第22話
放課後家に帰ると先に戻っていたれもんが台所に立っていたので「今日お料理当番わたしじゃーん」と声をかける。れもんはわたしが右手に抱えたスーパーのビニール袋の中にあるジャワカレーの中辛と永谷園のかに玉のパッケージを見て一言。
「どうせそれだろうと思って先に別の物を作り始めてたんですよ」
わたしは料理を任せるとカレーとかに玉ばかりを作ることを家族から警戒されている。でもどっちも美味しいからそれで良くない? というかこの買い物無駄になってない? なんて思うんだけどれもんが「別に代わりに洗濯やれとか皿洗いやれとか言わないですから。今日は全部私やりますよ。サービスです」とか言い出すので「うっひょー」って感じでわたしは納得する。
「楽ちんちん」
「やめてください」
「なんで? ちんちんとか言ったらあかんの?」
「逆にどうして良いと思ったんですかね……? 最近の姉さん、二人だけになるとそういう単語平気で口にしますけど、ひょっとしてからかってます? 恥ずかしいとか思いません?」
「れいちゃんしかいんし何言っても何やっても恥ずかしいとか思わんよ。あああたしも手伝うよネギ切るね」
と言ってわたしは焼き鳥を作る為のネギを手に持つと、ふと嬉しくなってネギでれもんのお尻を叩く。
「ドンパッチソード!」
「やめなさい!」れもんは本気で眉を顰める。「食べ物粗末にするのは禁じ手ですよ。家に戻ると余計バカになるのやめてもらって良いですか?」
全身をくまなく叩きのめしてやろうとか思ったけど、これ以上不機嫌にさせると気まずいのでやめておく。れもんは怒るとこっちから相当きちんと謝るまでずっと黙りっぱなしになるのでとてもうざいのだ。
でも別に良いじゃんかよネギで叩くくらいー。だめかー?
わたしはポケモンのカモネギの真似をして『いあいぎり!』とやりたいのを我慢しながらネギを切り終える。諦めきれずかに玉を作ろうとしたわたしを「弁当にも入れてたでしょ」とれもんは制した。
「もう良いですから部屋に戻っててください」
「ええでも戻ってもやることないし」
「勉強しましょうよ。姉さんは」
「わー厳しい」
でもまあ実際勉強はいつだってした方が良い。わたしの成績は悪くないしむしろすごく良いと言っても良いくらいなのだけれど、れもんみたいに一番にならなきゃ意味がないみたいにママは言って来る。前々回三番だったのが前回は八番に落ちてるから、次の中間では五番くらいには持ち直さないとペナルティがありそうだ。
わたしは妹に言われたとおりにお部屋に引っ込むことにした。
〇
部屋で勉強をしているとママが家に帰って来た。
お迎えの挨拶がてらリビングの様子を見に行く。串に刺し終えた焼き鳥が台所にずらりと並んでいて、後は食べる前に焼くのを待つ状態になっている。夕食はパパの帰りを待ってからということらしい。でもあの人帰り遅いんだよなあ。
食べ盛りの女子高生であるわたしは先に食べちゃうことを提案したのだが「どうしてパパを待てないの」とママに叱られてしまった。
「お腹空くんだよぅ」
「お勉強の続きをしなさい。そしたらお腹空いたのなんて忘れるわよ」
「今日はもういいのー」
「こないだのテストは何位だった?」
「八番です」
「全国にいくつ高校があると思ってる? そりゃああなたの通ってる学校はこのあたりじゃ一番良いところかもしれないけれど、でも灘や開成に通ってる訳じゃあない。そこで八番なんて成績じゃ、全国にあなたより上のライバルが一体何人いることかしら? 考えたことはある? 妥協してる場合じゃないの。それとも、一番を目指す必要がないだとか、そんな呆けたことを思ってる訳じゃないわよね?」
迂闊なこと言うとお説教始まるからやだよなぁ。親がうるさいだなんて人並の高校生の人並の悩みに過ぎないんだけれど、こう頻度が多くて理不尽だと参るよね。人並に。
それにわたしだって妥協はしてるかもしれないけど呆けてる訳じゃない。つい口答えをしてしまう。
「一番なんて一人しかなれないよ。必ずしも自分がそうでなくちゃいけないと思うのは傲慢じゃないのかな?」
「れもんはずっと一番よ?」ああそれ言われるとつらい。「見習いなさい。良いこと? あなたの何倍も努力している人があなたの周りにはたくさんいるの。あなたは色んなことに対してもっと深刻になった方が良い」
「はぁい。ママ」
なんて言ってお部屋に引っ込むけどお勉強したくない。やだやだやだ遊びたい。って気分だったのでわたしはパソコンを点けてしまう。
インターネットを起動していつも利用している『ペット大嫌い掲示板』にアクセスする。日本で一番大きな掲示板の板の一つなんだけれど、主に犬や猫などの動物に対して不満や嫌悪を持つ人達や、さらにはそれが高じて動物を虐待・虐殺する趣味を持つ人達が利用する場所だ。
『お久しぶりです皆さん。ハルマゲドンかに玉です』
わたしはスレを立てて書き込みをする。
『昨日は無人駅で猫ちゃんに串刺しになってもらいました。と言っても殺害自体は駅の近くの公衆トイレで行って、猫を貫いた鉄串を肩に担いで運んだんですけどね(笑)。なんか武器みたいにして運ばれる串刺しの猫っていうのも、見付かったら一発で通報されてアウトでしょうね(汗)
