第21話

 午前中の授業を受け終えて昼休み。お弁当箱に入ったおいしいかに玉を食べてほっぺが落ちそうになっていたわたしを、クラスメイトが背後から呼び止めた。

 「りんごの後輩が来てるよ」

 「わたし後輩とかいないけど」

 「あんたあたしと同じ二年なんだからいるに決まってんじゃん」

 「んと、部活とかしてないから、そういう意味でのコーハイはいないって意味で……」

 なんて言うけどこの口答えに意味はない。ようするに一年生の誰かがわたしに用があるっていうことで、それを親切にもわざわざ知らせに来てくれたのだ。『コーハイ』っていう言葉に何か目下を強調するニュアンスを感じてつい否定してしまうわたしの感性は、この際あまり重要なことではない。

 「ええとありがとう。じゃあ行くね」

 わたしはお弁当箱を机に置いて廊下に行く。

 晶子ちゃんがいた。

 「あ、りんごちゃん、ひさしぶりー」

 しばらく見ない内に髪を明るく染めていた晶子はそう言ってニコニコわたしに手を振る。わたしは同じ表情で手を振り返す。 

 麻原晶子ちゃんはわたしの妹のれもんの友達で、会うと楽しくお喋りするし妹を交えてなら一緒に遊んだこともあるから、多分わたし自身の友達ということでもあると思う。

 「りんごちゃん、元気ぃ?」

 「元気だよー」わたしはニコニコ。「わざわざ遠くの校舎から来させてごめんね。何の用かな?」

 「用っていうか……相談っていうか」

 「うんうん。何でも言って。れいちゃんのこととか?」

 「え、まあ、うん。れもんのこと」

 「どうしたの?」

 「いやなんか……ちょっとこう、付き合いが悪いっていうか、距離置いてくるっていうか」

 「ええそうなの? それはどのくらいはっきりした距離の置き方なの? 周りの人が皆気付くくらい?」

 「はっきりと無視されるし……。最初はあたしにだけだったんだけど、なんかちょっとずつ範囲を広げてるっていうか、他の子ともちょっとずつ距離置いてるっていうか……」

 「それは大変なことだねぇ」わたしは目を丸くして見せる。

 れもんが人をはっきり無視するような態度を取っている? 晶子は何もかも本当のことを言う子じゃないけれど、極端に思慮が浅い人間でもない。すぐにバレる嘘はつかないはずだ。つまりれもんは本当に晶子を無視している訳で、これは大きな問題になりうる。

 「本当前触れもなくっていうか。なんでそんなことされるか分からなくて……その」

 「うんうん。混乱するよね。分かるよ」

 「どうしたらいいか分からないから、だから」

 「何とかしてほしいんだよね」

 「何とかしてほしいっていうか……話聞いといてくれたら嬉しいかなって。れもんに」

 「もちろん良いよ」わたしは微笑んで見せる。「いつもれいちゃんと仲良くしてくれてるもんね。れいちゃんにはわたしから話聞いとくよ。相談してくれてありがとう」

 わたしはすぐにれもんのいる教室に向かい、席で一人で本を読んでいるれもんに声をかける。

 「れいちゃん」

 「あ。姉さん」れもんは顔を上げてわたしを見る。「どうしたんですか?」

 高校生になったれもんは可愛かった。可愛いだけじゃなくて、垢ぬけて来て綺麗になってもいるんだと思う。びっくりするくらい小さな顔の輪郭はとてもすっきりとしていて肌は雪みたいに白い。短めのショートボブの髪は少し幼げに見えるけれど、とろんとした瞳は穏やかで表情の作り方がとても落ち着いているので、お利口な印象を人には与える。

 「今大丈夫かな? お話ししたいことがあるの」

 「家じゃダメなんですか?」

 「お家でも良いね。でも早い方が良いと思うんだよね」

 「分かりました」れもんは本をしまう。「何でも言ってください、姉さん」

 友達のお姉ちゃんに自然体で喋る晶子と違って、れもんは自分のお姉ちゃんに敬語を使う。やめるように言ったこともあるんだけれど、『年長者ですから』ということでママやパパにもこんな喋り方だ。

