第24話

 「本当にここまでで良いんですか?」と亀太郎。

 「良いんです」とわたし。「次に猫の串刺しを立てるロケーションを確認したいので」

 わたしこと『ハルマゲドンかに玉』の犯行特徴は、猫を突き刺した串を地面に植え付けること。問題はどこにそれをやるかである。猫を串刺しにするまでは、亀太郎の家だとか公園のトイレだとか人目に付かないポイントで行えるのだが、その死骸を置いて行く場所は良く選ばないと人目に付いてしまう恐れもある。

 もちろんマスクや伊達メガネを付けて、体格の分からない服装をするくらいの工夫はしている。だから大丈夫だとは思うのだけれど、それでも一応、自分の選んだ場所が本当に安全かを事前に確認してから犯行に及ぶようにしていた。今回確認するのは、公園の茂みの中。

 亀太郎にお礼を言って公園を歩き回る。『ドラえもん』に出て来る空き地みたいな土管が特徴のその公園は、わたしにとって昔れもんと良く一緒に遊んでいた場所だ。当時のれもんはこの土管の中を世界一安全な場所だと思い込んでいて、小さな体を活かしてかくれんぼの度にここに潜り込んだ。わたしが見付けないでやっていただけだと、今のれもんは気付いているだろうか?

 八時二十七分。この時間に来る人はいないようである。元々寂れた公園で遊具もこの土管くらいしかない。周囲に大きな道路もないし民家も少数。あるのは田んぼと畑とどぶ川だけ。大丈夫だ次はここにしようと決意したところで、背後から声がかけられた。

 「申し訳ありませんお嬢さん。少しお時間よろしいですか?」

 しなやかな弦を丁寧に打ち鳴らすような、高く柔らかだがどこか威厳のようなものもある声だった。わたしはびくりとして振り返る。男がいた。

 青年か、いっそ少年と言ってしまっても良いようなあどけない顔立ちをしている。だがそれに反して、気負いを感じさせない自然な表情と立ち姿からは、どこか老獪さすら感じさせられた。顔立ちは端正で、背はあまり高くなくあたしとそう変わらないくらいであり、黒いサマーコートに茶色の帽子、薄手の手袋を身に付けている。

 「なんでしょうか?」

 わたしはなんとか自然な態度を取り繕う。別に今この瞬間怪しいことをしていた訳ではないのだから焦ることはない。普通に夜の散歩をしている女子高生で良い。

 でも何の用だ?

 「実はぼく、私立探偵をやっておりまして」青年はポケットから名刺を取り出してこちらに渡す。『姫島探偵事務所 代表:姫島道太郎』とある。「近所で多発している野良猫の殺害について調べているんです」

 「そうなんですか」わたしは答える。「聞き込みですか?」

 「そうです。最近、『ハルマゲドンかに玉』なんておかしな犯行声明を残しながら、猫を串刺しにする怪人物がいますでしょう? それに自分の猫を殺されたという方から依頼を受けたのです。犯人を特定してくれ……と」

 「そういうのって、警察の仕事なんじゃないですか?」とわたしは素朴な疑問。

 「もしそれが飼い猫の殺害なら立派な器物破損罪です。警察もそれなり程度には動くでしょう。しかし、その猫というのが正式に飼育していたものではなく、外で餌付けをしていただけの物だった為、その方にはそもそも捜査を依頼する権限がなかったのです。そこで、ぼくのところに来て下さったと」

 「でも『ハルマゲドンかに玉』ならどの道警察が捕まえるような気もするんですけど」

 「その方はそう考えなかったということです。だいたいにおいて、巷に猫などの野生動物を殺して遊ぶ人達は実のところ結構な数に及びますが、逮捕される割合はそう多くはありません。ぼくのような探偵の手を借りることで少しでも捕まえられる確率を上げようというのは、そこまで非合理的な行動ではないんですよ。ぼく、結構評判良いですしね」

 「ふうん」

 そんな人もいるんだ。探偵って何日も動かそうと思ったら数十数百万の世界だっていうのに、お金持ちなのかな?

 「でもそんなたくさんお金があるのなら、代わりの猫を買って来てそっちを可愛がった方が賢いような気もしませんか? いえ、もちろん飼い猫を殺されて悔しい気持ちは分かるんです。でも、探偵を動かしてまで報復を遂げようとするほどの愛着を動物相手に感じるというのが、わたしには少し分からないんですよね」わたしは素朴な疑問を口にする。

 「では、人間相手になら、何かを感じることもあるんでしょうか?」

 静かな表情で言った姫島に、わたしは背筋に冷たいものを感じる。姫島は柔和な笑みを崩さないまま、穏やかな声音でわたしに語り掛けた。

 「愛情や愛着などという気持ちは、それを感じている本人にしか、正体の分からないものだと思いますよ。分からなくて良いのだと思います。依頼人の気持ちを全て理解できる訳ではありませんが、ぼくは探偵として威信を賭けて、覚悟を持ってこの仕事に取り組みます」

