第39話

 「……どういうつもりですか、姉さん」れもんはそう言ってわたしを睨んだ。「何の話があるというのです?」

 わたしはれもんの前に屈み込み、その頬に手を当てて言った。

 「ごめんねれもん。お姉ちゃん、陰で猫を殺して遊んでいたの。あなたはそれを信じたくなくて、だから姫島に協力してわたしのことを調べていたんだね」

 「……そうですね」れもんは忌々し気に目を反らす。「亀太郎にこの家に連れて来られて、初めて猫を殺した時のことは今でも覚えています。拒めば自分の身に危険があるだろうことは分かったので、なんとかいう通りにしました。そしたら……」

 「わたしも黒ムツだった」わたしは頷いた。「というか、亀太郎さん結構強引な方法使ってたんだね」

 「姉さんを手元に置いて起きたくて、わたしの洗脳を焦ったのでしょう。というか正直に言うと、猫を殺さされるまでは普通に理解してもらえたような気になって心酔していたので、つくづく自分の間抜けさが嫌になります」

 「でも、心の底から支配されていた訳ではなかったんだね」

 「そうですね。姫島さんに要注意人物だと何度も言い聞かされていたというのもありましたがねぇ。それで姉さんが黒ムツだと気付いて、……でもすぐには姫島さんにそのことは伝えなかったです」

 「どうして?」

 「姉さんの将来を考えたつもりです。しかし大谷翔平が車に轢かれて亡くなったことで、一刻も早く事態を終わらせた方が良いと考えなおして、それで姫島さんに全て話しました。それでどうなったかは亀太郎さんに聞きました。……それについては、本当に申し訳ありません。目、痛くないですか?」

 「良いよそんなのは。あなたが悪いんじゃないしさ」

 「……そうですか」

 それかられもんは、何かとんでもなくやりきれない気持ちを滲ませた声で、わたしに問うた。

 「姉さんは……なんで亀太郎なんかと一緒に猫を殺していたんですか?」

 それは一言で言い顕せるようなことじゃない。いや言ってしまえば簡単なことでもあるのだけれど、しかしこの妹に正直な胸の内を吐露出来る程わたしは強くなかった。だからわたしは、ちょっとだけ意地悪な気持ちでこう答えた。

 「れいちゃんの方がお勉強が優秀だったからじゃない? 僻んじゃってさ、ムカついて、だから猫いじめて憂さ晴らししてたみたいな」

 「……なんですか、それ」れもんは肩を落とした。「逆ならともかく、なんで姉さんがわたしに嫉妬なんかする理由があるんですか?」

 「……逆ならともかく、って、なぁに?」

 わたしは首を傾げる。何を言ってるんだ、この子は。

 「何って……姉さん。ずっとわたしのこと内心でバカにしてたんじゃないですか?」

 「いや、バカになんかしてないよ? そっちの方こそずっと成績良いの鼻にかけて生意気な態度取ってたくせに」

 「……そうは言いますがねぇ。姉さん」れもんは嘆くようにして言う。「姉さんはわたしと違って、運動も人付き合いも人並み以上に出来て、親戚の人だって明るくて活発な姉さんばかりを褒めて。わたしはいつだって引っ込み思案で暗い次女で、比較されて、性格に差がありすぎることに首を傾げられて。……姉さん自身、わたしのこといつまでも手のかかる愚図だと思っていて、だからこそ優しく接してくれてただけなんじゃないですか?」

 「そんなこと……」

 思っていなかった……のだろうか? いや少しは思っていた気がする。泣き虫のいじめられっ子だった昔の思い出が強すぎるし、そもそも根本的な気質は当時から何も変わっていない。自分が勉学に優れていることに気付いて自信を付けただけで、傲慢で偏屈で愚図で助けがいることは昔のままだと感じていた。

 「コンプレックスを持つとすれば私の方ですよ。それだけ明るくて綺麗で堂々としていて、男子にも喧嘩に負けないで、人に慕われて。そんな姉さんに、たった一つ並び立とうと本当に死ぬ気で努力していたのが勉強で……そのたった一つが姉さんには気に入りませんか? 猫を殺して発散しなければならない程、受け入れがたかったんですか? 姉さん」

 「う……」

 うるさいなあ! と叫ぼうとして、やめた。れもんの言う通りだったからだ。

 ずっとわたしの独り相撲だった。傲慢で偏屈だったのはわたしの方だったのだ。れもんはこれだけわたしを認めていた。認めてくれていた。それなのにわたしはたった一つ勉強で負けていることが気に食わなくて、内心でいつもムシャクシャしていたのだ。気付いてみれば本当に浅ましい話だ。

 同じ家に住むもう一人の子供にコンプレックスを持っていたのも、比較されるのが苦痛で息苦しかったのも、そんなものは片割れも同じだったのだ。だけれどれもんはずっと高潔なまま、陰でわたしを心配し続けていた。

 「……それで。どうするつもりなんですか? 姉さん」

 「どうするって?」

 「まさか私を殺さない訳にはいかないでしょう? 助けてなんて言うつもりはありません。助かりようがありませんから。だったら姉さんに殺してもらう方が遙かに楽に殺してもらえそうで良いんですよ」

 「……冷静だね。怖くないの?」

 「ここで手足縛られてあの牛糞とかいうおっさんにボコボコにされた時に十分取り乱したんで。今はへとへと過ぎて心が麻痺してる感じです。死ぬ直前になったら取り乱すんだろうなぁという予感もありますが……それだけに冷静でいられる内に楽になりたい気分なんですよ」

 なんていうれもんの顔は真っ青だし全身あちこち震えているし、覚悟を決めたかのような言動も大部分は虚勢でしかないことがわたしには分かる。いつ取り乱してもおかしくないだろう。

 わたしはれもんを安心させようと言った。

 「大丈夫だよ。あなたを殺させるつもりはない」

 「はあ?」れもんはそう言って目を剥いた。「ちょっと……状況分かってます? 私を殺さなかったら姉さんが死ぬ、という以前の問題で、どうやったっててわたしの死は取り消せないんですよ。この部屋に連れて来られてからというもの、何度も何度もそれは実感しましたし、その度に気が狂いそうになり……ようやく固めた覚悟なんです。姉さんの為に死のうって。それを今更」

 「さっきまでとは状況が違う。今はあなたは一人じゃない」

 「…………」

 「言う通りにして。半分くらいの確率で、あなただけは生きて帰れると思う」

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