第18話

 「またネットで会いましょうね」

 ということで昼前には亀太郎と別れた。俺の為に徹夜で色々してくれたんだからお疲れだろう。

 俺は久しぶりに猫を虐殺できたこと、そして腰にホルダーに収まった『オルカ』があることで上機嫌だった。家に帰って、壁のウォールディスプレイに『オルカ』を収める。魔剣とすら形容できるその禍々しい迫力を、俺はいくらでも眺めていられた。

 いくら亀太郎が金持ちでも、これを俺にプレゼントするまでの道のりは容易ではなかったはずだ。深夜に往復五時間かけて親父さんの家に向かい、警備員が巡回する中これを盗み出す。おまけに『試し切り』用の猫まで捕まえて来る。親切を通り越して献身的なものすら感じる。

 ……俺が『黒ムツやめる』とか言い出したからか? 俺は紫子や緑子が死んだことで思い詰めて、そんな思い付きを口にしたことを思い出す。それを引き留めようとした亀太郎が、俺にこんな高価なおもちゃ与えて遊ばせてその気を失くさせたと。

 そう考えるとなんか罪悪感がある。今となっては、俺が黒ムツをやめる訳なんてないって気分ですらあるのに、あの人は俺なんかの為にそこまでしてくれたのだ。あんな綺麗な女の人が俺の為に。幸せだ。これからも動物を殺しまくろうと思った。そしてちんちんを切り取って亀太郎にプレゼントするのだ。

 腹が減ってテキトウに飯を食いに行って、コンビニで漠然と求人誌を手に取って眺める。クビになったスーパーの次の働き先を考える余裕もできていた。自分に合う仕事なら正社員での働き口を探してみようかなとすら思った。ちょっとくらい忙しくても猫くらい殺せるだろう。

 求人情報を調べたり久しぶりにナイフ雑誌を紐解いたりオルカを眺めたりしていると、気が付けば深夜だった。今朝の快感が忘れられず、俺は猫を探しに夜の街に出掛けた。

 警官は増えたが外で殺さなきゃいい話だ。今日は母親もいないし家の風呂場で殺ろう。俺はいつもの公園に向かった。


 〇


 獲物を探して公園を歩いていると、バシンって音が聞こえて俺は立ち止まる。学生の頃はそれなりに耳にした音で、ボールなんかが壁にぶち当たる時の音だ。

 なんとなく聞き耳を立てると再びバシン。こんな真夜中に誰か壁当てでもしているらしい。俺は公園で猫を捕まえられなくなったことを残念に思い、なんとなく音のする方に視線を向けた。公園の隅、街灯の下で黒い人影がコンクリの塀に向かってボールを投げている。その人影に見覚えを感じて、俺は歩み寄った。

 「沢村?」

 グローブを嵌めた沢村が声に気付いてこちらを向いた。

 「CKじゃん」言いながら、沢村はボールを拾う。「どうしたの?」

 「どうしたのはこっちだよ。おまえ猫に目ぇひっかかれて野球やめたんじゃなかったのか?」

 「やめたさ」沢村は自嘲げに言う。「だからこれはただの遊び。プロになるのが無理になったってだけで、別にボールは投げられるしバットは振れるんだよ」

 沢村は力強い投球フォームで壁に向かってボールを投げる。地響きのような『バシン』が俺の耳朶を震わせた。沢村の投げる姿には迷いがなくて、力強いのと同時にそれが洗練された動きであることを感じさせた。

 「偉い良い球が行ったな」

 「そらそうよ。こちとら元ドラ1候補よ」沢村は笑う。「時間あんの? キャッチボールでもすっか?」

 「いいけどグローブ一個しかねぇじゃん」

 「君の球くれぇ素手で取れるっつの」舐め腐ったことを言ってグローブを投げて来る。手入れが行き届いていて、最近までしっかりと使い込まれていることがうかがえた。

 ……こいつ、もしかしたら毎日こういう投げ込みやってんじゃねぇのか? 俺はそんな風に感じた。

 「CKにゃちょいでかいか?」

 「あーな。後、臭ぇ」

 「ナマ言うな。青春の汗だ」

 良く分からないことを言って沢村は俺から距離を取り、ボールを投げ込んで来る。片目が見えていないとは思えない程コントロールされたそれは、放物線を描いて俺の胸元に落ちて来た。しかし勢いが強すぎた為俺はそれを弾き、こぼす。

 「いきなり強い球投げんなよ」文句を言って、俺はボールを拾う。

 「え? あ?」沢村はぽかんとした顔をする。「すまん」

 その『ぽかん』が『こいつこんな球も取れねぇの?』のぽかんであることを察して、俺はムカつく。素手の沢村に情け容赦ない球を返してやった。沢村は難なくそれを両手で捕球する。

 「取れんのかよ」俺は言った。

 「言ったろ。君の球くらい取れるって」

 「肩には自信あんだけどな」中高の体育ではもっぱら9番ライトだった俺だけど、凡フライの捕球とその後の送球だけはどやされない程度にできた。なんと中継の二塁手まで届くのだ。

 「ってことは、なに? 今の全力かよ?」言いながら沢村はしまいにゃ下手でボールを放る。「運痴だろうなとは思ってたけど、相当だな」

 「るっせ」なんとか捕球し、俺は力いっぱいボールを返す。

 沢村は素手でそれをつかみ取った。下手で返してくる。俺の投げたボールの軌道は完全に予測できていて、投げ返してくるボールのコントロールも完璧だ。俺の高校にも野球やってる奴はいたけど、その中の誰と比べても淀みのない動きだった。