 「そうですか……」

 「それで本題ですが……何か知っていることはありますか? どんなことでも構いません」

 「他人が知らないようなことは、何も知らないと思いますよ。何を答えて良いのかも分かりません」

 「そうですか。ではこちらから質問させてもよろしいでしょうか?」

 「構いませんけど」わたしはスマートホンを取り出して画面を見た。「そろそろ時間が」

 「では一つだけ。あなたはどうしてここに来られたんですか?」

 あたしは一瞬だけ心臓を捕まえたような心地を覚えたが、質問自体は大したものではないことに気付いて、気持ちを落ち着ける。

 「別に、散歩です」

 答えとしてはこれで良いはずなのに、わたしはプレッシャーから余計な付けたしをしてしまう。

 「今のはどういう意味の質問ですか?」

 「犯人の行動範囲から考えて、次の犯行現場として相応しそうな箇所をいくつか想定していたのですが、ここはその一つなのです。そして午後七時から九時というのは、ハルマゲドンが犯行を行う時刻としてはもっとも多い時間帯ですから」

 「お疑いになるんですか?」

 「とんでもない。今のはどなたにもお話ししている内容です」姫島は首を振って、一瞬だけ表情を研ぎ澄まして冷徹にあたしの顔色を窺う。それから少し目を反らしてあたしの右手の指先を見詰めると、再びにっこりと笑った。「あなたのような綺麗なお嬢さんに、猫を殺すだなんて残酷なこと、とてもできるとは思えません」

 ご協力ありがとうございます……と頭を下げて

 「その名刺は持っておいてください。連絡先が描いてあります。何かご存知のことがおありでしたら、いつでもご連絡くださいね」

 そう言って姫島は立ち去った。

 わたしは姫島に見詰められた右手を見詰める。

 さっきヘマをした時の猫の引っかき傷がそこにはあった。


 〇


 家の前に来る。玄関のカギを開けようとポケットをいじくっていると、ふと思いついてチャイムを鳴らした。

 「姉さん?」スピーカーから声がする。れもんだ。「鍵、忘れたんですか?」

 「違う違う。自分のお家のチャイムを鳴らしたら誰かが出てくれるっていうのをやりたかったの」

 「はあ?」

 「ほらわたし達ずっと鍵っ子じゃん? 学校終わって家のチャイム鳴らしたらママが出てくれるみたいなのなかったじゃん? まあ今時それが普通なのかもしれないけどさぁ。ちょっと憧れるんだよねー」

 「バカ言ってないで入って来なさい」ママの声が割り込んだ。「気まぐれのおふざけで人に迷惑をかけるものじゃありません」

 「そんなこと言ってないで出て来てよー。ねぇねぇママ~。好きだよー出てよー」

 ひょっとしなくてもウザい振る舞いをしているけれど、でもわたしは猫殺して来た帰りでテンションが上がっているのだ。仕方ない。

 くずってごねてたら、本気でママが怒り出す直前くらいのタイミングで、れもんが出て来てくれた。態度こそ冷然と振る舞いたがる妹だが、性格自体は普通に優しくて姉思いなのだ。

 「今日はアホな日なんですか?」と冷たい目をしたれもん。

 「ごく自然体なだけだもん」と朗らかに笑うわたし。

 「姉さんはもうちょっと利巧に振る舞える人だとわたしは知っています」

 「わたしはれいちゃんみたく無意味に賢そうにはせんよ」うはは言ったった。「無暗に他人に自分を利巧に見せても利益ないよ。少なくともわたし達に高校生にとってはね。わたしなんて多分バカだし、家族の前で見得張らんよ」

 「見得とかじゃなく品性の問題だと思うんですけどねこれは。中身がバカだなんて姉さんだけに限りませんが、それをあえては出さずに振る舞えるのは大切なことのはずでしょう。わざわざ丸出しにするのはみっともないですし、迷惑でもあります」

 うっわ意外と言い返して来やがるうぜぇ。辛辣だしむかつくしやりこめてやりたい。ただこれに関してはこいつの言い分のが正論だ。本気でやり合って言い負ける相手じゃないけど、争うのはやめておこう。

 わたしは「れいちゃん辛辣だよ酷いよ酷いよ」と身体をくねくねさせておくにとどめてお風呂場に向かう。服を脱いでいると、背後かられもんがわざわざ追いかけて来てわたしに声をかける。

 「あれ、さきにお風呂なんですか?」

 「うんまあ」

 早いとこ血の臭い完璧に消したい。汚れた服は亀太郎さんに預けて着替えを借りたとは言え、死臭が無くなった訳じゃないはずだ。れもんは言うまでもなく、ママにだってそれに気付く程の感性はないけれど、この状態でパパとすれ違うのは避けておきたい。

 なんて思っているとれもんは脱衣所の前でわたしの方を見ながらじっとしている。不自然に取り澄ました表情。あたしは首を傾げる。良く見るとれもんはまだパジャマに着替えてなくて、つまりまだお風呂には入ってないってことだ。

 「へへへっ」わたしは笑う。「ねえれいちゃん、お風呂まだなら一緒に入らない?」

 「構いませんよ」

 なんて言ったれもんの表情は嬉しそうっていうよりは、望みが上手く叶って安心したような感じだった。

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