第19話
部屋に沢村を案内した。
「そいつの部屋を見りゃ、性格が分かるとは言うが……」沢村は腕を組んだ。「典型的だね君は」
壁にはディスプレイされたナイフやエアガン、本棚には銃や刃物のカタログに戦争関連の書籍。あとエロ本。ガキの頃から使ってる勉強机にはノーパソが置いてあるだけで勉強道具が一切ない。全部高校卒業時に佐藤と二人で川で燃やした。
「分かるのは趣味くらいのもんじゃね?」俺は言う。「それにしたって今時はパソコンやスマホで遊べる訳だから、部屋見て分かるのは結局のところ几帳面かそうじゃないかってくらいだろ」
「意外と片付いてんね」
「未だにカーチャンが部屋勝手に片づけたりするからな」
「君って服とか親が買ったのしか着なさそうだよね」
「正解」俺は笑う。「体形も十五から変わってなくて中坊の頃の服が未だに入るから、それで間に合うの。シャツとかは自分で買い足すけどな」
「顔が取り柄なんだから服装くらい気ぃ使ったら?」
「それで何になるの? ホストにでもなんの?」
「べしゃりができりゃナンバー1だろ?」
「女の機嫌取る仕事だろ? ねーわぁ」
「亀太郎さんには気に入られてんだろ? 貢がせたナイフってのはそれか?」言いながら、沢村は壁に飾ってある『オルカ』を指さす。ナイフは何本かあるけれど、流石に沢村もこれだけは『違う』ということが分かったようだ。
「そうそう。カッケーだろ?」
「良く分からん。でもそれだけ他と違うってのは分かる」沢村は腕を組む。「良く切れんの?」
「ばっちり」
「……へえ」沢村は表情に何か嫌悪のようなものを浮かべる。「ナイフは分かんねぇや。本棚見して?」
「いいぞ」
沢村はミリタリー関係の書籍はスルーし、文庫本とコミックに視線を這わせた後、最後に中高の卒業アルバムに指をかけた。
「君ってこういうの本棚飾っとくタイプなんだ」
「女子の写真とかあるじゃん? 暇な時コンビニでスキャンしてエロコラ作ったりする」
「きめぇ。けど良いなそれ。今度僕の文集貸すから作ってくれよ」
「いいぜ」
アホな会話をして、佐藤は卒業文集をペラペラめくる。
あるページで、佐藤は手を止めた。そして一枚の写真を凝視すると、意外そうな表情で俺の方を見る。
「こいつ……」そこには修学旅行で俺と佐藤がはしゃいでる写真があった。『田中商店』と書かれた沖縄の寂れた雑貨屋の看板の前で、俺が佐藤に肩車をされている写真だ。写真屋が去った後マーカーで『油虫商店』と細工したのはおもしろかった。
「ああ。佐藤か」俺は言った。
「仲良かったの?」
「それなりにな。何、沢村知り合い?」
「中学時代のチームメイト。守備位置はファースト、たまにサード」
「へぇ。世界は狭いもんだ」
「打撃じゃ僕よりすごかったよ。彼が四番、僕は五番。彼は中学で野球やめちまったけど、僕は中学三年間、こいつには適わないとずっと思ってたくらいだ」
「マジで? 高校じゃ喧嘩しかしなかったような奴だぜこいつ?」
「だろうな。良く先輩と殴り合ってた」
高校の頃の俺と佐藤との関係はほとんどその場のノリだけで成り立っていて、お互いの話なんてほとんどしなかったもんだから、野球部員でだったことなんて初めて知った。
「君と僕って結構育ってきた地域近いんだな。他にも共通の知り合いいるかも」
言いながら、沢村はぱらぱらと卒業アルバムをめくる。すると、一枚の写真がぱらぱらとページの隙間から落ちた。
沢村は目を丸くして写真を拾い上げる。何挟んでたんだっけな? などと思いながら背後に回り込む。
沢村が握っていたのは猫の写真だった。
