第23話
わたしが「大丈夫だそうです」という連絡をすると「もう家の前ですよ」という連絡がありわたしはぎょっとする。さっと身支度をして玄関から外に出ると、黒塗りの高級車がわたし達の家の前に停まっていた。
「どうもぉ」
という言葉と共に亀太郎が降りて来る。身長は百七十五センチくらいでほっそりとした体つきをしていて、年齢は二十代の半ばか後半くらいに見えるが実際の歳を聞けたことはない。面長で上品でたおやかな顔立ちをしていて、信じられないくらい綺麗な微笑み方をする。大人の女の人の『綺麗』でありながら、どんな年代の少女よりも屈託がなくて愛らしくもあるのだ。
深窓の令嬢がそのまま大人になったような感じ……だけれど、そうした温和で上品な印象を、左目の下にある槍を持った黒い小悪魔の入れ墨が裏切っている。いつもはファンデーションで隠しているのだけれど、今日はそれがむき出しになっていた。
「今日はお化粧してないんですね」
こういうことわざわざ口にするのは失礼かなと思ったけれど、この人本当何言われても何されても怒ってるとこ見たことないんだよなと思い直す。懐が広いのだ。じゃあ良いかって思うのはつまり甘えちゃってるってことなんだろうけど。
「そうなんですよぉ」亀太郎はやはりというかニコニコしている。「お仕事休むようになってからお化粧するのも面倒になっちゃって……。お医者さんが顔にタトゥー入れてるなんておかしいって院長……お父さんも言うんですよ。それで隠さなくちゃになったんですが……でもお化粧なんて、ねぇ、毎朝大変だし」
「人に迷惑かけてる訳じゃないですもんね」わたしは頷いて見せる。「タトゥーが悪いんじゃなくて、タトゥーを入れて他人を威圧しようとするヤクザの人とかが悪いだけですもんね。タトゥーそれ自体に罪はないっていうか、それで善良な人がタトゥーを入れにくくなるのは理不尽な話です」
「あは。やっぱりかに玉ちゃんは素敵です。優しいし賢いですよ」わたしの屁理屈にも亀太郎はそう言って笑ってくれる。「職場と関係ないお友達ですら、『そんなの入れてるおまえが悪い』とか仰る方がいますからね。もちろん、消そうとは思いませんけど」
初めてわたしをオフ会に誘ってくれたのも亀太郎で、緊張しながらの初対面でわたし達は『ばちこーん!』って感じにいっぺんに仲良くなった。人間を強引に分類するならきっと同じタイプに属する仲間なのだ、とは亀太郎の弁。そんな風に言って対等に扱ってくれ、時に年長者として優しく頼もしいサービスをしてくれる。こうして迎えに来てくれるのもその一環だ。
「かに玉ちゃんとは、今のかに玉ちゃんくらいの歳の時に仲良くなりたかったですよ。そしたらきっと、かに玉ちゃんはすごくわたしに優しく接してくれて、楽しい学生生活になったと思うんです」とは、車の運転をする亀太郎。「わたし、学生の頃は友達がいなくて、不便したんです」
「わたしも、学校にこれっていう大親友はいないんですよね。友達、数はたくさんいるんですけど……でもいざ遠足の班決めとなったらあっちへ行ったりこっちへ行ったり。いえ、余ったりはしないんですよ? むしろどこででも歓迎されるくらいなんです。でも一年通してこの人達と同じ班、ってのはまったくないですね。なんででしょう?」
この話をれもんに話したら『そっちの方がものすごい』と目を丸くされる。相当に繊細な人間関係の綱渡りだと畏敬を向けられたものの、わたしとしては誰にでも親切にするという当たり前のことを続けた結果に過ぎない。
「皆はかに玉ちゃんのことちゃんと好き……というか安全な相手だと認識しているけれど、かに玉ちゃんは皆のことをあんまり好きじゃないんでしょうね」
さらりと言った亀太郎のセリフが妙に胸の中へじわじわと染み入る。そうだ、わたしはクラスメイトの誰のことも特別好きではない。環境を同じくする仲間として親密であるべきだという考えはあるし、ほとんど誰とでもそういう風にできている自覚はあるが、それは好きだとか大切だとかそういう意味ではない。
