緑松島

 但馬汐村での異常な出来事は、全て昨日のことのように思い出せる。

 何もない田畑が広がる田舎の風景、山や川の匂い、肌にまとわりつく風や雨の感触も鮮明に思い出せる。まだ完全に癒えていない腕や足についた細かな傷は、私が村にいたことを思い出させる。


 剛田所長が帰った後、私と天は今後のことについて話し合った。

 選択肢は二つ。但馬汐村でのことは忘れ、新たな生活を二人で送るのか。それとも、未だ確認できない組織からの脅威にさらされることを覚悟のうえで、但馬汐村のことを調査、追及し、犠牲になった者たちに報いることができるように動くのか。

 私たちの答えは一緒だった。

 私たちは但馬汐村での惨劇を発信し、世間に正しい裁きを下してもらうよう動くことを決めた。

「私だけでもいいんだよ?天ちゃんは十分すぎる程頑張ってくれたんだから」

 何度も自らを犠牲にして私を助けてくれた上に、自分の故郷を失い、レオ以外の家族や友人を失った心境は計り知れない。

 出来るものなら、これからの人生は幸せに暮らしてほしい。

「いえ、最後まで一緒にいさせてください。約束したじゃないですか」天は笑顔で言ってくれた。

「そっか、わかったよ。これから一緒に頑張ろうね」

 私たちはビールとコーラでささやかな乾杯をした。


 ※


 テレビで但馬汐村での大規模火災を取り上げられて以降、村についての報道は全くされなくなってしまった。

 世間の認識としては、やはり村の一つで大きな火災があった程度のことなのだろう。

 そこで、但馬汐村での出来事を正式に調査してもらうため、手始めに私たちは警察署に行き、事の経緯をすべて話した。

 担当してくれた『遠藤えんどう』と名乗る若い警官は、最初のうちは半信半疑という顔で聞いていたが、途中から私たちの真剣さが伝わったのか、しっかりと聞いてくれていた、と思う。遠い国で起きていることではなく、同じ日本で起きたことであり、さらにはつい最近ニュースで取り上げられていた奇妙な村の話とあれば、個人的に興味もあったのだろう。

「そうですかあ。そんなことがあったんだね。あーそれで、何か証拠になるようなものはあるのかな?君たちが言う生贄だとか、村内での裁判に関する物は?」

「証拠……こういったものならあるんですが」

 佐上係長のブレスレットや天の怪我の診断書を提示したが、遠藤警官の期待に応えられる証拠品は無かったようだ。

「うーん。何かその、写真とか動画とかね。その村長が実際に人を落としている瞬間だとか映っているものがあるといいんだけどなあ。第三者が見て間違いなく違法な行為をしていると認定できるものが欲しいんだけど」

「それは……ないです」

 天も思い返したり、鞄の中を確認したりするが、直接的な証拠となるものは出てこなかった。

 こうなることは薄々わかっていたのだから、遠藤警官の言うとおり、動かぬ証拠を撮っておくべきだった。村内は携帯の電波が入らないからといって、携帯もスマートフォンも鞄の中に入れっぱなしにしてしまったことが悔やまれる。

「おい、遠藤。ちょっといいか」

 奥の方にいた遠藤警官の上司らしき人が呼んでいる。

「あ、すみません。ちょっと席を外すね」

 上司から電話を受け取り、誰かと話しているようだ。

「雨堤さん、すみません。私も逃げることで手一杯で、そこまで考えていませんでした」申し訳なさそうに話す天に非は全くない。

「天ちゃんが謝る必要ないよ。私だって目の前のことで手一杯だんだから」

 しばらくして遠藤警官が戻ってきた。が、どうも様子がおかしい気がする。

「すみません。お待たせして。あのー非常に言いにくいんですけどね、やっぱりちゃんとした証拠がないと捜査は難しいですね」

 急にあっさりと断ってきた態度に驚く。

「そんな!この子はこんな酷いけがをさせられているんですよ?」生贄や裁判の証拠は無くとも、天は誰がどう見ても怪我をさせられている。暴行罪や傷害罪として動くのには十分だろう。

「それなんですがね、えーと、持ってきてもらった診断書の方には『動物による噛み後が考えられる』ってお医者さんの所見で書かれてるんですよね。先ほどのお話の中で、ご自宅で大型のペットを飼っていると言ってましたよね?」

「そうですけど……違いますよ?あの子に噛まれたわけじゃないです」遠藤警官はレオに噛まれていると思っているのだろうか。

「そうなんですかー、ちなみに何を飼っていらっしゃるんです?どんな種類なんでしょう?」

「それは……」

 狼を飼うとなれば、申請が必要なうえ、ゲージ等の然るべき飼い方が求められるのは、何となく知っていた。そもそもうちはペット禁止の物件だ。

「ちゃんと申請されてるんでしょうか?大型のペットはしつけをしていないと、噛まれて重症を負うこともあるんですよ」

 どうしたというのか。先ほどまであんなに親身になって聞いてきてくれていたのに、急に取り調べのような質問の仕方をしてくる。やはり、さっきの電話で何かあったのか。

「レオはそんなことしません!」突如、天が大声をあげて否定する。

 待合室がざわざわとして、こちらに注目が集まる。家族同然のレオを侮辱されたとなれば、流石に天も黙っていられなかったようだ。

「ちょっとちょっと、困りますねえ、こんなところで大声を出されては。まあとにかく、現段階では警察は動けません。それに、先ほど上司に確認したところ、但馬汐村に関するガセネタが多く寄せられて我々も混乱しているので、もし本当に被害にあっているというのなら、確固たる証拠を持って再度来てください。それでは」

