第15話
高校の頃、夜中に佐藤が家を訪ねて来たことがある。
「よぅ」
針金細工みたいなごつごつと大きな身体は、月明かりを背に魔物のようにも見えた。俺達の通った高校はあまり品行方正なところじゃなかったが佐藤は中でも筋金入りで、筋金入り過ぎたが為に落伍者の俺くらいしかつるむ奴がいなかった。「あんだよ」
「殺してほしい奴がいる」佐藤は言った。「できるだろ? 『アサシン』」
「それはやめろ」俺は溜息を吐く。こないだ俺の机から、俺の妄想を投影した『最強の殺し屋』が世界中を暗躍する物語の、構想の、そのまた覚え書きみたいなものが盗まれる事件があった。散々さらし者にされてしまいにゃあだ名が『アサシン』になったもんだからたまらない。
「いいじゃないか?」佐藤はにやにや言う。「今夜のボクは、君を本当の殺し屋と見込んで頼みに来てるんだよ?」
「あ? 本当の殺し屋? 冗談を言え冗談を。人なんか殺したことないしこの先殺すとも思えねーよ」
「人じゃないんだ」佐藤はポケットから一枚の写真を渡す。「ターゲットはコイツ」
それを見て、俺はなるほどと思った。そこに映ってたのは首輪をつけた一匹の猫で、ご丁寧にその猫を飼っている家の住所まで裏に書いてあった。
「猫か」
「ああ。君、動物いじめるの好きだろ。小学生の頃クラスで飼ってるメダカの水槽に洗剤混ぜたのを皮切りに、カメの甲羅を金槌で壊したり、鶏小屋を襲ったり……。仕舞いにゃ町中の犬だの猫だの襲ってるサイコ野郎だろ?」
「そうだけど猫くらい自分で殺しゃいいだろ? おまえは校内で一番喧嘩も強いし度胸もある。そのでっかい腕で絞め殺してやりゃ済む話じゃねぇの? その猫に何されたかは知らないけど……」
「中学の頃の親友がこのクソ猫に夢を奪われた」佐藤は俺にかぶせるように言った。「そいつはそのクソ猫を許すとかトチ狂ったこと言ってるが、ボクは許せない」
「なら自分で殺せっての」
「君には分からないと思うけど、生き物を……それも血が出て悲鳴も出す哺乳類を殺すってのは、相当な労なんだよ? 絶対に失敗できない以上、ボクには自信がない。途中で躊躇しちまうかもしれない」
「そういうもんか」俺は腕を組む。「で、それをやることによる俺のメリット何? できたらおまえに殴られずに済むっていうの以外で頼みたいところだけど」
「これくらいただで引き受けてよ? 友達がいのない奴だな?」
「首輪してるってことは飼い猫だろ? リスクが高いんだよ」
「ふうん。……何か一つ願いを適えてやるよ。友達として適えられる最大限度までだけどね?」
「金でもくれんの?」
「友達として適えられる最大限度っつったろ? 金のやり取りは貸し借りまでだな」
「わーったよ。なんかあったらおまえに金を借りられるってことで」言って、俺は写真を握りしめた。「コイツを殺せばいいんだな。待ってろ。この首輪から上を持ってきてやるよ」
「いらねぇよそんなもん気色悪い。じゃあ頼むぞ」
言いながら、佐藤は手をぴらぴらと振りながら夜の闇に消えていく。
俺は自室へ向かい、愛用のナイフを手に取った。
〇
携帯電話の着信音で目が覚める。
直前まで夢を見ていた感じがある。それを着信音で打ち切られた感覚も。何の夢を見ていたのかは覚えていない。もしかしたら夢でもなんでもないただの昔の出来事の反復かもしれない。思い出せない。
俺は携帯電話を手に取って相手の名前も確認せずに出た。「もしもし?」
「やあCK。僕だよ沢村栄治」温和で良く通る声がした。「最近CKネットでも見掛けないし、リアルでも合わないから、ちょっと電話してみたんだ。今は暇?」
「暇と言えば暇だな」無意味に午後の三時まで惰眠をむさぼれる程度には。
「そっか。どっか遊び行かない?」
「猫殺すんならやめといた方がいいぞ」俺は言う。「警察のマークが厳しくなったってー話はしただろ?」
高垣は警察に自分と紫子との確執について話したはずだから、『猫の失踪が起きている』という事実を警察は認知したはずだ。実際俺も職質される回数が増えたので、今は猫をいじめるのは自重している。
「そうだね。じゃあ飲みにでも行くか?」
「いいけど。今俺酒入ったらおまえにどんな絡み方するか分からんぞ?」
「なんかあったの?」
「まあな」
