第15話傭兵イワン(2)

「このサラダが気に入ってもらったらいいけど」


 その店主の声に、イワンはカウンターに置かれた皿を見る。

 青々としたサラダに黄色い花びらのようなモノが乗っていた。


「サラダ菜に、色鮮やかなタンポポの黄色い花びらをアクセントに散らしたの」


 店主の料理の説明に、イワンは黙って口に入れながら、思っていた。

 これぐらいのタンポポの苦味ならいいアクセントになる。


「でね、次に出す料理のメインディッシュにこのグリーンソースが合うと思うんだけど、お肉と魚どっちがいい?」

「え?」

「タンポポの茎も葉っぱも全部食べられるからね、それをグリーンソースにしたの。で、お客さんは今、お肉と魚、どっちが食べたい?」


 ああ、お肉と魚のどちらかを選べと言うことか。


「いや、俺はどちらでもいいから……」

「ダメダメ、両方食べたいなんて欲張りだな」


「そういうわけじゃなくて、そちらで選んで出してくれたら」

「で、どっちを選ぶ?」


 強引な店主にイワンは困っていた。

 カウンターの上に置かれたのは二つの食材だった。銀色のバットに入った生のお肉と、もう一つは焼く前の魚の切り身だ。


「で、どうよ、どっちよ」

 などど、イワンに向かって、ぬっとぽっちゃり顔を近づけてくる。


 肉には飾りつけのタンポポの葉と濃いグリーンスソース、白身魚の方にも、これまた緑が鮮やかなグリーンソースと、ゆでられたタンポポの葉っぱが違う器で用意されていた。

 完成した料理を想像すると、味もおいしそうでどちらもおいしそうだ。

 やはり料理人だけあると感心する。

 だが、イワンには肉か魚、どちらかの料理を選べなかった。


 黙っているイワンに店主が声をかけてきた。

「やっぱりタンポポ料理は、お気に召さない?」


 ずっと胸のつかえのようなものがあり、何かを決めることに、いつも躊躇ちゅうちょする。

 こんな料理を選ぶのさえ……。


「いや、料理とかそういうわけじゃなくて。あのとき自分が選んだ選択肢は正しかったのだろうか――と、いつも何かを決断するときに頭によぎるんだ」


 イワンは幼いあの日の話を店主に話し始めていた。


 いつもお腹を空かせていた九歳のイワンは、物乞いの後、道端に生えているタンポポを摘んで、お金を入れた缶の中に入れて家に持ち帰った。

 スラム街にある、地面の上に廃材を組み立てたあばら家だ。


 扉が壊れ、開いたままの入り口に入ると、父親の隣に旅人の格好をした男性が座っていた。


「初めまして」


 父親と同い年ぐらいで、緑のローブを羽織った男性は、イワンに笑顔を向けていた。


 イワンはどぎまぎしながら、じっと男性を見上げていた。


 父がしかめっ面で言う。


「すみませんね、こいつは挨拶ひとつできやしない」


 イワンは黙って目を伏せた。


「で、お客さん、今日は何ようで?」


 父親が浮き浮きとした様子で男性に話しかけたのは、男性が持っている酒の瓶に向けてだった。


「まずはご主人にこれを」


 旅人風の男性は、父親に酒を手渡した。


「催促したようで、すみませんね」


 男性から酒の瓶を貰うと、父親は蓋をあけて、ラッパ飲みを始めた。


「ぷはぁ、こりゃいい酒だ」

「ご主人にお聞きしたいことがありまして。一緒に食事でもしながら」


 旅人の男性はもう一つ持っていた包みを広げた。

 立派な料理が並ぶと、父は舌なめずりをする。


「いやぁ、食べ物まで、すみませんね」

「さあ、君もこっちへおいで」


 男性はイワンに手招きをする。

 だが、目を輝かせたイワンが近寄ろうとすると、父親が怒鳴った。


「おい、まずは今日の稼ぎだろう!」


 イワンは料理に目を向けながら、物乞いで稼いできた小銭の缶を父親に差し出す。これだけ豪勢な料理なら、少しぐらいは食べさせてもらえるだろうと期待した。しかし父親はイワンが積んできたタンポポの花を缶から抜き捨てると、

「チッ、今日もこれだけか! もしかしてお前、期待しているんじゃねーだろうな! こんなごちそうをお前が食える分けねぇだろ!」


 怒鳴る父親に男性は止めに入った。


「まあ、お父さん。そう言わず、皆で食事を楽しみましょうよ」


 だが、父親は男性に向かってめんどくさそうに言う。


「あのね、酒や料理を持って来てもらってね、こう言うのもなんだけど、こいつは普段、こういう食べ馴れていないですから、こんなごちそうを食ったら腹を壊すに決まっているんですよ。コイツのために俺は言っているんだ。お前もそう思うだろ、イワン!」


 腹なんて壊さない――。


 イワンは分かっていた。物乞いの子供は痩せれば痩せているだけ、同情されて金が稼げる。そのために食事を取らせないだけだ。


 返事をしないイワンに、父親が苛立って立ち上がった。


「何とか言えよ、クソガキ!」


 父親は、イワンが物乞いで使っている缶を投げつける。

 缶の蓋がイワンの頭に当たった。


 カランと缶が床に落ち、小銭が飛び出した。

 イワンは自分の額の生暖かさに、手を当てて確かめた。


 見てみると、ぬるりとした血が手に付いていた。物乞いに使っていた缶は、拾った時からギザギザの蓋が残っていて、そのまま使っていたからだ。その蓋が自分の額を傷つけ、血が流れ落ち、地面の砂に吸い込まれていく。恐怖と痛み、そして目の前の豪勢な料理に食べられないことにイワンは小さな手で傷口を抑えながら涙をこぼす。


「うっとうしい、泣くな! さっさと出て行け! 目障りだ」

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