第37話

 鍵のかかった扉を強引にこじ開けようとする音が外側から響く。そして何ごとか相談しているかのような沈黙が十数秒ほど続いたかと思ったら、牛糞が激しいタックルと共に扉ごと倒れ込んで部屋の中へ転がって来た。

 あまり丈夫な扉ではなかったらしい。立ち上がる牛糞の背後から、亀太郎と黒鈴が続いた。

 「かに玉ちゃん大丈夫ですか?」

 わたしの方を見て、心配の余り冷静さを欠いた様子の亀太郎が両腕を絶えず動かして喚くように話す。

 「殺されてないですか? 頭から血が出てないですか大丈夫ですかちゃんと生きてますか?」

 「落ち着けよ亀太郎。」牛糞がそう言って前に出る。「助けに来たぞ、ハルマゲ」

 三人の姿を認め、晶子が怯えた様子で姫島の後ろに回る。姫島は眉を顰め、油断のない様子で亀太郎たち三人の方を向いた。

 「騒々しいお客さんですねぇ」姫島はその独特の淡々とした、他人事のような口調で言った。「誘拐の現場を押さえられてしまいました。もしこのことをここで通報しようとしたり、この場から逃げようとしたりしたら、このお嬢さんを殺します」

 「殺したとして何になる? 罪が余計に重くなるだけで、おまえに一切メリットがない」牛糞が言う。「そいつを開放しろ」

 「探偵を続けられなくなるなら同じことです。だったらあなた達への鬱憤晴らしにお嬢さんを殺してしまった方が、ぼくにとって遙かに気分が良い」

 「おまえがその気なのなら、俺らがそっちに近づく前に今すぐにでも殺しちまえるはずだ。何故そうしない? 脅しにでもなっていると思うのか?」

 「余計な駆け引きはやめましょうよ。このお嬢さんを守りたければ、力ずくでぼくを止めるしかありません。それが嫌ならこのお嬢さんは諦めて、あなた達が壊したその扉から逃げて警察でも呼んでください。呼べるものならね。どうしますか?」

 「……望むところです」

 言ったのは亀太郎だった。普段柔和に微笑ませている垂れがちな眉を、一生懸命に顰めて姫島を睨む。

 「元々通報なんてするつもりはありません。わたし達のお友達はわたし達の手で助け出します。りんごちゃんには将来がありますからね、警察なんか呼んだら困るのはあなただけじゃないのです」

 「ではここで雌雄を決しましょう」

 そう言って、姫島はだらりと両腕を垂らしたまま牛糞の方に一歩近づいた。やり合う気らしい。

 自分にとっての最悪を避ける為に姫島は牽制をしていたが、本来犯罪者同士の決闘に警察の介入などあるはずがないのだ。互いの力のみを比べ合い、勝ったものがその場のすべてを手に入れる。それだけだ。

 「牛糞さん、やっちゃってください」亀太郎はそう言って姫島の方に指をさす。

 これで結構人に命令するのは似合うのだ。亀太郎に命じられた牛糞は拳を握った状態でふんと息を吐きだし、姫島に相対した。

 「大丈夫なの隆夫? 雰囲気からして、あの探偵強そうよ。勝てる?」黒鈴が心配したように言った。

 「安心しろ。俺は中学時代空手部に在籍していた。三年生の地区大会では八位入賞も果たしている。素人に後れを取ることはない」と自信満々の牛糞。

 「それって強いんですか?」と姫島。

 「上に県大会と全国大会がある」牛糞がそう言ってじりじりと姫島の方ににじり寄る。「部内では三番目の強さで、団体戦では中堅だった。行くぞ! うおおおおっ!」

 地区大会八位入賞で部内では三番目の強さだった牛糞は雄たけびを上げながら姫島に飛び掛かった。その拳は確かに全くの素人という程ヤワではなかったが、しかしブランクと加齢による劣化は如何ともしがたいようで、軽く身を捻った姫島にあっけなく躱されて肘を掴まれ、引き込まれて右腕全体を捻り上げられてしまう。

 見たことがあるような気がする動きだった。多分合気道かなんかの技だ。

 「い、痛っ、痛ぁたたたたたたたたたぁ! 痛ぁ!」

 牛糞はどうにか脱出しようともがいているが、姫島が容赦なく腕をぐいぐいと捻り上げるので、腕が完全に伸びきってしまうのも時間の問題に思われた。腕が真っ直ぐに伸びればその後何が起こるかは想像に難くない。完全に極まった関節技は、最後に骨を圧し折ってしまうのだ。