「まあいいや飲んでじっくり話そうぜ」
つーわけで俺は近所の居酒屋で沢村と会う。
「で、何があったんだ?」沢村は問うた。
「聞いてくれるか?」
俺はここ最近に起きた出来事を話した。
亀太郎に差し出した三毛猫が『トマト』という名前で幼馴染の愛猫だったこと。それを発端に、幼馴染の姉妹と以前から軋轢のあった高垣という男とトラブルになり、最後には姉の紫子が殺され、その後を追うような形で妹の緑子も死んだ。
「俺の所為なんかねぇ」言いながら俺は食い尽くした枝豆の皮をしゃぶる。「紫子が死んだのはアイツの周りの大人が全員バカだったからだ。そのバカの内に俺も入ってるし、発端となった一番のバカは間違いなく俺だ。ぐちぐち考えちまってお陰であれからなーんも手に付かねぇんでやんの。バイトだってサボりまくってついにはクビよ」
「CKの罪悪感は自然なもんだと思う。でもそんなこと言ってたらさ、猫なんか殺せなくない?」
「どういうことだよ?」
「いやだからさ。僕も昔は猫飼ってたから分かるんだけど、飼い主にとって動物ってふつうに家族なんだよな? それが理不尽に死んだりしたら一生忘れられないくらい傷つく訳で、それが最後の藁になって、狂ったり自殺する人もいちゃう訳」
「動物死んで自殺だぁ? んな大げさな」
「人間ってのは脆いもんだよ。とても孤独で、悲しいことが重なってて、動物だけが心の癒し。そういう人間だって世の中にはいるんだ。そんな人間から動物を取り上げたら? 気が狂うのも無理はないよね。僕達黒ムツはそれを承知で猫をいじめてる訳じゃない」
「もともと罪悪感とか覚える筋合いはないって話をしてんのか?」
「そういうこと。それでもどうしても、トマトちゃんを殺してその姉妹を死なせたことを気に病んでるなら、やめちゃえばいいんじゃない?」
俺はその言葉の真意が分からずに、ぐちゃぐちゃに噛んだ枝豆の皮を噴き出す。
「どういうことだ? やめるって、何を?」
「いやだからさ。CKは何か高尚な理念や使命感で猫を殺してる訳じゃないんだろ? 僕みたいにどうしても猫がムカついてしょうがない訳でもない。ならそんな建設的でない遊びはやめちまって、その時間で簿記の勉強でもすりゃいいじゃないかってこと。償いとか誠意って話をもしするんなら、黒ムツやめんのが絶対条件だしね」
「簿記の勉強はしねぇけどよ」俺は笑う。「今更やめらんねぇよ? 俺、百合山詩音ってぇリアルの人格より、ネット上の『キャットキラー』の方メインで生きてるとこあるもん。俺から黒ムツとったら何残るよ?」
「鳩羽なんてぇマンガのキャラみたいな名前の女顔の美男が残るだろ」
「だからぁ」
「僕ぁ別に、君が『キャットキラー』でなくなったって『百合山鳩羽』と友達でいるつもりじゃあるけどね。君、なんかものすごく人間臭いんだよな。僕は好きだよ?」
「あんだよ気色悪い」茶化しはしたが本当はちょっと嬉しかった。こんなふつうならリア充かましてそうな奴と友達でいられるのは、黒ムツという繋がりがあるからだと思っていたのだ。「まあ考えとくよ。どの道今は猫なんか殺せないし」
「だねぇ」
沢村は何杯目かのビールを煽る。こいつはどんな内臓してんだってくらい肉ばっかり頼んで食うし酒も呑みまくる。
「でもちょっと変な話じゃあるよな」沢村は言う。「西浦姉妹はブログにトマト殺しをほのめかす書き込みがされたことで高垣氏を疑い、高垣氏は自身を猫殺しと罵る言葉を自身や会社の上司の車に彫られたことで姉妹を疑った。でも姉妹も高垣氏もそんなことは覚えがないという主張をしている。これはいったいどういうことなんだろうね?」
「悪い偶然と誤解が重なったんじゃないか?」
「それか誰か悪意のある人間が糸を引いたか。『猫殺し』なんて車に彫れる人間は限られているはずだし、トマトの死を踏みにじるような書き込みをできるのはトマトの失踪を知っている人物だけ……。紫子ちゃん達は、ブログにトマトが失踪したことや、高垣さんとのトラブルについて書いたりした?」
「してない。トマトがいなくなってからブログは単に更新停止しただけだ。高垣とのトラブルについても書かれていない。知ってるのは多分俺くらいのもんだ」