 それだけ言うと遠藤警官は立ち去ってしまった。

「あ!ちょっと待ってください!本当に但馬汐村で私たちは被害にあったんです!嘘なんかついてないです!」遠藤警官を止めようとするが、まるで取り付く島がない。

 待合室の人たちの目がこちらに向けられていてる。

「タマシオムラ?どこだそれ?」

「なんかテレビでやってたとこじゃない?ほら、大規模火災がどうとか」

「でも、犯人捕まったんじゃなかった?何しに来てるの?」

「なんかネットだと、呪われた村とか書いてたよ。こわーい」

 ぼそぼそとこちらに聞こえるか聞こえないかの声の大きさで話をしているのが聞こえる。何も知らないくせに自分勝手な憶測で話され、腹が立つ。

「……すみません、大きな声を出してしまって。……帰りましょうか。今のままだと警察はこれ以上動かなさそうです。他の方法を考えてみましょう」

「うん……そうだね」

 奥の方に座っている遠藤警官は、わざとこちらが帰るのを見ないように目を逸らしている。誰に何を言われたというのか。


 ※


 私たちは一度家へ帰り、警察以外に動いてくれそうな、雑誌や新聞を扱っている会社に相談しようと考えていた。

「マスコミは話題性があれば記事にするって聞いたことがあるから、但馬汐村ならきっと話を聞いてくれるはず」根拠は全然ないし、ツテは無いが、手あたり次第にアポをとってみよう。一社ぐらい聞いてくれないだろうか。

「もし取り上げてくれたら、世間にもっと認知されて、警察も動かざるを得ない状況になれば……」

「但馬汐村での犯罪行為が明るみに出て、組織の解明にもつながって、私たちを含めて被害を受けた人たちが報われる」

 そう思っていた矢先のことだ。

 やたらと消防車や救急車が交差点を走り抜けていく。

「雨堤さん、なんだか焦げ臭くないですか?」

「どこかで火事かな……」


 自宅に近づくにつれてサイレンの音が大きくなっていく。

 周囲も煙たくなってきている気がする。

「まさかね……」

 自宅へ帰るための最後の曲がり角を曲がった時、私たちは言葉を失った。

 自宅である二階建てのアパートは、赤とオレンジと黒色の煙に包まれ、ゲームに出てくる悪魔の城のようだった。

「うそ……」

「……そんな、レオ、レオが中にいたままです!」

「どこかにいない?まだあの火の中だったら大変……」

 自宅のカギは玄関からベランダまで全て施錠している。レオならば突き破ることは可能かもしれないが、外に出ていないと考えれば、まだ部屋の中に閉じ込められている可能性が高い。

