第14話傭兵イワン(1)

 劣勢となっている戦場へ向かうため、傭兵たちが山を登っていた。


 傭兵隊の中に、28歳のイワンがいた。


 少年兵として11歳から訓練を受け、戦場に出て17年実戦経験を積んでいた。傭兵ギルドから、そろそろ部隊長を任せたいと打診されていたが、イワンは返事を保留にしていた。


 前方で馬に乗った傭兵隊の司令官が、「休憩だ」と指示を出す。


 イワンも仲間たちと同じく、山の野道に腰を降ろした。


 空を見上げれば、どんよりとした厚い雲が広がっている。


 嫌な予感がイワンの胸に広がった。


「イワンさん、タンポポです」


 無邪気に声を掛けてきたのは16歳のピーターだった。

 前の戦場で助けて以来、何かとイワンに懐いていた。


「見ていてくださいね、イワンさん」


 ピーターは山道に生えているタンポポの綿毛が飛ばないように、草の根元から茎を折って、空に向かって「ふぅ」と綿毛を飛ばす。

 イワンは、ピーターが飛ばした綿毛に、大空へ飛ぶと今回も戦場から生きて戻って来られる、と願掛けをした。

 だが、その願掛けが失敗したように、綿毛はこれまで自分たちが登ってきた山道を下るように風に煽られてバラバラに飛んで消えた。


 イワンは大木を背に持たれかけ、回って来た水筒の水を飲む。隣に座るピーターに渡そうと前に出すと、ピーターが不安げに尋ねてきた。


「大丈夫ですよね、僕たち」


 ピーターは前回の戦争で死にかけたことを思い出しているのか、震える手で茎だけになったタンポポを持っていた。


 イワンは持っていた水筒をピーターの胸に当てると、何も言わず、ピーターの持つタンポポの茎を取り上げた。


「さっさと飲んで次に回せ」

「は、はい……」


 イワンは、ピーターが持っているタンポポの茎を取り上げ、先の部分を口で噛み切ってピーピーと音を出してみる。


 不安な表情から一気に笑顔になったピーターは水筒に口をつけて、次に回した。


「僕も弟や妹たちと、こうして笛で遊んでいました」


 そう嬉しそうに話しているピーターから、イワンは傭兵になった理由を聞いていた。


 山間の村で過ごしていたピーターは、早くに父を亡くしていた。母親はまだ幼い弟や妹を育てている。そのため16歳のピーターは母を助けるため、稼ぎのよい傭兵になって仕送りをしていた。


 対してイワンには身内は居なかった。


 寂しいと思ったこともない。 

 だが、ふとした瞬間、イワンにも頭によぎることがある。


 もし、あのとき自分が違う選択肢を選んでいれば父は生きてたのだろうか――。


 すると、次の瞬間、イワンは見知らぬ森にいた。


 さっきまで、どんよりとした雲の下、他の傭兵たちと同じく、山の野道で休んでいたはずだったが……。


 しかし、ここは太陽の光が降り注ぐ、明るい森だった。


 辺りを見渡し、茎だけが残った植物を見つけた。それは人が折ったようだと見当をつけ、このままいけば、誰かに出会えるだろうと歩みを進める。

 思った通り、しばらくすると森の奥には山小屋があった。


 料理人のような恰好をした男性が、何やら店の前に出ている看板の様なものを片付けていた。その左手には摘んだタンポポの花がある。

 コック帽をかぶった人の良さそうなぽっちゃり顔の男性が振り返り、イワンに満面の笑みを向けていた。


「いらっしゃい。今日はね、試食の日なの」

「そうですか」


 イワンは平然と応えたが、その表情と言葉とは裏腹に警戒していた。


 こんな山奥に料理店だと? しかも試食など、誰に向けてだ?


「今からたんぽぽをつかった料理を作るから、お客さんに」


 え、俺に?


「なるほど、それは面白いですね」


 穏やかに言いながら、イワンはより店主に対して疑いが増していた。


 野草のたんぽぽを使った料理だと?

 俺に毒入り料理でも食べさせるつもりか。


 隠している腰のナイフをいつでも店主へ取り出せるように、イワンは店主に向かって歩み始めた。


 すると、店主は首をかしげる。


「そのナイフで手伝ってくれるって? でもね、そんな大きなナイフじゃ、危ないよ。だって使う食材は、こんな小さなタンポポの花なんだから」


 イワンは息をのむ。

 隠し持っているナイフの大きさまで見抜いたとは、この店主は只物じゃない。


 しかも、わざわざそのことを俺に知らせるとは……、いったいどんな魂胆だ。


 困惑するイワンに対して、

「さあ、さあ、中に入ってよ」

 満面の笑みで店主は店の扉を開けて、イワンが中に入るのを待っている。


 ここで死ぬならそれも運命。


 俺一人いなくてもどうにでもなるだろう。

 あんな劣勢の戦場では生きて帰れるはずもない。


 敵前逃亡とみなされるか?


 ま、いいか。


 イワンは店に入った。


 木のぬくもりが感じられる店だった。


 店主に案内されるがままカウンター席へ着いた。


 カウンターの奥で、店主がタンポポの花びらをちぎって、水にさらしていたのを見て、イワンは懐かしい気持ちになっていた。


 食べ物がないときは、俺もよくタンポポを食べていた。


 イワンの故郷は、工場がひしめく、スモッグでいつも空がどんよりとしている街だった。仕事が終わり、工場から出てくる男たちの服も手は油で汚れていた。その男性たちの手に向かって、九歳のイワンはやせ細った身体を折り曲げ、頭を下げる。


 チャリン――。

 目の前の空き缶に小銭が入った音のあと、イワンは何度も何度も頭を下げる。


「頑張れよ、坊主」


 工場で働いている男性が故郷に置いてきた自分の子供を重ねてなのか、ただ単に不憫に思ってなのか、こうしてイワンに恵んでやることもあった。


 イワンは本当に嬉しかった。

 これで今日は父親に殴られずに済むかもしれないと、ほっとしたからだ。

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