じゃあわたしが好きで大切なのは誰なんだろう……と考えて、自然とれもんの顔を思い浮かべられて一安心。自分の中に確かに他人に対する愛情があるというのはとても心地の良い感覚だし、ほっとする。
「誰のことも愛していないからこそ、誰に対しても優しくできるんです。でもそれって決して冷たいことじゃなくって……。だって、特定の誰かと特別に仲良くするということは、別の誰かと特別には仲良くしないということじゃないですか? 誰とでも仲良くできるかに玉ちゃんは、だからとても素晴らしい人なんです」
「ありがとうございます。なんだか、すごくしっくり来ました」わたしは微笑む。「わたしも、亀太郎さんみたいなお友達が欲しいな……。理解してくれるってやっぱり良い。……って、亀太郎さん自身がここにいるから、良いのか。あはは」
「うふふっ。一回りくらい歳が違うのは否めませんが、でも共通の趣味があるのは、素敵です」
そうだ。共通の趣味。職業も年齢も何もかもが異なるわたし達を結び付けるその一点。黒ムツという趣味。
亀太郎の家はあたりで一番家賃の高いマンションの最上階だ。滑らかに動くエレベーターは広くて掃除も行き届いている。夜の匂いを嗅ぎながら廊下を進むと、亀太郎はどういう訳か自宅の玄関を鳴らした。
「ちょっと亀太郎さん」わたしは目を丸くする。「鍵は持ってないんですか?」
「持ってます。でも自分のお家に帰る時誰かが出迎えてくれるのは素敵なことです」
そう言ってニコニコしている亀太郎にわたしは苦笑する。分かんなくもない感覚だけれど、中にいる他のお客さんは大変そうだ。
しばらくして扉が開かれると、一見して華奢な体つきをした少年が扉から出た。
「亀太郎さん、かに玉さん。うす」大谷翔平くんはそう言ってきびきびと会釈をする。「亀太郎さん、鍵忘れたんすか?」
「翔平くんに出迎えて欲しかったのです」
「そっすか」ニコニコとする亀太郎に翔平は顔色一つ変えない。「鍵かけんのは俺に任せてください」
大谷翔平くんは中学一年生の男の子で、部活(野球部らしい)の帰りに良く亀太郎の家にふらりと寄っては、猫を殺して帰っていく。性格は礼儀正しくて素直。成長途中の肉体は華奢でちんまりしていて、百六十三センチのわたしより十センチは背が低い。丸っこい顔の輪郭が二センチくらいに切り込んだ坊主頭の所為でより強調されていて、良く日焼けしている頬っぺたはふっくらと柔らかそうで、大きな瞳はくりくりとした幼い輝きを宿していてとてもかわいい。
『大谷翔平』なんてハンドルネームを名乗っていることからも分かるように、野球に対しては子供ならではの情熱を持っている。今日もたくさん練習をして来たんだろう、このくらいの年の男の子の汗の匂いってお日様の香りって感じがしてわたしは嫌いじゃない。っていうかちょっとセクシーだとすら感じる。
「翔平くん、たくさん汗かいてるね」わたしは翔平の頭を撫でる。
「うす」照れくさそうに目を伏せながらも、ちょっとまんざらでもない様子でわたしを見上げる翔平くん。かわいい。「きついっすよ、練習」
「まだボールには触らせてもらえてないの?」
「うす。基礎体力ばっかりっす。でも筋肉付いて来たんすよ」
そう言って翔平はあろうことかその場で脱ぎ始める。そして上半身を露わにしてむんと力こぶと腹筋(確かに割れてる)に力を籠めると、得意げな顔で一言。
「どっすか?」
わたしは沈黙する。中学校に上がってからこの子は己の筋肉に対するこだわりを持ち始めたようで、ことあるごとにそれを見せびらかせて褒めてもらおうとする。君は良い子だけどそれだけはちょっとどうかと言いたい。こんな小さな男の子の華奢な身体がムキムキに引き締まっているっていうのは、正直若干気持ち悪さ(ごめん!)もあるんだけど、本人は至って大真面目なので正直に言うのも気が引ける。
「わぁすごい!」わたしは合わせておく。子供相手のホワイトライだ。「わたしのお腹なんてぷにぷにでさぁ。良いなぁ」
「腹筋するといっすよ。教えましょうか?」
「それはちょっとなぁ」わたしは笑顔を引きつらせる。「ムキムキになりたいんじゃなくて、その、ダイエット程度で良いかなって」