 辺りには野次馬が集まっており、消防車や救急車、パトカーが大量に押し寄せている。

 消火活動にあたる消防士の叫び声や、心肺蘇生をする救急救命士、無線で何かのやり取りをする警官、怪我をしたのか鳴いている子供やその親で、周囲は地獄絵図と化していた。

「レオ!レオ!どこなの?」

 人の少ない垣根や、路地、階段付近をくまなく探したが、レオがいた痕跡が見つからない。

「本当にまだ建物の中なの?」 

 天が火が燃え盛っている建物の中に入って行こうとする。

 十分離れていても、火の熱が襲い掛かってくるため、建物の中は相当な温度になっているはずだ。

「何してるの!危ないよ!」

「でも!この中にレオが!」

「君たち何してる!離れなさい!」

 消防士の人の力を借りて、ようやく天を建物から引き離すことができた。

「何してるんですか!この中に入ってはいけません!」

「離してください!まだ残っているんです!私の家族が!」

「今は火の勢いが強すぎます!必ず助けに行きますから、それまで待っていてください!」

「天ちゃん、今は消防士の人に任せよう」

「レオ……」

 消防士は消火活動に戻っていってしまった。

「さあ、こっちに行くよ」

 力なく崩れ落ちる天を支え、建物から少し離れた所に座らせる。

「レオは賢い子だからきっと大丈夫だよ」

 つい先日まで山の中で暮らしていたのだから、自分の身に危険が迫っていると感じたら逃げそうなものだが、今もまだその姿を見せていない。

 まさか本当に火の中にいるのだろうか。飼い主が心配しているんだから早く出てきなさいよ。


「いやあ!まだ私の妹が部屋にいるんです!早く!早く助けてください!」

 銀髪の女性が野次馬の近くで警官に向かって泣き叫んでいる。どうやら彼女の家族もまだ建物から出てこれていないようだ。

「落ち着いてください!あなたまで巻き添えを食うことになる!」警官に必死に止められて、なんとかその場にとどまっているようだ。

「あの人の家族もまだ中に……」

 その時、爆発音とともに窓ガラスが割れ、火の勢いが一層強くなった。バックドラフト現象というのか、建物の外壁を覆うように一気に燃え広がる。

 周囲の人たちは驚きの声をあげ、エンタメでも見ているかのようで、まるで他人事だ。自分の身内が危機にさらされている人の気持ちになぜなれないのか。

「……無神経な人たち。天罰が下ればいいのに」

「天ちゃん……」

 野次馬の中の一人が叫び出す。

「あ!なんか窓ガラスの所になんかいるぞ!」

 指さした方を見ると、割れた窓ガラスの近くにレオがいた。

「……あれ!天ちゃん!レオだよ!レオがいたよ!」

 意気消沈している天に伝える。

「え?あ!レオ!無事だったの?早くこっちに!」

 天が大きな声と腕を振って、レオに合図を出している。

「ん?何か咥えてる?」遠くからでも、何か大きなものを口元に加えているように見える。

 天に気づいたレオはその場から少し下がり、助走をつけてこちらにダイブしてきた。

 無事に着地すると口元に女性を咥えていた。そっと近くに下ろしてあげている。女性は所々火傷の跡があったが、大きな傷はなさそうだ。

「ああ!美咲!美咲!」先ほどの銀髪の女性がレオの近くに走って近づく。同時に天もレオの近くまで行き、怪我がないか確認する。

「レオ!怪我はない?よかったあ、本当によかった……」

 レオの全身が煤で黒くなってしまっているが、大きな傷は見当たらない。不幸中の幸いだ。

 きっと自分だけでも逃げられたのだろうが、倒れている女性を助けるために、火の中を掻い潜っていたのだろう。勇敢なやつだ。

「美咲……起きてよ……いやあ!誰かあ!」

 レオが咥えてきた女性の意識が戻らないようだ。煙を大量に吸ったのか、近くにいた救助隊によって心臓マッサージが行われている。

「まずいな……早く病院に連れていきましょう!救急車!」

 私たちが呆然と救助の様子を見ていると、銀髪の女性が怒鳴りかかってきた。

「なんなのよ!あなたのペットなの?美咲をこんな目に合わせてどういうつもりなの!」

「え……?」

「いや、レオは助けただけだと思うんですけど……」

 私も天も、てっきりお礼の一つでも言われると思っていただけに、唖然としてしまった。

「助かってないじゃない!意識が戻らなかったら、あなたたちを訴えますからね!絶対に許さない!」

 鬼のような形相をしたまま言い捨てて、救急車に乗り込んで行ってしまった。

 周りにはこちらの様子を動画で撮影する者がいたり、レオの悪口を言う者が出てきていた。

「あれ犬?狼じゃね?なんでここにいんの?」

「狼って飼っていいんだっけ?ってか俺ら喰われたりするんじゃね?やばくね?」

「とりあえず撮影しとこ……」

 なんでこっちが悪者になっているのか。そもそも火災になった原因は私たちじゃない。ただの自然発火か、それとも放火か。もし放火なら、組織による私たちへの報復とも考えられるが、どちらにしても私たちは間違いなく被害者だ。

「……雨堤さん、一先ずここを離れましょうか。レオがいると目立ちますから」

「そう……だね」

 後ろ指を指されながら現場を後にする。

 部屋にあった荷物などは火災保険が下りるのだろうか。


 ※


 近くのホテルやマンガ喫茶で一夜を過ごそうと何件か回ったが、動物同伴が許されるところはどこにも無かった。

 動物用のホテルも狼は拒否されてしまった。扱える特殊な人はそうそういないか。

「すみません、レオのせいで。あの、雨堤さんだけでも泊まってもらえればいいのですが……」

「私だけそんなの駄目だよ。……今日は公園で仮眠しようか」

 

 警察署でのことや自宅の火災のことで二人とも体力が限界だった。何かの法令に違反するかもしれないが、近所の公園のベンチで私たちは身を寄せ合って眠ることにした。

 眠っている間に誰かがこちらに来て何かを言っていたような気がする。酒に酔っ払った若者かパトロール中の警官か、いずれにしても、レオが吠えて威嚇してくれたおかげで、夜中に起きることはなかった。


 ※


 朝日が顔にかかり、強烈なまぶしさで目覚めた。固いベンチで眠ったせいか、体はバキバキだ。

 隣には顔が煤だらけになってしまった天とレオがいる。きっと自分も同じだろう。

 明け方のぼんやりした頭で昨日のことを考える。警察でのことも火災のことも、やはり偶然で片付けるには不可解な点が多い。

「……やっぱり私たちのことを狙っている組織がいるのかな」

 覚悟はしていたことが、警察で相談中に邪魔をされたり、いきなり住処に火を付けられるのは、実際に被害を受けると辛いものがある。警官には怪しまれ、衣服から身分証明書も含めて何から何まで燃えてしまった。

 取り出したスマートフォンのニュースには、昨日の火災のことが書かれていたが、事実とは異なる内容だった。

「……なにこれ」

 記事の中にはレオと私たちが映った写真が掲載されており、あたかも放火した犯人のように書かれていた。

 さらに、どこから漏れた情報なのか、私たちが但馬汐村にいたことが書かれており。そして、但馬汐村から出たあとに消息不明となっていることから、連続放火魔ではないかと疑われているようだ。

「はは……好き勝手書いてくれちゃって」

 こんな連中に力を借りようとしていたのかと考えた、自分にあきれる。真実を話しても面白おかしく書かれて終わりの可能性が大きい。

「警察もマスコミも信用できないとしたら、どうすれば世間は動くのか……」弁護士を味方につけられないだろうか。昔何かの動画で、弁護士と共に警察署を訪れたら、今まで取り付く島もなかった警官が、急に話を聞いてくれて、動いてくれたというのを見た気がする。

「あ、雨堤さん……おはようございます」

 天が私の声で起きたようだ。

「おはよう。天ちゃん」

 天にもこのニュースの内容を見せると、私と同じ感想を言ってくれた。同じ気持ちなようだ。

「天ちゃん、いっそこのままどこかに逃げようか……私たちのことを受け入れてくれる、私たちのことを知らないどこかへ」

 天ははっとした顔になったが、すぐにいつもの表情に戻る。

「はい、そこで少し休みたいですね……」

「うん。それで、但馬汐村で被害にあった人たちの証言を集めよう。そして、弁護士を通して今度こそ警察に動いてもらおう。私たちに危害を加えてきた組織ごと潰してもらおう」