最近は近所の警察のパトロールとかも厳しくなってますから緊張しまくりです。猫は害獣だから駆除するのは何ら悪いことじゃないはずなのに、取り締まられるなんて理不尽な話です(泣)。保健所のガス室で殺すかわたし達が殺すかの違いだけなのに、おかしいですよね。
なんてちょっと屁理屈っぽかったですよね(笑)。楽しいから殺してるだけなので本当はそんなことはどうでも良いのです。いつものように殺害時の写真をアップロードしておきますので、是非ご覧になってくださいね』
今回アップロードする写真は五枚だ。捕まえたばかりの生きている猫の画像、生きたまま鉄串で貫いている最中の画像と、串に刺さったままわたしの手で高く持ち上げられている死んだ猫。そして無人駅の線路の脇に串を突き刺した状態の写真を二枚だ。
『どうして『ハルマゲドンかに玉』なんてハンドルネームを使っているのかという質問をお受けしました。かに玉が好きだからです(笑)。『ハルマゲドン』ってなんぞや! と思われるかもしれませんがこれには諸事情がありまして。犯行声明を残す時につい本名を書きそうになって、ナナメの線をかいたのですが慌ててカタカナの『ハ』に訂正し、そこから先の言葉がどうしても『ハルマゲドン』しか思いつかなかったということなんです(笑)。ああ本名の一部分がバレちゃいましたね(汗)。
どうして猫を串刺しにする殺し方なのかというご質問を受けました。家族に焼き鳥が好きな人がいるからです(笑)。わたしはかに玉が好きなんですけどどっちを夕飯にするかで良く揉めてしまいます。家族っていうのがどの家族なのかは秘密です。イケメンの旦那さんってことにししちゃおうかなぁ←性別がバレる』
わたしの書き込み方のセンスってちょっと古いのかなぁとか時々思う。『(笑)』なんてわたしが物心付く頃にはもう化石で『w』が主流だし。でもでも『w』って知ってる人じゃないと何言ってるのか全然わからないし、そういう知らない人を排除しかねない不文律みたいなのって、わたしはあまり好きじゃない。
『テレビのニュースでもたびたび取り上げられていますし、この掲示板だって盛り上がっていますね。荒れているという言い方もできますけれども、黒ムツの方々は基本的に楽しんでくださっているようなので、問題ないかと思います。
書き込みからプロバイダを特定してわたしを逮捕しようという動きももちろんあるようですが、そこは海外のプロバイダをたくさん経由しているので大丈夫でしょう。
猫と一緒で串刺しという訳です←激ウマギャグ。
それでは今日はこの辺で失礼します。皆さんいつも応援ありがとうございます』
「こんなもんかなぁ」
ペット大嫌い板はもちろん各種SNSやニュースサイトなんかでも、ハルマゲドンかに玉は結構な人気者だ。テレビのニュースにもなっちゃってるし、近所の小中学校だと集団下校が敷かれているようなところだってある。
自分が引き起こした事件が世の中をそれだけ騒がせているということには、それなりの満足感がある。皆が暴こうとしている『ハルマゲドンかに玉』の正体がこのわたしだということに対して、心地の良い背徳感を抱かずにはいられない。
でも最初はこんな大事になるなんて思ってなかった。
わたしはネットが好きで匿名掲示板が好きで、抱え込んでる自分の気持ちとかを無茶苦茶に吐露することで憂さ晴らしとしていた。家族のこと、勉強のこと、学校の人間関係や将来への不安や逃れたい過去。浅知恵で薄っぺらで誰も聞いていないような、わたし自身の倫理・哲学・意思・不平・不満・憤りや絶望や憎悪……。
そんなある日わたしは猫を殺した。高校一年生の時のことだ。進学して段違いに難しくなった授業内容にくたびれてつい家で弱音を吐いたらママにメタメタに叱られてしまい、落ち込んで悔しくて公園で泣いていたら、ふと足元で丸くなっている猫を殺すことを思い付いたのだ。
腹いせや憂さ晴らし? 動物虐待だなんて下劣な真似をして自分を傷付けることで母親への反抗の代わりとした? 理由としてこじつけられることはたくさんある。『どうしてわたし達は猫を殺すのか』っていうのは黒ムツ(動物虐待が好きな人をそういう)にとって実のところ結構深いテーマであって、それを理解したくて他の黒ムツ達のレスも見て回ったこともある。
その中でもっともしっくりくると感じられたのは、『CK(キャットキラー)』という今では大分古いハンドルネームの、大昔のこんな書き込みだった。
『ガキが木に登ってみようと思ったのと同じ理屈で、『なんかおもしろそうだった』と表現するのが納得してもらえるかどうかはともかく適切だと思う』
そうだ。言ってしまえば本当にその程度の理由なのだ。社会的な制裁が待っているというその一点にさえ目を瞑るのならば、人間にとって自分より弱い生き物をいじめ、殺すという行いはとても普遍的で自然なものだ。まっさらに、当たり前に、『なんだかおもしろそう』と感じるに値する行為のはずなのだ。
生物というのは基本的に他の生物を攻撃することに興奮を覚えるようにできている。人間同士でさえ、自分より弱い者を支配して時にいたぶり、思うがままにしようとする者は少なからず存在するのだ。そしてその多くは何の咎めを受けることはなく、むしろ世の中の仕組みそれ自体がそうした人間に都合の良いように出来てさえいる。それと比べれば、動物にはけ口を求めるわたし達の方が、遙かに善良な存在とさえ言えるのではないだろうか?