 「ふつうに取ってるし投げてんじゃんあんた。なんで野球やめたの」

 「あ? 世の中に隻眼の野球選手がいるか?」

 「そうだけど」

 「そりゃ投げるだけなら目ぇつぶっててもキャッチャーのミットまで届くよ。どう投げりゃ良いかはイメージできるし、まだまだそのとおりに身体は動くしな」

 「じゃあなんでやめたんだよ」

 「遊びじゃないから」沢村は肩を竦める。「投げながらミット見なくちゃコントロールは磨けないからな。速い球をコントロールするなら絶対影響が出ない訳がないんだよ。おまけに強いゴロは取れないわ三塁ランナー見えないわ……で、諦めた」

 言いながら、沢村はボールを放る。それは俺の頭上を飛び越え、地面に落ちて転々と転がった。

 一瞬、沈黙が下りた。沢村は肩を竦めて首を振るう。

 「わざとじゃないからな」

 「そうか」俺はボールを拾いに行く。「草野球くらいできるんじゃねぇの?」ボールを投げた。

 「プロいけなきゃ意味ねぇんだよ」沢村はボールを受け取り、上から投げ返す。「身障者に指名なんか入るかっつの」

 「高校野球くらいやりきったら良かったじゃん、二階堂クンよ」なんとか受け取り、強く投げ返す。

 「なんておまえオレの本名なんか知ってんだよ!」難なくキャッチし、投げ返す。「オレも遊びじゃねぇしチームメイトだって遊びじゃねぇんだぞ? 障害を乗り越えて……ってか? 冗談じゃない。舐めてるだろそんなもんよ!」

 ほとんど本気じゃねぇかと思うような荒っぽい球が来た。死ぬかとすら思ったが、どうにか受け取れたのは奇跡に近い。手の強い痛みを感じながら、文句を言うこともせずに俺は投げ返す。

 「野球やめることまではなかったろ? こうやって夜中投げ込みやるくらいならまだ好きなんだろ野球? こんだけできるならやれるだろ? ドラ1レベルじゃなかろうが隻眼だろうが、おまえを受け入れてくれる人達なんていくらでもいるはずじゃぁねえのか?」

 「うっせ! てめぇに何が分かんだよ」

 「今のおまえを知ってるんだよ。目ぇ片一方なくたっておまえは良い男だ。良い男はやりたいことをやれよ」

 「バッカだろおめぇ!」

 「知っての通りバカだよ」俺は暴投気味の沢村の球を、体勢を崩しながらどうにか捕球する。「でもよ。じゃあ野球やめて代わりに今あんたがやってることってただの復讐だろ? 俺みたいな屑が動物いじめんのはまあいいよ。でもあんたみたいな良い男がなぁんで復讐なんかに必死こくかね? 実はこれ、俺ん中で結構疑問よ?」

 「…………言ったろ? 人間の心ってのは、大事なモンを失って『仕方なかった』で割り切れるように出来ちゃいないんだ。僕はもう復讐のことしか考えられない」

 「でもその『復讐』ってのは本当に終わるのかよ?」

 「…………」沢村は口を紡ぐ。「終わる……かどうかは、正直、分からない。でもオレはやり遂げなきゃいけない。絶対に」

 『やり遂げる』……? 俺はその表現に若干の違和感を覚えつつも、言った。

 「じゃあ終わるまで俺、あんたと一緒に黒ムツやるわ。あんたと一緒に猫ぶっ殺しまくるわ」

 「あ? 黒ムツやめるんじゃなかったのかよ?」

 「やめるとは言ってねぇよ。考えてみるっつっただけだ」

 「そうかよ」沢村は溜息を吐く。「僕のことは気にしないでくれよ? 別に僕は自分と一緒に君に猫を殺してほしいとか思ってねぇし。君とはもう、黒ムツ仲間とか関係なく、まっさらに友達のつもりなんだ」

 「そりゃ嬉しいね。だが残念、俺はもう黒ムツ続けるって決めて来てんの。亀太郎さんにカッチョ良いナイフもらったんだ」言いながら、ひょいとボールを投げ返す俺。

 沢村はそれを受け取って、俺に返してくる。さっきまでのように荒れてはいなかったが、丁寧でいて結構強い球だった。「……救いようのないバカだな君は」

 「おまえも一緒ようなもんだろ?」受け取り、投げ返す。

 「……まあな」沢村はボールを受け取った。「なんか汗かいた」

 「俺も。ウチ来る?」

 「冷房あんの?」

 「一応」

 「酒は?」

 「おまえ本当好きだな。……確か母さんのがあった」

 「よっしゃ」

 そんな訳で俺達は汗だくで一緒に歩き始めた。

 沢村とこんな忌憚ない言葉で応酬したのは初めてだった。そこそこ大人になってから知り合った同士だし、これまではなんとなく遠慮というか、お互い紳士的に振る舞おうという気持ちがどこかにあったのかもしれない。

 汗だくになってボールを投げ合って。俺達は多分、次に口を開いた時も、さっきまでのようにあけすけに会話ができるんだろう。そう思うと悪いことではないような気がした。

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