ずんぐりした黒猫で首輪を巻いている。記憶を改めると、かつて佐藤からこいつを殺すように依頼されたことを思い出す。その時に『ターゲットの写真』としてこれを渡されたのだ。裏にはこの猫が飼われている家の住所が書いてあるはずだ。
「……CK、これ、何?」
「あーこれ? 高校の頃殺した猫の写真。佐藤にこいつ殺せって頼まれたんだよなーなんでだったっけ?」言いながら、俺はベットの下を漁り、殺した動物の『戦利品』を入れている箱を取り出す。「これこれ。確かこの首輪」
写真の中で猫がしている緑の首輪と同じものを取り出す。そこで俺はあることに気付く。首輪にはマーカーで何やら人の名前らしきものが書いてあって、読んでみるとそれは『沢村栄治』だった。俺は目の前にいる『沢村栄治』を名乗る男とその首輪を見比べる。
「つかこれアレじゃん。あんたのハンドルネームと同じ名前が書かれてる首輪」俺は指さしてどっと笑う。前にもこれを箱の中から漁って眺めたことがある。そうか、これ佐藤に頼まれて殺した奴だったんだ。今思い出した。「まああんた本名二階堂だし、無関係だろうけどな。しっかしこの飼い主本名『沢村栄治』ってんのかな? いくら苗字が『沢村』でも息子に『栄治』は付けるか普通?」
「……いや、それは猫の名前だ」沢村は言った。その視線は写真の方に向けられていて、表情はうかがえない。「この猫が『沢村栄治』ってんだ」
「は? 確かにそういう線もあるんだろうが、なんでそんなの分かるんだ?」俺は首を傾げる。
「数奇なもんだな」沢村は乾いた笑みを漏らした。おかしくてたまらないといった表情だったが、どこかやけっぱちめいてもいた。「それ、僕の飼い猫の奴だよ。『エイジ』って呼んでた。『沢村栄治』だから『エイジ』」
「マジ? でもあんた、言ってたろ? 猫に目ぇひっかかれて……それで復讐に猫を殺し……」
「ん? 僕がエイジに目ぇ引っ掻かれたのは本当だけど、でも殺したとは言ってなかったはずだよね?」
「殺さなかったのか?」俺は戸惑う。どういうことだ? この写真の猫は間違いなく沢村の飼い猫で沢村の目を潰した奴だ。しかし沢村はこの猫を殺さなかったという。目を潰された復讐で黒ムツになったこいつが、肝心のこのクソ猫を殺さなかった? 何故?
「目ぇ潰されたのは悲しかったよ? 夢だったからな、プロになるの。今でも夢に見る、夜眠れない程さ。悲しくて悔しくて理不尽で死にたくなった」
「だったら……」
「でも許した。家族だからな。僕はエイジのことを憎んだことなんて一度もない」
「何を言って……おまえ、猫を憎んで黒ムツになったんだろ?」
「君や亀太郎の前で僕が猫を殺したことが一度でもあったかよ?」言いながら、沢村は俺の方に距離を詰めて来る。潰れていない方の左目は血走っていて、唇は震え歯はぎりぎりと噛みしめられていた。足元のもとを蹴散らしながら俺の前までくると、拳を握って俺の顔面に向かってたたきつけて来た。
「ぐあっ!」
目の前を火花が飛んだ。歯が何本が圧し折れて血の飛沫と一緒にそこらに飛びちった。衝撃で壁にたたきつけられた俺は、驚きと痛みでパニックのようになった。
「一度くらいおまえらの目の前で猫を殺さなきゃいけないこと覚悟したがな?」沢村の目は据わっていた。殺意らしき激しい感情が全身をほとばしっている。「亀太郎は僕のことなんとなく警戒してたような気もするが、でもCKてめぇは間抜けだ。疑いもしねぇ。おめでたいよな? 自分の勝手な快楽で猫を殺しまくっておいて、報復されることはこれっぽっちも考えてねぇんだから。仲間の中に、自分の猫殺された人間が犯人探して潜り込んでるなんて、思い付きもしねぇんだから」
