第17話
目を覚ますとソファに寝ていた。
周囲を動物のペニスが取り囲んでいることからしてここは亀太郎の家らしい。携帯電話で時間を確認する。午前八時。俺は伸びをする。妙に気持ちの良い朝だったが、昨日何があって、今がどういう状況なのかおぼろげだ。ただ漠然と、すごくいいことがあったらしいことだけは確信できた。ご丁寧にも、外から雀の鳴き声が聞こえて来る。
俺はタオルケットを跳ねのけて起き上がり、ぞんざいに着せられたみたいに乱れてる服を着直す。あくびをかましていると、部屋がノックされた。
「あいあい」俺は返事をする。
「起きてらっしゃいますか?」亀太郎がドアを開けて控えめに言った
「ええ、まあ」俺は意味もなく後頭部に手をやる。
「体調は優れます?」亀太郎はやけに心配そうだった。
「全然元気」
「そうですか」安心したように亀太郎は笑った。「ごめんなさいね。この家ベットも敷くお布団もないんですよ。その辺でテキトウに寝てるので……お客さんをソファなんかで寝かすことになっちゃったのは反省です」
「気にしないっすよ」俺は言った。むしろ心配なのはベットも布団もなしに生活している亀太郎の方だ。「顔洗って来ていいすか?」
「はぁい。洗面台に案内しますね」
本当は毎朝顔なんて洗う習慣無いんだけど、あんまりだらしないとこ見せるのも恥ずかしい気がした。それになんだかんだ女性の家で寝起きして混乱していたので、一応記憶を改める時間が欲しかった。
亀太郎の家を訪ねて来て、この部屋で会話をしていて、なんだか眠くなってきて……すごく良いことはおそらくこの辺で起きて……眠ってしまって今は朝。こんな感じか。
「朝ごはん食べて行きます?」亀太郎は尋ねる。
「いいんすか?」
手料理でも振る舞われるのかと思ったら、しばらくしてインターホンが鳴った。亀太郎が尋ね人を部屋に招くと、タキシードを来た男が静かに部屋に入って来て台所の机に淡々と料理を並べ、深々と礼をして去って行った。
「近所のレストランの人です」亀太郎はこともなげに言った。「このあたりだと一番おいしいですよ」
その言葉どおりその料理は間違いなく美味だった。下手をすれば俺が生まれてから食ってきたものの中で一番というレベルで。
間違って貴族の家に来た下男みたいな気持ちで食後のコーヒーをすすっていると、亀太郎が「あの」とおずおずとした態度で机の上に二十センチくらいの箱を置いてきた。
「これ、CKくんに差し上げます。気に入ってもらえると思いますよ」
「へ?」俺は首を傾げて箱を手に取る。何かくれるらしい。「開けていいんすか?」
「どうぞどうぞ」亀太郎はニコニコとして、プレゼントの反応を楽しみにするようにこちらを見詰めた。俺は怪訝に思いながら箱を開ける。
怪しい銀色に輝くナイフが入っていた。
刀身は短く細い。二十センチに届かない程度。真っ直ぐに一方向に伸びていて、先端は綺麗な鋭角の二等辺三角形を描いている。究極的に細く鋭く儚げで、それでいて、手に触れてみると恐ろしく丈夫な金属でできていることが分かった。グリップには真っ赤な宝石がはまっていて、美しい装飾が刻まれている。まるで悪魔の世界の道具であるかのように禍々しかった。
「……アンティークナイフ?」俺は呆然とする。あまりにもそのナイフが美しかったからだ。見ていると、ぞっと寒気を感じるような、魂をこのナイフに縫い付けられたような心地になる。俺は恐ろしく妖艶なその輝きに魅入られた。
「芸術品扱いですけど、よく切れますよ」亀太郎はニコニコ笑う。「銘は『オルカ』。ある国の英雄が、自分に相応しい武器を当時の著名な職人さんに特別に作らせたものだそうです。とても加工の難しい金属で作られていますが、丈夫で鋭利で、それでいて軽い。現在でもどんな技術を使ったのか解明されてなくて同じものは作れないそうですよ? 百年以上前の作品で、たくさんの血を吸っているのですが、刃こぼれ一つしていません」
