第27話
中間テストの結果が帰って来た。
学年三位という数字を見てまずは一安心する。ママからのペナルティ回避の為に遮二無二勉強した甲斐があった。真面目に狙えばわたしはこの順位になら手が届く。
入試テストと新入生テストと一年の学年末テストと今回とで、わたしは四回三位になった。二位以上になったことはなく、それはというのも一位と二位の席は毎回同じ人で埋まっていて付け入る隙がないからだ。生徒会会計の御堂くんと水泳部副部長の霧島さん。県内ならトップクラスの進学校と言われるだけあって、我が校の上澄みには本物の秀才が何人かいる。『早慶は滑り止め』とか真顔で言うからなあいつら……。
そんな人達に敵うとは思えないし立ち向かう必要もない。才能には差があって当然だし努力だって無限大にできる訳じゃない。横綱じゃなくても相撲は出来る。東大以外にも大学はあって二位や三位も立派な実績なのだ。
でもそうは考えない人はいてそれがウチのママだった。ママに言わせればわたしのこうした考えは『傲慢な甘ったれ』なのだそうだ。『必ず今の自分より上を向いていなさい』。だからこの順位だって決して褒めてはくれないだろう。浮かれていたり安堵していたりするところを見せれば釘を挿される。あなたの妹はずっと一番なのだと言い聞かせて来る。
だから余計なことは言わず余計な態度は取らず、澄ました顔でちゃっちゃと成績表を見せ終えて、話を聞き流してお部屋に行こう。
そう思いながら自宅に入り、リビングへ行くと、テーブルでれもんが母親と向き合って肩を震わせて涙を流していた。
「どうしたの?」
思わず声が出る。
「あなたは部屋に行ってなさい」
ママがこちらを鋭く睨み付ける。向かい合う二人の間にはれもんの成績表が置かれていて、わたしは『あー』って感じで合点する。
一番じゃなくなったんだ、この子。
良くある話だ。中学まではもう向かうところ無敵、無双! って感じだった子が、よりハイレベルな進学校に入って強力なライバルたちの中に埋もれるというありがちな事態。まさにわたしがそうだったから良く分かる。それでも入試と新入生テストでは一番だったれもんだけれど、一学期の中間でとうとう王座陥落してしまった訳だ。
でもそれは良い経験なのではないのだろうか? わたしは楽観的に考える。ずっと一番でそれが当たり前って状態が永遠に続く訳がない。いつかこうしたことは起きた訳だし、同じ悔しい思いをするにしたって、励ましてあげられる家族のいる子供の内が良いに決まってる。
「釘挿すのは良いけど泣かすことまではないじゃんママ」長女としてわたしは母親に意見する。妹を守る。「わたしだって去年のこの時期成績落ちたじゃん。高校に入ればライバルのレベルだって上がるし授業のスピードだって速まるんだから、中学までのようにずっと一番って訳にいかないよ。分かり切った話じゃない。しょうがないって」
「あなたのそういう考えは良くないといつも言ってるわ」ママは額に手をやって溜息を吐く。
「れもんならすぐに持ち直すよ。わたしだって危機感持って頑張ったら三番くらいには戻れたんだから。れもんはわたしよりよっぽど優秀なんだし、そんな叱らなくても大丈夫だって」
「これ見ても同じこと言える?」
そう言ってママはわたしにれもんの成績表を渡す。
わたしは受け取ってそれを開く。「何番か知らないけど、同じ時期のわたしよりは絶対マシでしょ? いくられもんができる子だからって、求めすぎて厳しくするのはちょっと可哀そ……」
189/202位。
「は?」
わたしは肩を震わせるれもんを向いて目を見開いた。
〇
ママは大学で生物学の先生をしていて、パパは雇われの獣医さん。
両親ともに社会的地位は高く収入も多い。わたしが産まれた頃には一家には大きな家があって、食べ物も持ち物も値段の高いものを与えられてきた。教育もそう。幼稚園からして受験して入ったし小中学校も私立で今通ってる高校は全国的にも有名な名門校。わたし達姉妹は、いわゆる英才教育を受けて来たエリート少女なのだった。
わたしの志望は獣医で、れもんの志望は動物学者。志望校には東大だって候補に入る。特にれもんは本当にずば抜けた秀才で、再来年には国内外問わず様々な名門から声がかかることになるはずだった。
それなのに。
「言い訳はしたくないんですけどね」