 「ちょっと! どうすんのよ亀太郎!」黒鈴が亀太郎の方を向いて訴える。「隆夫がやられちゃうじゃない! なんとかして」

 「え、ええと……。そ、そうですね! なんとかします!」そう言って亀太郎は懐から何やら黒い物体を取り出して、姫島の方に向けた。「えいや!」

 バンっ! と激しい音がわたしの鼓膜に突き破るような衝撃を齎した。くらくらするアタマでどうにか目を凝らすと亀太郎の手にあるのは拳銃で、それが姫島に向けて弾を発したらしいことが察せられた。

 思わず、戦闘中の二人の男の方に視線をやる。

 誤射にならないよう牛糞からはうんと外して撃ったようで、弾は急所からは大きく外れて姫島の肩を赤く濡らすにとどまっていた。しかしその痛みと衝撃で関節技が緩んだらしく、牛糞は直ちに脱出して姫島から距離を取る。

 「えいや! えいや! えいやぁあ!」

 亀太郎は夢中の様子で続けざまに三発発砲した。一発は明後日の方向に外れ、一発が腹部に命中し、最後の一発が偶然にも眉間を捉えて血まみれの姫島をその場に倒れ伏させる。

 うつ伏せになった姫島は間違いなく死亡していた。腹に銃弾を食らった以上、生きていればもがき苦しんでいるはずだ。狸寝入りなどできるはずがない。

 「やったわっ!」黒鈴が快哉を上げる。「でかしたわ亀太郎。でもそんなもん持ってるなら最初から使いなさいよ!」

 「ご、ごめんなさい、ごめんなさい」亀太郎はそう言って拳銃を両手で握りしめる。「これ腕とお耳が痛くなるからあんまり使いたくないんですよぅ。人集まって来ちゃったりするし、弾だって今込めてる分しかないからそんな簡単にバンバン撃てないし……」

 「おまえが今更何を持ち出そうが今更驚かん。それより……」そう言って、牛糞がわたしの方ににじり寄って助け起こした。「大丈夫かハルマゲ。……その目は何だ? 潰されたのか?」

 「そ、そうなんですよぅ」わたしは息も絶え絶えに言う。「助かった……助かったぁ……」

 牛糞に縄を解いてもらい、わたしはどうにか立ち上がる。色んなことが起こりすぎて混乱しているが、仲間と呼べる存在に救出してもらえたことは理解が出来た。

 「どうして……」わたしは涙を拭いながら尋ねる。「どうして、わたしに発信機なんか?」

 「ごめんなさいね」そう言って、亀太郎がわたしの頭に手をやった。「牛糞さんに、かに玉ちゃんから相談を受けたという連絡を貰ったんです。相談の内容まではまだ分からないということでしたが……なんとなく、それが黒ムツを続けるかどうか、わたしと友達でい続けるかどうかに関わることのように感じられたのです」

 「でも、それがどうして発信機を付けることなんかに繋がるんですか?」

 「その機械は発信機と盗聴器の両方を兼ねているのです。牛糞さんと話をした後、かに玉ちゃんは絶対に妹さんのところに向かうとわたしは思いました。そこでどんなやり取りをするのか、二人がどんな判断を下すのか、それを自分の耳で聞いておきたかったのです。そこで、牛糞さんに盗聴器と発信機を付けることをお願いしました。夕方にでもかに玉ちゃんのお家に伺って、さりげなく回収する心づもりだったのです」

 わたしが亀太郎に不信感を持っていたことを、勘付かれていたということらしい。

 だからと言って発信機を取り付けるように指示するなど常軌を逸している。この女性の行動がめちゃくちゃでなかったことは今までなかったが、しかし万一見付かった時にそれこそ人間関係に亀裂が入ってしまう。

 「タカオが服の裏なんかに仕込むから行けないのよね」黒鈴が息を吐く。「もっとさりげなくて、簡単には見付からない場所に仕込めなかったの? そんなんだからあんたは童貞なのよ」

 「発信機を仕込む能力と俺が童貞であることがどう関係あるんだ?」

 「あんたの全存在が童貞であることに結び付いているのよ。っていうかあんた今童貞って認めたわよね?」

 「どどど童貞ちゃうわ!」

 いつもの掛け合いをする二人に、わたしの緊張感も徐々にほぐれつつあった。自分が助かったのだという実感が胸の奥から沸き上がり、わたしは思わず大きな息を吐く。ムチャクチャな人達だけれど、それだけにどんな状況でも一撃でぶち壊してくれるような頼もしさと安心感があるのだ。

