れ込む。


 イワンは、今度は自分の番だと感じていた。グレゴリーという名を知られたからには、自分を生かせておくはずがない。自分も父親のように殺されるのだと、イワンは小さく身体を抱え込み、怯えた。


 そんなイワンの前にグレゴリーはしゃがみ込み、声を掛けた。


「坊やがいないときに……と、思っていた。イワン君と言ったね。私といっしょに来ないか?」


 優しく手を差し伸べるグレゴリーに、イワンは顔を上げて、手を伸ばそうとした。だが首を振った。


「そうか……、そうだな」


 グレゴリーは寂し気に微笑んだ。


 血だまりの父親の死体の傍には、黄色いタンポポが浮いていた。

 父親が、こうなることをイワンが薄々分かっていた。

 そして心の底で望んでいたのだ。


 この日の前日、物乞いで稼げなかったイワンは父から殴られると思い、あばら家の前で入るのをためらっていた。

 夜になり父親が寝るのを待って道端でタンポポを積んでいる間、旅人の男性がいっしょにタンポポを積みながらイワンに聞いてきた。


「なあ、坊や、お父さんが居なくなったら困るかい?」


 イワンは首を横に振った。


 今でもフッと頭によぎる。

 もし、あのとき、自分が首を縦に振ったら、グレゴリーさんは父を殺さなかったのかもしれない。


 それに自分がグレゴリーさんに自分がついて行くと応えていれば、翌日、グレゴリーさんは橋の上から身を投げることはしなかったのかもしれない。


 そのことを店主に話しながらタンポポのサラダを食べ終わったイワンに、店主が聞いてきた。


「お客さんに必要なのは肉でも魚の料理でもないね。このタンポポの綿毛かな?」


 店主は綿毛の付いたタンポポをイワンにカウンター越しに手渡した。


「この綿毛を吹いて、もしあの日に戻れるなら戻れるとしたら?」

「過去に戻れるってことか?」


「うん、そう。過去の選択肢を変えていたら、未来は変わる。そんな過去を変える、選択肢がこの綿毛にあるとしたら、お客さんはどうする?」


 あの日に戻れるとしたら……。

 タンポポを食べていたあの頃に戻って……、か。


 だが、イワンの頭に思い浮かんだのはピーターの顔だった。


 そうだ。俺にはやることがある。


 これが俺の選んだ道だ。


 イワンは決断した。


「ごちそうさま。試食じゃなく、料理としてタンポポサラダをいただいた」


 イワンはタンポポの綿毛をコップの水に差し、ポケットから札をテーブルに置くと、店を出た。


 森を歩く、イワンに店主の声が聞こえた。


「タンポポの花言葉って神託って意味があるんだよね。でもさ、時間が経ったタンポポの綿毛の花言葉は別離に変わるんだ。時間が経てば、花言葉まで違ってくるタンポポって面白いよね」


「ああ、しかも食べられる」


 笑ってイワンが応えると、いつしか戦場にいた。


 ピーターが近寄って来た。


「イワンさん、心配しましたよ」

「心配するのはこっちだ。おい、頭を下げろ」


 イワンがピーターの頭を下に押さえつけ、岩に身を隠れた瞬間、敵の放った弾が飛んできた。

 驚くピーターに、イワンが言う。


「遅くなって、心配かけた。やっと過去と決別してきた。俺は俺が決めた人生を歩む。この戦いが終わったら、傭兵の隊長になる。だから皆、勝って、生きて帰ろうじゃないか!」


 その言葉に、押され気味になっている仲間の傭兵たちが呼応した。


「「「おおおお」」」

 

 

 

 終わり

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不思議な異世界料理店 チャららA12・山もり @mattajunko

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