 希望的観測と言われればそこまでだが、今考えられる現実的なプランはこれしかない。

「移動先なんですけど、一か所知っているところがあります。本当に何もないところですが、一度父と訪れた小さな島があるんですが……」

 天はここから遠く離れた『緑松島りょくまつとう』について説明してくれた。私たちはそこへ身を潜め、時が来るまで耐えることにした。


 ※


 この島に来て一年が過ぎようとしている。

 緑松島は人口が百人程度の小島で、本土との連絡船も一日一便しかない。普通の人なら嫌がる場所でも、私たちにとっては、よそから来た人がいればたちまち島で噂になるというメリットがあり、組織から隠れるにはうってつけの場所だった。

 天とレオと協力して、島の森の中に畑付きの小さな小屋を建てた。八畳程の床面積だが、ロフトをつけて、居住空間を確保している。

 ここを拠点として、但馬汐村にからの情報収集及び、警察が動かざるを得ない決定的な証拠づくりを行っている。同時にこの手の話題に強い弁護士も探している。

 まあ、何か目ぼしく進展したことがあるかと聞かれると、耳が痛い。

 さらに、但馬汐村に関する情報を集めるために、ブログを開設した。が、寄せられる情報の多くはオカルト染みた都市伝説のようなものがほとんどだ。ごく稀に本当に被害にあったのだろうと思われる人から連絡が来ることもあり、メール本文や連絡先を証拠として保存をしているが、あくまで文章と実名と思われる氏名程度しかなく、写真や動画と言った決定的な証拠を持っている人とは未だに出会えていない。

 ただ、被害にあった内容を聞くと、佐上係長や山内先輩と同じように、祭りの生贄と称して桟橋から突き落とされたということは共通している。また、警察に被害届を出したとしても取り合ってもらえない状況も、私たちと同じようだった。

 もちろんこれからも但馬汐村についての情報収集は続けていくつもりだが、継続していくにはお金がかかる。ライター業をネットで請け負いながら、なんとか日々を食いつないでいるが、貯金が底をつきそうで、常に不安にかられているのもまた事実だ。

 天は左肩の状態がなかなか回復せず、手先を少し動かせる程度にしか戻っていない。本土の病院で適切な治療やリハビリをすれば元の状態に近づくことができるのかもしれないが、身を隠しながら生きる私たちには難しい話だ。また、障害者手帳の申請が出来れば、生活ももう少し楽になるのだろうが、これも先ほどと同様の理由で却下だ。

 今はできる範囲で畑作業や近所の神社でアルバイトをしてもらっている。

 どこまで続けられるのか先の見えない状態に、私たちは疲弊している。


 ※


「雨堤さん……じゃなかった。葵さん、ただいま戻りました」

「もう、『さん』もつけなくていいってば。そういうの無しにしようって言ったじゃない?」

「そうなんですが、なかなか慣れなくて……」

 照れている天がかわいい。出来れば敬語もやめてもらって、もっと距離を縮めていきたいのだが、もう少し時間がかかりそうだ。

「今日は何か、新しい情報はありましたか?」

「ううん。今日も収穫は無しね」

「そうですか……なかなか集まらないですね。あ、今日はちゃんとお薬飲みましたか?」

「心配性だなあ。ちゃんとほら、飲んだよ」私は空になった薬のケースを天に見せる。

 いつここが組織にバレて、襲撃されるかわからないという恐怖からなのか、次第に私は眠れなくなってしまった。一日に何度も倒れる私を見かね、天に連れられて病院に行くと『睡眠障害』と『鬱病』に片足を突っ込んでいると言われた。その後、小屋から離れるとパニックを起こしてしまう私に代わって、月に一回天に、本土の病院で薬をもらってきてもらっている。いつのまにか薬に頼る生活になってしまっていた。早く治して天を安心させてあげたい。

「ああ、よかったです。この前もお医者さんからちゃんと飲むようにきつく言われてしまいましたから、お願いしますね」

「うん。了解しました。天先生」

「先生じゃないですよ……それで今は何をしていたんですか?」

「ん?ああ、監視カメラのモニター中だよ」

 小屋の周りに監視カメラを六台設置しており、襲撃があれば録画されるようになっている。証拠づくりの一環だ。

「……葵さん。監視カメラに何か動くものがあれば、自動的に録画されて、ネットに配信されるように設定したんですから、ずっと張り付いてないで、少し眠ってみてはどうですか?」

「でも、システムでそうなってたとしても、誰か襲いに来たら天ちゃんをすぐに守れないって考えたら、やっぱり眠れなくて」

 この小屋の周辺に監視カメラを設置して、常時敵襲に備える仕組みを作っている。もし怪しい人物がいれば、リアルタイムで動画配信サイト上に流れるようにしているので、やつらもそう簡単に手を出すことができなくなるだろうという目論見だ。

「あまり無理をしないでくださいね。もし葵さんまで何かあったら私はまた一人になってしまいますから……」

「うん……ごめんね。もう十か月になるか」

 レオはこの島に来て二か月後に亡くなった。木暮村長から受けた傷は、外から見る分には癒えているようだったが、内臓のダメージが大きく、徐々に体を蝕んでいったのではないかと思われる。悪いことに、レオは天の気の力で治療をしていたが、天自身の体がダメージを受けているからか、上手く力が出せなくなっており、満足な治療をしてあげることができなかった。最期は天の腕の中で安らかに逝き、小屋の前にお墓を建ててあげた。