 「あの、かに玉ちゃん」おずおずと、怯えたような様子で亀太郎がわたしに尋ねる。「発信機付けたこと……怒ってますよね? ごめんなさい、ごめんなさい。わたし、本当に本当に、不安でしょうがなくて。またお友達を失うのかと思うと、もう……」

 「そのお陰で命が助かったんですから、何も怒ってはいません」

 本心だ。付けてくれたことを心の底から感謝したいくらいだ。

 わたしという友人を失うことが不安で仕方がないが為に、発信機を付けると言うようなわたしの心証を害しかねない行動をする。不安の自己実現が成立してしまいかねないようなちぐはぐさも、また亀太郎という人物の一部ではあるのだろう。臆病で早とちり故に暴発しがちで、なのに力を持っているから危険なのだ。

 「あ、ありがとうございますぅ。そう言ってもらえてほっとしました」亀太郎は胸をなでおろす。「じゃ、じゃあ。……ちょっと待っててくださいね」

 そう言って亀太郎はスマートホンを取り出すと、何やら電話をかけ始める。

 「すいません後始末をお願いしたいことがあるんです。場所は…………はい、はいそこです。その地下室……。はい、はいお願いします。ええ、死体が一つ……じゃなくて二つです。はい」

 通話を切った亀太郎に、牛糞が胡散臭そうな目を向ける。

 「何だ今のは?」

 「事件の後始末をしてくれる業者さんです。死体の片づけはもちろん、現場の証拠隠滅も代行してくれます。ものすごくお金がかかるのであんまり使いたくないのですが……背に腹は代えられませんね」

 「裏社会に精通し過ぎだろ、おまえ。なんでそんなもん知ってんだ。」

 「バイトで闇医者やってた時期に患者さんから紹介してもらったんです。そこで死んでる探偵さんも、実は結構その筋の人達の間では知られた存在だったんですよ?」

 「そうなのか?」

 「ええ。殺し屋の表の顔が探偵っていうのは割とありがちな部類です。探偵として雇われておいてから、依頼人を篭絡して殺しの方の依頼も引き受けるという手口が使われます。もちろん殺しの方を依頼するには莫大な金額が必要なはずなのですが……」

 そう言って、亀太郎は震えた様子で床に座り込んでいる晶子の方に視線を向ける。

 「……『麻原』さんってことは、お父さんがお医者さんだったりします?」

 「ど、どうして、それを……」晶子はがくがくしながら口にする。

 「いえその。わたし自身が医者なので……開業医の麻原さんのことは知ってるんですよ。大昔にお父さんの部下だったようなそんなこともなかったような。結構あこぎなことして儲けてるって評判ですし、なるほど、その娘さんならこのレベルの殺し屋を雇うくらいのお金は引っ張れますか」

 そう言って、亀太郎は拳銃を晶子の頭に向ける。

 「わたしも医者の娘なのでちょっとシンパシーです。だからちょっと忍びないんですけど、ごめんなさい、死んでもらいますね」

 「やめてっ!」晶子は叫ぶ。「あたしはただ……ダンゴの敵を討ちたくて」

 「殺し屋を雇う様な真似をするからだ。外道に脚を踏み入れれば、自分自身が外道の人間に襲われる危険が発生する。その覚悟もなく、親の金で良い気になって復讐ぶってた報いだよ」牛糞が冷たい声で言う。「そうでなくとも、最悪の害獣である猫の敵を討とうなどと言う発想が、まず間違っているんだが。猫を殺されたからって人を殺そうとするなんて、おまえアタマおかしいんじゃないのか?」

 「ダンゴというその猫ちゃんはあなたにとって大切な宝物だったのでしょう。わたしも小さい頃に大事な人形を壊したいじめっ子を走ってる自動車の前に突き飛ばしたことがあるので分かります。だから死んだ猫ちゃんの為にあなたなりに努力したのは立派なことだと思いますよ? がんばりました!」亀太郎が取り成すように言う。「ですがわたしだって大切なお友達を守る為に負ける訳には行きませんでした」

 そう言って亀太郎は容赦なく引き金を引く。

 パンと嫌な音がして、わたしは思わず目を閉じる。鼓膜にヒビが入るような衝撃を感じたかと思ったら、どさりと何かが床に倒れる鈍い音がした。

 目を開ける。こめかみから血を流して倒れている晶子の姿が目の前にあった。

 「あなたの雇った探偵さんは負けてしまいました。だから死ぬのはかに玉ちゃんではなくあなたです。それが、今回の結果。残念でしたね」

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