「すげぇ……」俺は感動すらしていた。物に惚れるというのはこういうことを言うのかもしれない。「っていうか亀太郎さん? さっき変なこと言いませんでした? これ俺にくれるとかなんとか」
「差し上げますよぅ」亀太郎はニコニコとして言う。「お父さんの家にこんなのがあったなぁって思いだしたんです。それでちょっと車に乗って盗って来ました。鍵は持ってるんですが警備の人が巡回しているんでドキドキワクワクです。トレジャーハンター気分、がんばりました!」
「……いや、車に乗ってってこんな夜中に……お父さんの家近いんですか?」
「往復で五時間くらい?」亀太郎はこともなげに言う。「お父さん、価値のあるものならなんでも集めちゃうんですけど、でも飾ってあるだけなんてもったいないじゃないですか? 絶対CKくんみたいな人が実際に使った方がナイフも幸せです」
「……これ、いくら?」
「三百万円くらいじゃないでしょうか」
俺はめまいを感じて頭を抱える。ポンとプレゼントされた、百五十万の時計に続いて三百万のナイフをポンと。だが今回に限っては金額は問題じゃない。
「俺これ、将来どんだけ金に困っても売りません。ありがとうございます、マジ嬉しいですよ」
「気に入ってくださって嬉しいです」亀太郎は嬉しそうに言った。「早速ですけど、使い心地を試してみませんか?」
「た、試す?」
「はい。お試しです」
亀太郎はニコニコと言った。立ち上がり、俺を例のタイル張りの部屋に案内する。そこにはケージに入れられた猫が二匹、テーブルの上に置かれていた。
「は? いや、なんでこいつらここいんの?」
「取って来ました」亀太郎は言う。
「いやだから、最近は警察の警戒がキツくて……捕獲機も全部取り除いたはずじゃ……」
「素手で捕まえてきました。追いかけっこです。久しぶりに全力で走って二回くらい転びました。両足はすりむくし首のあたり引っ掻かれるし大変でしたけどこのとおり捕まえてきました」言って、亀太郎は首筋のあたりの引っかき傷を示し、両の拳を握る「CKくん、やっちゃってください!」
俺は手にした『オルカ』をじっと眺める。そいつは澄み切った輝きを持って俺を誘惑した。血を吸わせろとささやく声が確かに聞こえた。
「こんなん持たされて、獲物が目の前にいるなら……殺すしかないですね」
俺はゲージから猫を引っ張り出し机の上に押し付ける。ギャーギャー叫ぶ猫の顔面に向かってオルカを突き刺す。豆腐でも刺したみたいに簡単にその刃は猫の皮膚を通過した。ヌルリとした衝撃が俺の腕から体中に伝わる。この快感は痛みにも似ている。体の芯の繊細なところを殴られたみたいな激しい、小便を漏らしそうな快感だ。
気が付けば猫をめった刺しにしていた。おもしろいようによく切れるオルカで猫をばらばらにするのは楽しかった。それはいとも簡単に猫の身体に食い込み、猫の身体を引き裂く。これに比べれば今まで使っていたタガーナイフなんて、鉄でできているだけのただの板切れに過ぎなかった。
血まみれで息を切らす俺は背後に気配を感じる。亀太郎だ。彼女は満足そうに俺を見詰めながら、体に手を回して俺の耳にささやくように言った。
「CKくん。黒ムツ、続けられますよね?」
俺は心臓を握られたような錯覚を覚えて言葉に詰まる。
「楽しいですよ? 気持ちがいいですよ? こんな思いがたくさんできるんです、だからまた一緒に遊びましょう。ね? お友達でいましょう?」
「え、ええ」俺は震えて言った。「また、連絡しますから」
「はい。楽しみです」そう言って亀太郎はいつもとは少し違った笑みを浮かべる。細くした瞳の輝きには鋭利さすら備わっていて、持ち上がった唇の角度は目の下の悪魔に少し似ていた。普段の上品さや純粋さは影を潜めているが、心からの愉悦を確かに感じさせるものでもある。
もしかしたら、これが彼女の本当の笑い方なのかもしれない。いずれにせよその表情は、今まで見たどの彼女よりも美しく、血が通って見えた。
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