 その日以来、天はすっかり元気をなくしてしまい、元々細かった体が、さらに細くなってしまった。物に躓くことが増えたり、ふらついて倒れたりする場面もあったりと、心配な場面が増えてきている。

「そういえば、剛田さんからは何か連絡ありましたか?」

「いや、連絡はまだないよ。早く二人のお墓も建ててあげないといけないのに」

 最後に剛田所長と約束した、佐上係長と山内先輩のお墓を建てることについては音沙汰なしのままだ。二人がいつまでもあの忌々しい村の中に放置されているのは心苦しいが、剛田所長と連絡がとれない以上催促することもできない。また、但馬汐村には、大規模火災があってから危険区域と認定されたため、バリケードが張られてしまい、入ることが出来ずにいる。

「はあ、一年経ったっていうのに何にも進まない。本当にごめんね天ちゃん」

「葵さんが悪いわけじゃないんですから。いいんですよ、少しずつやりましょう」

 今は天の笑顔だけが救いになっている。失望させないためにも、私が頑張らなくてはいけない。


 天は畑で採れたピーマンと茄子を炒めて、ご飯を作ってくれている。正直なところ食欲は全くないし、料理の味付けも塩と胡椒だけの味気ないものなので、さらに食べる気が起きない。だからといって、他の調味料を買う余裕はうちにはない。が、天が丹精込めて作ってくれたものをないがしろにするわけにもいかない。

「はい、それじゃ畑でとれた野菜の炒め物が出来ましたよ。沢山食べて、今日はもう寝ましょう」

「ありがとう。……うん、今日も採れたてでおいしいね」

 嘘をつく。いつから私は天に平然と嘘をつくようになってしまったのか。笑顔の自分が怖い。

 こんなはずじゃなかった。但馬汐村のことが世間に認知されて、警察も本格的に動いて、桟橋の下をくまなく捜索してくれて、裏で暗躍する組織も壊滅して、もっとみんなで明るく、楽しく、たまに旅行なんか行ったりして、そんな当たり前の生活を望んでいた。

 どこで躓いた、証拠がないから、お金が無いから、私たちが若いから、なにが原因なのか、誰か教えてほしい。

「……さん?雨堤さん!」

「え?あ?どうしたの?」

「大丈夫ですか?目が虚ろになっててびっくりしました」

 心配そうな顔でこちらを覗き込んでくる。

「ごめん……やっぱちょっと疲れてるのかな。今日はもう横になるね」

「はい……おやすみなさい」

 ロフトに上がり、ベッドに横になってみる。が、頭の中はぐるぐると回って落ち着かない。先の見えない恐怖と亡くなっていった者へ顔向けができない焦燥感の間にずっといる。

 もういっそ但馬汐村のことなど忘れてしまえれば、どんなに楽なのだろうか。気だけが焦ってしまう。天がせっかく貰ってきてくれた薬が効いていない。早く眠ってしまって、生きている感覚を遮断したい。


 ※


 どれだけ眠れただろうか。耳鳴りが酷く、高音が頭につんざく。体はまだ熱っぽくてだるい。部屋は暗くなっている、天が消してくれたのか。

 スマートフォンに目をやると、夜の二時を過ぎていた。数時間は眠ることができたようだ。スマートフォンの画面で、外に設置してある監視カメラの映像を見る。特に不審者がいなくても確認するのが、いつの間にか習慣になっている。映像には暗視カメラモードで映し出された、緑色の画面が映っているだけだった。

「まあ、誰もいるわけがないんだけど……」

 いや、見間違いだろう。恐らくキツネとか鹿の類だろう。でも、人間の姿をしていたような。

「……大丈夫、大丈夫。この島に誰か不審者が来たらすぐに島中で噂になるはずだし」

 いざとなれば小屋の玄関に置いてある猟銃で撃退するんだ。この島には熊や鹿が出るということで、猟や護身用で猟銃を持っている家も多い。私たちも護身用にという名目で免許を取得し、猟銃一丁を常備することにした。

 他にも念のためスタンガンを用意しているが、いつも充電してあるので、大丈夫だ。但馬汐村では沢山天に助けてもらった。次は私が天を守る番だ。


 外から草木が不自然に揺れる音がする。誰かが小屋の周辺を歩いている気がする。監視カメラには映っていない死角のようだ。

「くそ……カメラの位置に気づいているのか?」

 ゆっくりと、足音を立てずにロフトのはしごを降り、玄関まで行くと、猟銃とスタンガンを手に取った。

「これでいい、これで」

 天はまだぐっすりと眠っている。慣れない土地で身体を酷使して、細くなってしまった腕や脚は、何かの拍子に折れてしまいそうだ。

「……天ちゃん、天ちゃん」

 細い肩を揺さぶって起こそうとするが、起きる気配がない。相当深く眠ってしまっているのか。

 外で誰かが歩いている音がする。間違いない、人が小屋の周りをぐるぐると歩き回っている。

「起きて!天ちゃん!」

 もぞりと天が身体を起こした。

「え……葵さん?どうしたんですか?」眠気眼の中驚いた表情をしている。

「敵が外にいるの!私がこれで排除するから、天ちゃんは隠れててね!」

「わ……わかりました……まだ音してますか?」

「いるよ。ずっとぐるぐる歩いてる……」

 しまった。いつまでも乗り込んでいないのは、こちらの様子を伺っているのではなく、何かの燃料を撒いているとしたら?あの日のように自宅を火事に見せかけて、私たちを丸焦げにするつもりだ。