 「晶子ちゃんから相談されたの。れいちゃんが晶子ちゃんに対して無視をしたり、他のお友達とも距離を置いたりしているって。何かあったのなら心配だと思って。本当なの?」

 「どれも事実です」れもんはあっさりと認めてしまう。「心配なのは分かりますけど……でもそれは私の人間関係の話ですし、望んでしていることなので、気にしないでくれると助かります。大したことじゃないですから」

 「もちろん、れいちゃん自身がわたしに首を突っ込まれたくないなら、それはしょうがないよ。でもやっぱり、わたしはれいちゃんのこと好きだから、れいちゃんがお友達付き合いでつらい思をしてないかどうか、気になっちゃうんだよね」

 「ですから、自分で望んでそうしていることなので、つらい思いをしたりとかはないです」

 「お友達と距離を置かなくちゃいけないような何かが起きて、そこにつらい思いや嫌な思いがなかったっていうのは、わたしの想像力の範囲だとちょっと釈然としないんだよね。知っておきたいって思っちゃう。話してくれないかな?」

 そう言ってれもんの顔をじっと見つめる。

 「晶子さんが猫の死骸の写真を撮っていたんです」

 数秒経ってから、れもんは明瞭に答えた。

 わたしは鼻白む。「え? 猫の死骸って、あの、ハルマゲドンかに玉の?」

 「ええまあ。先週の今日の朝、校門の前に置いてあったあの。一緒に見ましたよね?」

 ハルマゲドンかに玉というのは最近近隣地域に出没している猫殺害犯だ。どうしてそんな名前で呼ばれてるのかっていうと、本人が犯行声明でそう名乗っているから。

 わたしとれもんは結構な頻度で登校を共にする。学校に到着したわたしが目にしたのは校門の前にできた人だかりで、クールを気取りたくて衆愚に混ざりたくないって感じのれもんを長子の横暴で半ば強引に付き合わせ、わたし達はその輪の中に入り込んで中を見た。

 地面に突き刺された鉄串に貫かれた猫の死骸がそこにはあった。お尻から突き刺された串が口まで貫通していて、三毛猫のお尻を覆うふさふさのはずの毛は乾いた血にまみれてぴんと尖がっていた。あんぐりと口を開けて喉から鉄串を吐き出している猫の瞳は大きく見開かれていて、串刺しにされているのだから当たり前だけれど微動だにせず死んでいた。

 猫の背には高校の敷地を取り囲む外壁があって、そこには猫の血液を使って描かれた文字がある。大きく描かれたその文字が『ハルマゲドンかに玉』で、それが近隣で猫を殺害して死骸を残している愉快犯の犯行声明なのだ。もう七匹の猫が犠牲になっている。

 その衝撃的でグロテスクな光景を、わざわざ写真に収めるような人は確かに何人もいて、晶子はその内の一人だったという訳だ。

 「生き物の死を冒涜する行いです」れもんははっきりと非難する。「当たり前ですが猫は望んで死んだ訳でもないし、そんな姿になった訳でもない。ご自身やご自身の家族がそんな姿になった時、それを写真という形で残されたらどう思うんですかね、晶子さんは」

 「うーんと……?」わたしは首を傾げて表情だけはなるだけニコニコとさせている。

 上品な行いか否かというともちろんそんなことはない。軽蔑に値するとまで感じる人間がいるのも理解できる。だからと言って理由も告げずに一方的に友達関係を解消して周囲の人間ごと距離を置くだなんて、やることが極端ではないだろうか?

 だが元々れもんはそういう子だ。四角四面として潔癖で頑固。学生生活を乗り切る為に必要な人間関係を残しておこうだとかそういう合理的な考えよりも、納得のできないことをする相手と友達ではいたくないという、本人なりの倫理や信念を優先する。

 「そういうことをする晶子ちゃんとお友達でいたくなくなっちゃったんだね」わたしは理解を示すべく頷いて見せる。「でも、写真を撮るなんて許せないーってあなたの考えを晶子ちゃんにぶつけてみて、それで改善がなかった時に初めて友達を辞めれば済む話じゃないの?」

 「表面上私の言うことに納得した振りをされるだけなのでは?」

 「でもそこはれいちゃんが思うように見極めて良いんだし、例え改心がなかったとしても無駄になるのは時間だけだよ? そうじゃなくても、表面上だけでもあなたに譲歩して改心の言葉を口にできるなら、それはそれなりに価値のあることだと私は思う」

 「人を叱ったり説教をするのは嫌いです。そっと離れるのが互いに不愉快にならずに済む最良の方法です」

 「それはすごくよく分かるなあ。怒られるのは誰だって嫌だもんね」

 「私が教室での友達を失くすことを懸念してくれているんですか?」

 「もちろんそれもあるよ。れいちゃん、晶子ちゃん達と距離を置いて他に仲良くしたい子って、すぐには見付かんないでしょ」

 というか元々れもんは友達の少ない子で、その数少ない友人が晶子だったのだ。進学して最初のクラス別けで同じクラスになれたと喜んでいたのは記憶にも新しい。れもんはシャイで非社交的であることを自認しているし、だからこそ晶子のことは大事にしようと本人が自分の口で言っていたはずだ。

 「ですが晶子さんに失望したまま晶子さんと仲良くすることは誠意ではありません。晶子さんから離れる以上晶子さん絡みの友人とも距離ができますが、それも含めて納得していますよ」

 「チャンスをあげても良いんじゃないかな? 晶子ちゃんだってれいちゃんに冷たくされて悲しんでたよ? 改心してくれるかどうか、れいちゃん自身の考えを話してあげても……」

 「私は人を試せる程偉い人間じゃないですよ」

 これに反論できないでいると、予冷が鳴り響く。説得に失敗したらしいわたしはむうと唸って、「分かったよ。またなんかあったら教えて」と言って話を畳むことにした。

 「分かりました」れもんは言う。「そんなに心配しないでください。学校は勉強をするところですからお友達は無理には必要ありません」

 「寂しくなぁい?」

 「話し相手や遊び相手なら、姉さんがいるから大丈夫です。それがあるから、学校での人間関係に固執せずに済んだというのもあるんですよ?」

 こんなふうに言われると普通に嬉しくなっちゃうんだけど……でもママが聞いたらどう思うだろう? 『姉さんに甘えて友達付き合いを蔑ろにした』とか、そのくらいに言うんじゃないだろうか?

 「それにしても」れもんはふうと息を吐きだす。「『ハルマゲドンかに玉』でしたっけ? 昨日も無人駅で猫の死骸が発見されたんですよね? ふざけていますよ。どうしてそんな、生き物の命を無暗に奪うような人間がいるんでしょうね?」

 「さあねぇ」わたしは微笑む。「でも多分そういうのって、責任を負うのは本人だとしても、本人だけが悪い訳でも本人が一番悪い訳でもないと思うんだよね。その人にそんなことをさせてしまった、世界の方にも問題があるっていうか」

 「バカですか?」れもんは間髪入れずにわたしの言い分を切って捨てる。バカって何よぅ。「人間の社会はいつだって発展途上ですから、不平不満を持つ人がいるのはやむを得ないとして、そんな方法でルサンチマンを表現したって何一つ建設的ではないじゃないですか。基本的に自分の身の回りの不満は自分で解消しなくちゃいけませんし、世の中が許せないなら選挙にでも行けば良いんです。ハルマゲドンかに玉は」

 「十七歳のわたしに選挙権ないよ」

 「ハルマゲドンにはあるんじゃないですか?」

 「どうかなあ」わたしは小首をかしげて見せる。

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