わたしの部屋のベッドで隣り合って座りながら、れもんは涙を拭い取りつつ湿った声でそう前置きをした。
「松本さん達にね、勉強をですね、ずっと妨害されていたっていうんでしょうか? 休み時間も絡んでくるので予習復習できませんし、筆記用具や教科書は頻繁になくなりますし、授業中にも後ろからペンで刺されたり飲み物かけられたりで集中できないですし。学校以外の日常にも影響出てて、ずっと不安だし何をやっても集中なんてできなくて、夜も眠れなくて……」
「う、うん。うん。そうだね。それは仕方ないね。れいちゃんは悪くないよ」
「ええ、だから言い訳じゃないんです、これは」
同じ内容をママに打ち明けられなかったれもんはわたしに対して饒舌に事情を語った。まあママに聞かせたら多分言い訳扱いしただろう。それをれもん自身分かっているからこんな風な物の言い方になるのだ。
「でもアタマ来るね。れもんの成績が落ちたのは松本の所為な訳じゃない? お姉ちゃんちょっと許せないよ。ただじゃ済まさないんだから」
「やめてください姉さん。退学になります」れもんはそう言って息を吐いた。「ウチのクラスじゃ『怖いセンパイ』ってことでちょっぴり有名になっちゃってるんですよ姉さんって。松本さんはあれからものすごーく大人しくなりましたし、私へのいじめもぴたりと止まりましたし、これ以上彼女をボコボコにすることを私は望みません」
「れいちゃんがそう言うならやめるけど……」
「それに、いくら勉強の邪魔をされたと言っても、実際に成績を落としたのは他でもないわたしです。しかし多少の陥落は覚悟していましたが、まさかここまで落ちこぼれるとは……」
それは確かにそうかもしれない。勉強っていうのは積み重ねだし、仮にここ数か月まるごと勉強しなかったのだとしても、れもんの持つ貯金の量を考えたらここまで落ちるのは尋常ではない。
「いじめのストレスでアタマが悪くなった、とか?」
「無茶苦茶なこと言いますね、姉さん」
「ご、ごめん……」
「いやでもそれに近いことは起きてると思います。本当何をやっても集中できないんです。授業なんて全然聞けてないようなものですし、机に付いても英単語一つ書けないまま何時間もぼーっとしてしまいます。テストの時も問題を理解することさえ難儀しました。全教科、時間内に半分もできなくて、テスト用紙の右半分は空欄のままなんです」
「鬱病か何かじゃないかなぁ……?」
思えば、いじめは引き金でしかなかったのかもしれない。この子はずっと一番でい続ける為に巨大なプレッシャーに耐えながら毎日死にもの狂いで頑張って来たのだ。わたしが潰れそうになっていたのと同じかそれ以上にはこの子だって潰れそうになっていたはずなのだ。そしてれもんの精神はわたしのそれと比べても繊細で、おそらくは脆弱だ。
「ショックだったよね? お話ならいくらでも聞いてあげる。何なら今日は一緒のお布団で寝よう? これからどうするかとか、ママにどう説明するかとか、二人でじっくり考えようよ」
灯かりを消した部屋でれもんはわたしに縋りついて泣きじゃくった。頭に汗をかいて涙に濡れたれもんの髪の匂いには、塩っぽさの中に不思議な甘さがあった。
「もっと早く気付いてあげられたら良かったね」わたしは言う。
「いいえ。姉さんを信頼してもっと早く打ち明けるべきだったんです」れもんは答える。
自分の弱みを曝け出して助けを求めるのには勇気がいる。自分のことを自分でできないというのはとてもつらいことだ。自立心や自尊心を少なからずすり減らすことになるし、一歩間違えれば助けを求めた相手から余計に傷付けられるなどということも起こりうる。言えなくてもしょうがない。れもんのようなシャイな子なら特に。
「明日病院に行こう。ママに相談して、何ならわたしも学校休む」
「……一人で行けますよ。大丈夫です」
翌日、わたしはれもんの状況を両親に説明し、一刻も早く病院に行かせるべきだと強く訴えた。
両親は共に冷静で知性ある人だ。わたしの言い分の正しさは伝わり、れもんは病院に行く。
精神科医である年老いた白髪のお爺ちゃんはれもんを診察してこう告げた。
「しばらく学校は休みなさい」
欝だった。
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