 このままだと二人ともやられてしまう。

「……こちらから出ていかないと!」

 私は天を置いて玄関のドアをゆっくりと開けた。外は月明かりがわずかに出ていたので、少しだけ辺りが見渡せる。

「どこにいる……」

 猟銃を構えて、辺りに目を凝らす。草むらの陰か、木の後ろにいるのか。どこにいる。

「葵さん……誰かいましたか?」

 後ろから天の声がする。

「出てきちゃダメ!何人いるかもわからないんだから!」

 単独犯とは限らない。この小屋を一周囲めるほどの人数出来ているかもしれない。そうなれば、囲まれる前に攻撃をしかけて逃げ出さなくては。

 そう思った瞬間、草むらの陰から誰かが出てきた。陰になっていて顔は全く見えない。

「誰!?誰なの!」

「葵さん!誰かいましたか?」

 天が私の隣まで駆け寄ってくる。シャワーに入りたてなのか、髪からいい匂いが漂ってくる。私と同じものを使っているのに、全然違う匂いがする。

「葵さん?大丈夫ですか?」

 草むらの陰から出てきた人がこちらとは反対方向に走り出していく。

「あ!逃げた!くそっ!」

 ここで逃がしてしまっては、組織のことがわからないことはもちろん、仲間に私たちの居場所がバレてしまうことにも繋がりかねない。逃げられては困る。

 猟銃は重くて邪魔になる、私はスタンガンを片手に走り出した。

「葵さん!待って!どこに行くんですか!?」

 天に説明をしている暇はない。今は奴を見失ってはいけない。


 小屋から島の商店街の方まで走ってきたが、足が速く見失ってしまった。

「はあ……くそ、どこに行った」

 隠れやすそうなところを虱潰しに確認していく。防波堤の裏、民家の塀の中、路地。また森の中に入られてしまっては、厄介だ。

「あれ?雨堤さんじゃないですか?」

 不意に後ろから声をかけられ振り向くと、この島の警官である勅使河原さんがいた。

「あ、こんばんは。ちょっと色々ありまして……」

 ここで本当のことを言っても理解してもらえないだけでなく、また疑われてしまう。

「いやあ良かった!実はさっき血相を変えて天さんから電話がかかってきましてね。急に雨堤さんが家を出て行ってしまったから見つけてほしいって。でもすぐ見つかってよかった」

 勅使河原警官は安堵の表情を浮かべている。

 天が?どうして?だって説明してから出てきたのに。

「あ、本当ですか。おかしいな……」

 スマートフォンを確認するが、天からは何も連絡が入っていない。この島に来る前に、天も携帯電話の契約をして、何かあった時はまずこの携帯で連絡を取り合おうと言ったのに。どうして使わずにいきなり警察官に連絡したの?

「とにかくよかったです。あ、でも一応書類作らなきゃいけないので、交番まで来てもらえますか?」

「あ、はい。すみません……」

 そういうことか。ついつい信じ切ってしまっていたが、よく見れば先ほどの影と勅使河原警官の背格好が同じ気がする。

 つまりは、勅使河原警官が小屋の周りをうろついていた人間ということだ。

 勅使河原警官がこちらに背を向けて交番に向かって歩き出した。

「でも、流石に夜中にいきなり飛び出すのは感心しませんな。天さんもまだ傷が言えていないんですから、あまり心配させてはいけませんよ?」

「ああ、そうですね……でも、余計なお世話ですよ」

 首筋にスタンガンをあて、スイッチを入れると電流の流れる大きい音がして、勅使河原警官はその場に倒れた。

「この……悪魔め。人の心配をするふりをして騙そうとするなんて、反吐が出る」

 そうだ、こいつ何か持っていないか?……何かないか……身分証明証は普通、財布にも怪しいところはない。スマートフォンはロックがかかっていて見ることができない。

 組織につながる証拠は見つからない。

「くそっ……他にも何か……」緊張からか、ここまで走ってきたからか、汗が目に入って邪魔をしてくる。

 こういうやつは靴の中に何か隠していることがあると映画で見たことがある。革靴のヒモを解いて確認しよう。

「おい!葵!何してんだ?」

 誰だ?こいつの仲間か?

「あ……源田さん……」

 この島の漁師の源田さんが目の前に立っていた。強面でとっつきにくそうなしゃべり方であるが、ここに来て私たちのことを魚料理でもてなしてくれる親切な人だ。いつも大事そうに顎髭を手で触っており、海に出ると髭が風になびいて、いい漁場を教えてくれるという。

 まさかこんな場面を見られるなんて。

 持ち物を確認することに集中しすぎて、周りが見えていなかった。気づけば周りが少し明るくなってきていて、漁に出る時間になっていたのだから、もっと早くに気づけばよかった。

「お……おい!そこに倒れているの勅使河原さんじゃないか!葵どういうことなんだ?助けを呼んだのか?」

 道端に倒れている勅使河原警官に近寄って、息があるか確認しているようだ。

 いくら優しい源田さんでもこの状況を見たら、私を警察に突き出すんだろうな。片手にスタンガン持ってるの見られてしまったかもしれないし。

「……すみません」

 そっと源田さんのうなじにスタンガンをあててトリガーをひいた。勅使河原警官に重なるようにして、どしんという音と共に倒れた。

 仕方がない。天を守るためだ。仕方がない。

 視線を反対車線に向けると、二階の窓から誰かがこちらを向いていた。目があうと勢いよくカーテンを閉められてしまった。

「ああ、見られてたのか」

 この島で110番にかけても、交番につながるだけだから、急ぐことは無い。勅使河原警官以外この島に警官はいないのだから。それに、もしかしたら窓から見てたやつは、組織の人かもしれないし。いや、この島全体が組織の息がかかっている人たちで構成されているのかもしれない。