「別にかに玉さん太ってないっすよ。クラスの女子とかと比べても全然痩せてますし、綺麗っす」
「えー本当?」わたしは嬉しくなる。「中一でこんな風に言える子滅多にいないよ! フツー中一ってもっとこう思春期入ってて生意気で繊細で批判的なはずじゃん? ウチの妹なんて未だにちょっとそんな感じなのに……もーこの子ったら本当の女ったらし! 超かわいい」
そう言ってわちゃわちゃに頭をかきまわすわたし。翔平は居心地悪そうにしながらも抵抗とかはせずに、ひたすら目を伏せて「うす」「うす」と律儀に返事を返してくれる。かわいい。
亀太郎の家は大きくて部屋がたくさんある。玄関を進んで最初に目の当たりにすることになるダイニングキッチンには業務用みたいに大きな冷蔵庫が四つ並んでいて、床には冷凍食品のパッケージが飛散している。最初にここを見た時は掃除をしない人なのかと勘違いをしそうになったが、しかし奥の扉を開けた先に現れる『動物を殺す部屋』は病的な程整頓されたものだった。
化学実験室のようなその部屋は亀太郎が友人と猫を殺す為にリフォームしたと言う部屋で、床と壁は一面タイル張りな為猫の血や臓物、糞尿で汚れた後水を撒いて簡単に掃除ができる。中央には大きな実験台のようなテーブルが配置されており、ローラー付きのサイドテーブルには大小さまざまな刃物の他、薬品の詰まった容器などがずらりと並んでいる。
その部屋のテーブルを囲んで、二人の男女が腹を切り裂かれた猫を指さしながら大きな声で何やら口論を行っていた。
「ちょっとあんたやる気あんの? もっときちんと内臓がちゃんと見えるように腹を裂きなさいよ。こんなんじゃ絵にならないじゃない」
などと怒鳴るのは真っ黒の喪服をあちこち猫の血で汚した髪の長い二十代半ばの女性だった。スケッチブックを抱え込みながら椅子に座り込み、猫の死骸を指さしながら激しい口調で向かいの男を非難している。
「なんでモチーフをもっと丁寧に扱わない訳? ただ刺したり切り裂いたりしたら良いってもんじゃないの。きちんと喉から尻にかけてきちんとぱっくり開いて中の臓物を引っ張り出すの。あーもうこんな使えない公務員に税金払ってるんだと思うと虫唾が走るわ本当に」
「う、うるせーな! フリーターの子供部屋おばさんが自立した公務員に文句付けんな。文句があるなら自分でやれよ」
などと反論しているのは、おでこにある大きな切り傷のような痕が特徴的な三十代半ばの男性だ。背は高く百八十センチ以上あって恰幅も良いのだが、この猫の死骸をめぐる口論においては相手の女性に押されているようで狼狽えた表情を浮かべている。
「黙れ童貞。口答えすんな」「うるさい貧乏人!」「童貞」「低学歴!」「童貞」「ブス!」「童貞」「喪女!」「童貞」「サブカル糞女!」「童貞」「お、おま……ど、ど、童貞っつっといたら……ぐす、……勝てる訳じゃねーぞ、こらぁ! ……ぐす、ぅう。うぅうう……」
泣いてるじゃん……。
「まあまあまあ」そこで亀太郎が諍う二人の間に入る。「何を喧嘩なさってるんですか黒鈴ちゃん、牛糞さん。仲良し同士じゃれあうことはあると思いますが、片方が泣いちゃうほど言い合うのは良くありません」
黒鈴と牛糞の二人は顔を合わせるとこんな風に喧嘩ばかりをしているが、たいていの場合牛糞が言い負けている。だが仲が悪い訳ではないようで、むしろ黒鈴の描いた絵を牛糞が結構な金額で買い取ったりしているし、黒鈴の絵のモチーフを探す為に二人だけで旅行に出かけたこともあるらしい。
黒鈴は二十代中盤くらいの女性で、百五十センチ足らずの小柄で何故かいつも喪服ばかりを着ていて、やたら長い腰までの黒髪で真っ白い顔を覆っている。今の仕事はコンビニのアルバイトで、色んな職業を転々としながら趣味の絵を描く毎日らしい。その絵の実力はわたしから見てもほとんどプロ顔負け、というか実際本の表紙の依頼とかで少々のお金になることもあるそうだ。亀太郎や牛糞に言わせると『類稀な才能』なのだそうで、その画力で描かれた猫の死骸の鉛筆画を、写真の代わりにネットにアップすることで有名になったという変わった黒ムツだ。