わたしは虐殺の様子を写真に撮ってネットにアップし初め、ハンドルネームを名乗って活動する内に板の外のメディアにまで目に留まるようになる。黒ムツ仲間の中でも目立つ存在になっていて、今ではただ猫を殺した報告を写真付きで行うだけで、スレ一つあっさりと埋まるまでになっていた。
学校や家庭以外に誰にも秘密の自分の居場所を作り、そこで慕われることは嬉しかった。例え犯罪者集団の黒ムツファミリーなのだとしても……或いはだからこそ、偽悪を共有するクズ集団特有の連帯感を持って、生温い居心地の良さを築き上げられたのかもしれない。
自分のレスへの反応を愉しみながら、書き込みの余韻に浸っていると、スマートホンが鳴り響いた。
『亀太郎』さんだ。
「はいもしもし。『かに玉』です」わたしは電話に出る。
「おひさしぶりですー」
亀太郎さんは若い女の人で、職業は精神科医でわたしと同じ黒ムツ。しかし現在医者は休業中だそうで、近所の高級マンションで悠々自適に暮らしている。
「ひさしぶりって程でもないですよー。ネットではいつも会ってるじゃないですか」
「そうですけどー。お声を聴くとなんだかひさしぶりって感じがするじゃないですかぁ」
「それはちょっと分かりますね。ネットでのコミュニケーションは不特定多数に対してのレスポンスを自分に向けられたもののように受け取っていますけど、電話は亀太郎さんと一対一のやり取りですからね。違いはありますよね」
「かに玉ちゃんは的を射た素敵なことを言いますね。まだ高校生なのに尊敬です」
「そんな大したことは言ってないですよ。でもありがとうございます。それで、何の用ですか?」
「今から会えませんか?」
わたしはふと時計を見やる。もうすぐ夕ご飯の時間だ。
「確か門限が九時なんですっけ? 今から迎えに行けば二時間くらいはお話しできますよ。実は牛糞さんや黒鈴ちゃんが来ているんです。翔平くんも。かに玉ちゃんもいつものメンバーなんですから、仲間外れにしちゃかわいそうだと思いまして」
「ちょっと親に訊いてみますね」なんて言わなきゃいけないのは高校生の悲しさだよね。「亀太郎さんのことは、勉強を教えてくれる親切な病院の先生ってことになっているので、多分大丈夫だと思います」
という訳でママのところに行って事情を伝える。
「如月さんが家に来ないかって誘ってくれたんだけど、行っても良い? お勉強教えてくれるって」とわたし。
「如月さんって、精神科医の如月まりあさん?」とママ。
「そうそう。なんか美味しい紅茶が手に入ったから飲ませてくれるとか言ってくれて」
「信頼のおける人だから構わないけれど……」
亀太郎さんは大病院である如月医院の跡取り娘だ。ママにとって信頼がおけるということは、すなわち社会的地位が高いということである。そこから言うと亀太郎さんは文句なし。
「晩御飯はどうするの? というか、あなたれもんに料理当番投げたみたいじゃない?」
「それはれいちゃんがサービスしてくれたんだよ。晩御飯は家に帰ってから一人で食べるからわたしの分はおいといて。ちゃんと九時には帰してもらうようにするからさ」
「…………まあ、良いわ」とママは言った。「迷惑かけないようにするのよ」
「分かったよ、ママ」
という訳で、わたしは亀太郎さんの家に行くことになった。
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