 危ないこのままでは、私たちが危ない。

 勅使河原警官の腰から拳銃を借りていく。弾は五発。

 ガソリンスタンドに入る。店は閉まっているが、犯罪など起きないという慢心か、鍵が開いていることは知っていた。

 丁度車検に出していた軽トラをここに預けていたので、ガソリンをポリタンクに入れ、荷台に詰められるだけ乗せた。

 この島の家の構造は、ほとんどが木材で出来ている。戸建てもあればアパートのような建物も何棟かあるが、どれも隣までの距離が近い。

 先ほど二階の窓から見られてしまった家を中心に、ポリタンクに入っているガソリンをまいていく。

 まだ村人のほとんどが眠っている時間だ。

「私たちを欺いて、酷い人たちだった。緑松島も但馬汐村となんらかわらないじゃない」

 ライターに火をつけ、撒いたガソリンに火をつけると、想像以上のスピードで火が建物に回り、巨大な火柱が何本も立ち上がっていく。

 何人かは家の外に出てくるかと思って、拳銃を構えていたが、誰も出てこないようだ。代わりに人が叫ぶ声が遠くから聞こえるが、罪人の断末魔など聞きたくもない。さっさと燃え尽きてくれ。

 しばらくすると、漁場に出ていた漁師が帰ってきて、目の前の惨劇に呆然と立ち尽くしている。わざとらしい、そんな演技で私たちを欺けると思っているのか。

 拳銃を構え、一人二人と打ち抜く。その後に村の消防隊が来たので、同じように打ち抜くと丁度弾切れになった。

「これで……これで私と天と二人の島がようやく手に入った。安心できる住処がやっと。天ちゃん喜んでくれるかなあ」

 自分の手の平がガソリンや血でどろどろに汚れているので、早く綺麗にして、天ちゃんを抱きしめたい。

 そういえば天はどこにいるのだろうか。こんな素敵な夜は一緒にいたいのに。心配をかけてしまった。


 ※


 小屋の前に戻ると、そこに天が座っていた。

「あ、天ちゃん。終わったよ。全部片づけてきたよ。もうね?もう怯えて生活しなくていいんだよ?ずっと二人で一緒にいられるよ」

「葵さん……」

 なぜだろう。天は悲しい顔をしている。

「あのね、但馬汐村のことを口外したら襲ってくる人たちを全員やっつけたの。この島にいる人たちがみんな組織の人で、私たち危なかったんだよ?」

 どうしてだろうか。天が喜んでいない。

 ふいに大きな影が目の前に現れた。それは忘れもしない男だった。

「お久しぶりです。雨堤さん」

「うそ……」

 天の隣にいるのは木暮村長だ。いや、奴は但馬汐村の桟橋で突き落としたはず。生きているわけがない。でも、この耳に残る声は間違いなく、木暮村長そのものだ。

「いやあ、派手にやりましたね。私も天さんもここまでやるとは思っていませんでした」

 何を言っているの?何のこと?どうしてこいつが生きてる。

「どういうこと……天ちゃん!何でこいつ生きてるの?何かされたの?どうしてあなたが生きているの?早くそいつから離れないと!」

「葵さん……ごめんなさい」

 どうして謝っているの?わからない。早く逃げないと。

「私もさすがに桟橋から二回も落とされるとは思いませんでした。最初はなんとか木がクッションになって助かりましたが、二回目はパラシュートを装着していて助かりました。過去から学ぶことは大切ですね」

 そんな馬鹿なことがあっていいのか。確かに落ちていったはずなのに。

「そして私がここにいる理由なんですが、時間もアレなので簡単に説明しますね。天さんは私と取引をしたんですよ。雨堤さんを犠牲にして、組織の追ってから逃れるように手配することを約束しました」

「私を犠牲に……?何のことを言ってるの……」

 嘘だ。天がそんなことをするはずがない。

 木暮村長がうろうろと周りを歩きながら話す。

「雨堤さんが病院に通っていることはすぐにわかりました。だいぶ精神的に参っていたみたいですね?病院で待っていれば、雨堤さんに会えて、お礼ができると思っていたのに。まさか天さんが来るとは予想外でした。天さんは家族同然に愛していたレオが、あなたがこの島に無理やり連れてきたことで亡くなり、大変疲弊していました。なので、雨堤さんに特別な薬を飲ませることに成功すれば、追ってからの目を背けるように取り計らうと契約したのです」

 木暮村長が片手にカプセルを持っている。それは天が病院からもらってきてくれる薬で、私が毎日飲んでいるものだ。

「薬……?いや、別に私は何とも……」

 天は固く眼を閉じて下を向いたままだ。

「これは病院から処方される薬ではありません。但馬汐村で自生している『ベスパル』と呼ばれる果実なんですが、これを乾燥させたものが、このカプセルに入っています。飲み続けると恐怖心や焦燥感と言った負の感情が増幅されて、それを解消するために積極的に行動するようになる効果があります。但馬汐村のみなさんにも食事と一緒に摂取していただいていたので、負の感情が高まると、法外な行動をとることも辞さない考えになっていたんですね」