対する牛糞は三十代中盤くらいの男性で、百八十センチを超える痩身の男性なのだが、どこかすすけた印象で押しが弱く、私服のセンスとか体臭とか髪形なんかをいつもいつも黒鈴に言いがかり的に罵倒されている。おでこにある大きな切り傷の痕は『小さい頃母親の飼い猫にやられた』とのことで、『このキズの所為で女にモテず学校でいじめられ碌な青春時代を送れなかった』などと思春期の頃から猫を憎んでいるらしい。職業はなんと保健所の職員。趣味を仕事にしているという他とは一味違う黒ムツだ。
「あんた何年あたしの絵を見て来たの? あたしは猫の絵を描きたいのでも、ケガをした猫を描きたいのでもなくて、猫の内臓の絵を描きたいのよ。だからきちんとお腹を裂いて殺してほしいのよ。なんでそんな簡単なこともできないのかしら。本当使えないわね」
「別に腹なんて後からいくらでも裂けるだろうが」
「そんなに無造作にぐちゃぐちゃに傷付けてたら訳が分からなくなるじゃない? 内臓はなるべく傷付けないで、綺麗にお腹だけを切開するの」
「そんな外科手術みたいな真似できるかよ素人に。おい亀太郎」
「はいなんですか?」牛糞に声をかけられ、亀太郎は微笑んで応じる。
「おまえ医者だったな。こいつの言うようにしてやれよ」
「…………手技は習ってますが……わたしは精神科医ですからねぇ」頬に手を当てて悩まし気な顔をする亀太郎。「黒鈴ちゃんは牛糞さんにしてもらいたいんじゃないですか?」
亀太郎は本当は自分で動物の剥製を作れるくらいに手先が器用なのだが、ここは何か察するものがあるらしく手を出さないつもりらしい。だがそんな亀太郎の言い分に黒鈴は心底不快そうに眉を顰めた。
「何言ってんのよ亀太郎」黒鈴は言う。「良いわよもうこれで。もう自分でできる切り裂き方はだいたい試したし、他人にやらせたらまた新しい絵が描けるかなと思ってただけ」
そう言って牛糞が殺した曰く『センスのない』猫の死骸の絵を描き始める黒鈴。牛糞は「最初っからそうしろよな……」などとぶつくさ言いながら、諍いを見守っていた翔平を捕まえてグチグチ言い始めた。翔平は「うす」「うす」と三倍近く年上のおじさんの不平を律儀に聞いてやっている(かわいい)。
亀太郎、黒鈴、牛糞、大谷翔平、そしてわたしことハルマゲドンかに玉を加えた五人合わせて、『ペット大嫌い板Y県支部』のオフ会は成り立っている。休職中の医者、画家志望のフリーター、保健所勤務の公務員、野球少年の中学生に品行方正な女子高生と暮らしは様々だが、たまり場を提供する亀太郎がだいたい暇なのもあって、そこそこの頻度で顔を合わせられている。
「わたし達も始めましょうか?」亀太郎はわたしの方を見て微笑む。
「はい」とわたし。「え、でも殺す猫いるんですか?」
「ストックしてあります」
などと言いながら、壁に備え付けの棚から布を被された箱を取って来る。布を外すと中では明らかに定員オーバーの量の猫がひしめくカゴがある。その床の部分には大量の糞尿がこびり付き、猫たちは互いに傷付けあったのだろう様子で全身あちこちに切り傷を作っている。
そりゃこんなカゴの中にぎゅうぎゅう詰めに放り込まれたら気も狂おうものだ。衰弱して死んでしまっても構わないという前提での飼育なのは明らかだ。証拠に、隅には片方の目を潰されてドロドロの血や房水を垂れ流している瀕死の猫が転がっていた。
「この子はもうダメみたいですね」
言いながら亀太郎は瀕死の猫を引っ張り出すと、ダストボックスにぽいと放り投げる。だがこいつはまだ幸せかもしれなかった。
わたしは亀太郎に断ってカゴの中から一匹の猫を引っ張り出す。わたしは白猫が好きだ。痛めつける程血と泥の色に染まっていく白い肌がみじめでみすぼらしくて、嗜虐心を上手く刺激してくれる。
カゴの中のストレスによって攻撃的になっている白猫は、『キシャー!』と不思議な声をあげてわたしの手から抜け出そうと両手を振り回して暴れる。引っかかれると膿んだりして危険なのでとっとと大人しくしてしまおうと、わたしは首根っこを掴んだまま机の角に思うさま背中を叩きつけた。