「じゃあどうして、高垣氏の車に悪戯をした人間は、『猫殺し』なんてワードが思いつけたんだろう? 何故ブログを荒らした人間はトマトの失踪を知っていたんだろう?」
「なら、話は誤解でも何でもないってのか? ブログ荒らしたのは高垣で、車に悪戯したのは姉妹のどっちかと。俺の印象じゃそれはなさそうに思えるけどな」
「……ブログには当然、『トマト』の画像がアップされていたんだよね?」沢村はぶつぶつと小声で何やら呟き始める。「トマトが殺された日、僕達が捕獲機でトマトを捕まえて殺した日、あの場に居合わせた人間の中に姉妹のブログを見ていた人間がいるなら、それが『トマト』だということはすぐに分かったはず。僕でもCKでもないとすると……オスの三毛猫を欲しがっていたあの人ならそのブログを見ていても……」
「おい沢村」俺はたしなめるつもりで言った。「それは亀太郎さんのことか? なんであん人がんなことしなくちゃいけないんだよ?」
「…………高垣さんと西浦姉妹、どっちかとでも亀太郎さんは繋がりがあっただろうか?」
「あ? そんなもん……」あった。亀太郎こと如月まりあは高垣の幼馴染だ。かつて信頼を逆手に取られ、高垣に諮られて集団レイプの被害にあったことがある。「ある……と言えばある、らしいけど」
「そうなんだ。じゃあ問題は高垣氏と西浦姉妹とのトラブルを知っていたかどうかだ。CK、君は亀太郎さんと仲が良いけど、両者のトラブルについて彼女に話したこととかある?」
「仲が良いけどって、それはあんたも同じだろ? 黒ムツ仲間なんだから」
「冗談。僕はあんな恐ろしい人と無暗に距離を詰めないよ」
「何を言って……」
「ごめん。それで、どうなの? 高垣氏と西浦姉妹の確執について、彼女は知ってるの?」
「いや、そんなことわざわざ話したりは……」『話したり』は、していない。だが彼女は『聞いていた』。高垣が俺から受け取った『トマトが引っ掻いた車の修理代』を返すところを、すぐ近くの席で彼女は聞いていた。
「心当たりある顔だね」沢村は息を吐き出す。「僕の中では結論が出たよ」
つまり亀太郎は以下の情報を持っていた可能性があるということだ。『1:自分が殺した三毛猫のオスは、西浦紫子、緑子姉妹の飼い猫トマトである』『2:西浦姉妹と高垣の間には、トマトが傷つけた車についてトラブルがあった』さらに言えば、ブログに書き込まれる文章などから『3:紫子が直情型の人間である可能性が高い』こと、そして俺と高垣との喫茶店の会話から『4:高垣は姉妹にたいしてかなりの苛立ちを持っていた』ことも分かるはず。
仮に亀太郎が高垣か西浦姉妹どちらかに対して悪意を持っていたなら、両者を憎しみ合わせる悪戯を仕掛けることは思いついて実行できたはず。高垣が逮捕され姉妹が死亡する結果までは、想定できなかっただろうが……。
どうなんだ? 今俺から話を聞いたばかりの沢村が、こんないくつかの質問だけで特定できてしまうような話なのか? もしこれで本当に亀太郎が黒幕ならこいつはたいした安楽椅子名探偵だ。
「こじつけが過ぎるだろいくらなんでも」俺は慎重な意見を言った。「外野から細工して人を憎しみ合わせるなんて、そんな性質の悪い悪戯を仕掛ける人か? あの人は変態のペニスコレクターだけど、悪意の強いタイプじゃないぞ?」
「本人に聞いてみるって手もあるね。お勧めはしないけど……。CKさ、内面を判断できるほど、僕らはあの人のことを知らないとは思う。ただ僕はなんとなく、あの人には得体の知れないものを感じるんだ」
「今夜会ってみるわ、俺」俺は言った。「あんたのエセ推理を真に受けた訳じゃないぞ? ただまああの人に話したいこともあるし、一応本人に否定してもらって安心したいってのが本音だ。あんたも来る?」
「パス」沢村は言った。「あと、もし黒ムツやめる気になったらまず僕に言ってくれ。卒業式開いてやるからよ」
「りょーかい」俺は肩を竦めた。
自分から黒ムツを切り離した姿はどうにも想像できないにしても、そこに沢村という友人は残るらしい。そのことを想えば、もしかしたら選択肢くらいには入るのかもしれない。
どっちにしろ、今は猫を殺せない。保留しておこうと思った。
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