「何を……言って……」俺は息も絶え絶えだ。「おまえ……騙してたのかよ。俺達のこと」
「面白半分に動物を殺す奴は、クズだ」沢村は憎悪に満ちた表情で言い放つ。「まっさらに家族なんだよ。オレにとって、エイジは、まっさらに家族だったんだよ。目ぇ潰されて夢を消されて、それを許せるくらいに、家族だったんだよ! 家族を殺した奴は、俺が殺す!」
目がマジだった。俺は咄嗟にポケットの中のハバネロスプレーを握りこむ。
「アッタマおかしいだろおまえ! 動物が為に人を殺すのか?」
「てめぇには分かんねぇよ。他の誰に分かったとしてもてめぇには分かんねぇ。分かんねぇまま……死にやがれ!」
沢村の拳が俺の顔面に届く前に、俺は沢村に向けたハバネロスプレーを噴射することができた。ぎりぎりで回避した拳が空を切り、目を閉じて息を止めた俺の耳に激しく咳をする音が聞こえて来た。効いてる。
俺は沢村の脇を抜け、部屋を出て玄関に置いてある原付の鍵を引っ手繰り、家の外に出る。とにかく距離を取ろう。距離を取って、後は警察に逃げ込むなりなんなりすればいい。
沢村はスパイだったのか。俺や亀太郎と仲良くなり、黒ムツ同士のコミュニティに潜り込み自分の猫を殺した犯人を捜していた。
猫を殺された人間が本気で犯人を捜すのであれば、これ程に効果的な方法はないと言える。動物虐待くらいじゃ警察は本気で動かないから、犯人側がミスをしなければ捕まることは滅多にない。しかし黒ムツ同士のコミュニティに仲間として潜り込んでしまえば、犯人の方から『武勇伝』を話してくれる。
そりゃ俺達だって多少は警戒する。行為が行為だけに、実際に会って殺戮を共にするにはかなりの信頼関係がないと成り立たない。それは数日や数週間で築けるようなものではない。会ってからも目的がばれないよう最大の注意をしなければならない。いきなり殺害歴について詳しく聞きたがったら絶対警戒される。だからタイミングを見計らい自然に情報を集めなければならなかったはずだ。
気が遠くなるような作業。だがそれを沢村はやったのだ。俺という『真犯人』に行き付いたのだ。狂気じみた執念というほかない。
しかし怒りの感情のまま俺に殴りかかったのは失敗だ。素手でまともに殺し合えば負ける訳がないと踏んだのだろうが、その油断とハバネロスプレーのお陰でこうして逃げられた。もう少し慎重に来られてたら俺は死んでいただろう。我ながら悪運が強い。
原付に鍵を差し込んだあたりで、階段を降りてくる激しい足音が聞こえて来た。復活が早い。俺はエンジンを付けてヘルメットも被らないままでアクセルを全開に開いて逃げ出した。
「待ちやがれ猫殺しサイコ野郎! ぶっ殺してやる!」
沢村が吠えて俺を追いかけて来た。しかしいくらアイツの運動能力がバケモノでも原付には追い付けない。焦って運転を誤り転んだりしない限り逃げ切れる。
生命が保証されるとショックを受ける余裕ができる。友達だと思っていた、友達だと言ってくれた。高校卒業してから同世代の男の友達なんかできたことなくて、ふつうなら仲良くなんてならないタイプの沢村は良い奴で会うと楽しかった。だが奴の方は最初から演技だったのだ、俺のことを心底から軽蔑し、内心でサイコ野郎と罵りながら接していたのだ。
因果応報とは分かっている。俺のして来たことを想えばこれくらいは当然のしっぺ返しだ。だが俺は自嘲しつつも泣きたいくらい悲しかった。
バックミラーに妙なものが写った。
夜の闇の中でそれは真っ黒い塊のようにも見えた。それはミラーの中で一瞬にして大きく迫って、最後はアクセルを握る俺の右手に命中した。