息が詰まったような声を発して口から濁った汁を吐き出すと、猫はとたんに両手足をぶらんとさせて大人しくなる。どこかの骨が折れて痛みのあまり動けなくなったのだろう。わたしはそのほかほかに温かい猫をぎゅうと抱きしめて臭いを嗅ぐ。糞尿と皮脂の香りがつんと鼻につく。
心臓は動いていてどくんどくんという音して、人間とそう変わらないような低い息遣いも聞こえて来る。この猫は訳も分からず悪鬼によって捉えられ地獄の箱に放り込まれ、気まぐれに引っ張り出されて弄ばれて殺される。この子のそうした気の毒な運命のことを想うと、わたしは全身が震えあがるような高揚と、救済感を味わうのだった。
わたしはこの子のことをどうとでも弄べるし、そのことで何の咎めを受けることもない。
このぬくもりも、か細い息も、少し湿った体毛も獣の臭いも何もかもがわたしの手の中にある。どうとでも冒涜して破壊して支配できる。
「かに玉ちゃん」言って、亀太郎はわたしの『いつもの』鉄串を取り出して渡してくれる。
大がかりな調理に使用する長さ六十センチ程の鉄串で、その気になれば人を刺し殺せる程度の鋭さを有している。わたしは亀太郎にお礼を言ってそれを受け取り、ぐったりした猫の可愛らしいお尻の穴を探し出して鉄串を突き刺す。
ぐったりしていた猫もこれには全身をばたつかせて暴れ始めた。動物というのは少し弱らせるとぐったりして成されるがままになるが、そこから本当に生命を脅かすような損傷を加えると最後の力を振り絞るように全力で暴れ始める。でもそんなことは最初から分かっていて、だからムダで、わたしの手によって首根っこを掴まれてテーブルの上に押し付けられていた猫は、抵抗むなしく体の奥へ奥へと鉄串を挿入されていく。
口から濁った汁を吐き糞尿をまき散らし、断末魔の悲鳴をあげまくり、しかしそれも唐突に終わった。完全にくたばったのだ。わたしはふうと息を吐きだすと、そのままぐいぐいと鉄串を押し込んで貫通させた。
「お上手ですねぇ」亀太郎は感心している。「きちんとお尻から入れて口から出そうと思ったら、練習がいると思います。変なところを貫通したら、見栄えが悪くなっちゃいますものね」
そうだ。わたしはこれを練習した。わたしは歴史が好きで特に戦争の逸話が好きで、中学の頃は拷問やら虐殺やらの歴史についてひそやかに調べるのが好きだった。多分クラスに一人はいるタイプ。中でもわたしの琴線に触れたのは、ナチスドイツもスパルタも日本軍もやったと言われる『串刺しの刑』で、尻から突き刺した木や鉄の杭を喉まで貫通させると言うその行いの残虐さに、わたしは一時虜になった。
人間の歴史にはこんな幼稚なことを本当にやろうと思った人が実際に何人もいて、実際に生きたまま杭で全身を貫かれた人が実際にいる。その事実を思うとわたしは氷を丸ごと飲み込んだような不思議な快感を覚えるのだ。猫の尻から鉄串を突き刺すわたしはまるでウラド三世。
「服、ちょっと汚れちゃった」わたしは焼き鳥状態になった猫を串ごと持ち上げつつ、自分のお洋服を見下ろして言った。血と糞尿が少々飛び散っている。「大丈夫かな?」
「代わりの服を用意します。その服はわたしの家で洗濯しておきます。わたしが紅茶をこぼしちゃったことにしましょう。お父様やお母様に怒られる心配はありません。心配しないで。今日はドロドロの血まみれになって遊ぶんです。それが一番楽しくて贅沢なことなんですよ」
そう言って笑みを浮かべる亀太郎の顔は優しくて、わたしは強い安堵感と救済感を覚えている。自分がこの人の友でありこの人達の仲間であるということに心地の良い一体感を覚えている。
そうだ。ここにいる限りわたしはいくらでも血と臓物で汚れることができる。いくらでも自分を汚して傷付けて無茶苦茶にできる。わたしは全能の悪魔であり、悪魔には味方が一杯で、その正体を誰にも気付かせることはない。
ママに抑え込まれながらただただ家と学校を往復するしかなかった当時を思うと、今のわたしは本当に幸せであると、心から強くそう感じられた。
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