 だからお祭りでの生贄や村内での裁判といった異常行動も正当化されたようにみんなやっていたというのか。ありえない。そんなものが存在するなんて、ましてや私がなにをしたっていうんだ。

「そして、あなたは日々組織から追われる恐怖と先の見えない焦りが爆発したと。でも、まさか緑松島に住む人たちを焼き殺し、銃殺するとは、想定外でした」

 そうだ……私がしたことは犯罪だ。なぜあんなことを。自分の気持ちに正直に動いたことは事実だが、私はなんてことをしたんだ……

「葵さん……最後まで一緒にいると約束したのに申し訳ありません。どうしても……怖くて」

「天ちゃん……」

 天まで私を裏切るなんて……

「おや、また負の感情が高まっていませんか?あまりマイナスなことを考えてしまうと、体によくありませんよ?」

 何を知ったような口をきいているんだ。私の何がわかるというんだ。

「……うるさい」

「おやおや……?」

「私が何をしたって言うんだ!何か悪いことでもしたって言うのか!」

 憎い、全員が憎い、全てが憎い、嫌いだ。

「まだわかっていないようですね。あなたが但馬汐村で余計なことさえしなければ、山内さんが亡くなることこともなければ、天さんが二度と治らない大怪我を負うことも、レオが亡くなることもなかったんですよ?」

「……そんな、私が原因だっていうの?ね、ねぇ天ちゃん違うよね?私のせいじゃないよね?」

 体が煮えるように熱い、見たくないもの聞きたくないものを無理やりねじこまれている気分だ。

「……そう、思いたくないですが。でも、が来てからすべてが狂ったと思います」

「天ちゃん……?嘘だよね?」

 ……本気で言っているのだろうか。足元からすべて崩れ落ちる感覚だ。

「天さんは嘘は言ってませんよ。これから但馬汐村を再建することも約束してくれましたし」

 なんだって?

「但馬汐村を再建?何を言ってるの?あの村のせいで全ておかしくなったんだよ?それを再建だなんて……」

「それでもあの村にしか私の居場所はないんです。あの村が私の生まれ故郷なんです。この島に来てわかりました」

 どうして?新しいスタートを切って、ようやくこの土地に慣れてきたというのに。なぜまた戻りたいのか。

「さて、そろそろいいでしょうかね?これだけの大火事が本土の方で確認されて、連絡がつかないとなれば、警察や消防が海を渡ってくるでしょう。その前に私たちは退散するとします」

「……私は大量殺人鬼として捕まるってシナリオなのね」

「恐らく歴史上に残るでしょうねえ。島人全員を一夜にして葬ったのですから。しかも明確な意思を持ったうえでの犯行ですから、二度と塀の外には出られないでしょう」

 当たり前だ、何もされていないのに被害妄想で一方的に殺害して、無罪になるわけがない。

 私は死んだも同然だ。

 天は木暮村長に手を取られて森の奥に消えていった。

「さようなら、雨堤さん」


 ※


「……とても信じられない話ですが、雨堤さんが嘘を言っているようには聞こえませんでした」

 面会室のガラス板の向こうにいるのは『西田にしだ』というフリーのライターだ。緑松島で開設したブログに、よく但馬汐村についてコメントをくれていた人物だ。

「嘘は何一つありません。全て本当の話ですから」

「でも、この話が全部本当の話だとすると、私も組織から狙われてしまうかもしれないわけですね」

 ここまで聞いておいて、身の保身を考えているのか。器の小さい男だ。

「最初に忠告した通り、但馬汐村について知りすぎていると危険な目にあうでしょう。くれぐれも用心してください」

 わかりました。と言って西田は面会室から出ていった。彼が来たのはこれで六回目になるか。

 緑松島での大量殺人鬼として私はすぐに逮捕された。裁判の判決の結果、私は精神面に疾患があると判定され、死刑ではなく無期懲役を言い渡された。

 西田の話では、判決の結果に納得いかない人間が溢れかえっていたそうで、世間は私のことを死刑にしたがってたらしい。どこまでも他人には厳しく、自分には甘い国民だ。

 また、但馬汐村という村は現在の所、どこにも確認されておらず、大規模火災を招いた但馬汐村跡地は、バリケードが張られたままだそうだ。天も木暮村長の行方も分からない。本当に但馬汐村を再建するのだろうか。

 だが、ネット上では但馬汐村と緑松島での事件のことに、因果関係があるのではないかと話題があがっているそうで、西田が作成する記事は、それなりに上々な評価をもらっているらしい。

 願わくば私と同じように、組織の人間に嵌められることの無いとよいのだが。それで死するのも、ジャーナリストとしての本望なのかもしれない。


「一七番部屋へ戻るぞ」

 この刑務所での私は『一七番』という番号が当てられている。ここに来て三年が経ち、この呼ばれ方にも慣れてきた。


 部屋に戻ると、隅に隠すように紙切れが落ちていた。面会室に行く前にはなかったはずだ。

 紙切れは二つに折りたたまされており、真ん中にが付着していた。そして、右下には『休息をあなたに 天』と書かれていた。

 天の文字は見たことがないので、本人が書いたものかはわからなかったが、今の私にはそれでも心が躍るほどに嬉しかった。

「生きているのね……天ちゃん」

 紙から天の匂いがする。懐かしい思い出が写真のように一枚一枚脳内で再生される。

「私、がんばれてたかな?」

 付着していた赤い実を口に運ぶ。

 皮は柔く、とても甘くて、鉄の匂いが脳を揺らした。

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但馬汐村 陽炎 綾 @kagerou_aya

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