凄まじい衝撃だった。沢村が俺に向かって石を投げて来たのだ。ピンポイントでアクセルを握る俺の右手を狙い、しっかりと命中させて来やがった。激痛のあまり、俺はアクセルから右手を離してバランスを崩す。さっきまでのキャッチボールの球はすべて手加減されていたのだということを俺は知った。
右側に大きくこけて原付で右足を挟んだ。走行中の転倒から生じるエネルギーが俺の右足を襲い、パンという嫌な乾いた音が響き渡った。骨が折れたことを確信する。驚きと焦りに俺は竦んだ。アドレナリンが出ているからか脂汗をかきながらどうにか痛みに耐えることはできたが、しかし右足に向かって倒れている原付を跳ねのけることは不可能だった。その場で動けなくなってしまう。
沢村が駆けて来る。場合によってはもう一つ投げるつもりだったのだろう石を右手で弄び、左手には銀色に輝く禍々しいナイフが握られている。オルカだ。俺の部屋から出るときに持ち出したのだろう。
今度は沢村は悠長なことをするつもりはない、もっとも効果的な武器で確実に殺しに来る。おまけに俺は足を折ってバイクの下敷き。俺は絶望を感じた。
「聞かせろ」沢村は石を捨て、ナイフを持って俺の頭を掴む。「佐藤がエイジを殺せと言ったのか? 何故だ?」
「……『このクソ猫の所為で親友が夢を奪われた。そいつはクソ猫を許すと言ったが、ボクは許せない』」自然とそのセリフが思い出され、俺は口にした。
「バカだな」沢村は言った。「バカばっかりだ」
「てめぇもだろ?」俺は最後の抵抗を試みる。「こんなふつうの道路で人殺して、完全犯罪にできると思ってんのか? この辺にしとけ、今なら傷害で済む」
「隠蔽する気が少しでもあるならいきなり殴りかかったりしねぇよ。おまえと佐藤殺したら投降するさ」
「……佐藤も殺すのか?」
「ったりめーだろ。家族を殺した奴は全員殺す。たとえ……」
その時沢村は、俺に少しだけ情のある視線を向けた気がした。
「友達でもな」
沢村が逆手に持った『オルカ』が、俺の首に向かって振り下ろされる。
ぬるりという音がした。いつも俺が突き刺す側で感じている衝撃が、皮膚を食い破り肉を突き進んで焼けるような激痛をもたらした。身体の中の取り返しのつかない部分が破壊されたと確信すると、引き抜かれたナイフが作った隙間から噴水のような鮮血がほとばしった。
死ぬんだな。俺は確信した。何をどうあがいても取り消すことのできない終わりが迫っていることを感じる。何匹何十匹という動物に死を与えて来た俺だけれど、自分が死ぬということは良く分からなかった。ただ暗闇の底に落ちていくような冷たさと、激痛の中で無意味と知りながらもがくことしかできない絶望的な無力感に世界は閉ざされていた。
「バイク借りてくぞ」沢村の声がした。「てめ……友達……本当……。……地獄で……また……」
音が消える光が消える。その内痛みも恐怖もなくなって、漠然とした中で自分の存在がほどけていくのだろう。
アイツらもこういう気持ちだったんだろうか? この期に及んで殺して来た猫たちのことが頭に浮かぶ。何もできずに成されるがまま苦痛を与えられ理不尽に命を垂れ流すこの感覚は、あの猫共の味わったのと同じものなのだろうか?
きっとそうだろう。人間なんて畜生と同じだ。ゴミみたいにみじめに何もできずにくたばっていく、その程度の存在だ。俺はほどけていく思考でそのことに納得した。納得することができた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます