第6話

 沢村と分かれた先で俺が向かったのはパチンコ屋で、びっくりするほどいいとこなしにメッタメタに負けた。

 どうせこういうギャンブルは長くやればやるほど負けるようにできている。なので一枚二十円のスロットで短期決戦を挑んだのだが、これまでの俺のパチスロ人生最悪クラスの瞬殺具合で、最初に決めた負け金のボーダーを超えるまでに一時間とかからなかった。

 外はもう夕方になっていてオレンジ色の空がやけに綺麗に見える。ずっと店内の狂気的な大音量に晒されていた為に、夕焼け空の下の静寂がより濃密に感じられた。生ぬるい風が頬を撫でる。夕日をバックにパチンコ屋から出て来る負けに負けた俺。もう後がないというのに妙に清々しい気分なのは、脳味噌のどっかが現実逃避の為に変な物質を出しているからだろう。

 まあそんな気分は長くは続かなかったけれど。

 「百合山。百合山だよね?」

 そう言って背後から声がかかる。独特の淡々とした高い声。忘れもしない。心臓が跳ねる音を聞きながら振り向いた途端、顔面にごつごつした拳が舞い降りた。

 「あぎゃひんっ」俺は変な声を出してその場にうずくまる。鼻血が飛ぶ。いきなり顔面パンチとかこいつ正気か? なんて思っていると俺は胸倉を捕まれて引っ張り上げられる。

 「待ち合わせの時間、とっくに過ぎているんだけど?」

 淡々と言ったのは減量したボクサーみたいに手足が細長い長身の男で、俺の身体をぬいぐるみかなんかみたいに片手でヒョイと持ち上げて表情も変えずにブンブン揺らす。その圧倒的体力差に俺は毎度のことながら絶望しか感じない。俺が三人いてもこいつには勝てない。

 「いってぇよ、佐藤。いってぇってもんじゃないって……」

 両足が地面から完全に浮いた状態で鼻血塗れの俺は言う。俺は164センチのチビだし50キロ足らずのヒョロガリだったが、それでもこんなに軽々持ち上げるのはこいつの腕力がヤバいからだ。高校時代からこいつが喧嘩に負けてるのを見たことがない。

 「殴って本当にごめんね百合ちゃん金返せ」言って、佐藤は俺をアスファルトに向けてたたきつける。俺は全身をしたたか打ち付けた激痛でのたうち回る。

 周囲の視線が俺たちの方に集まっては逸れる。観衆達にはニコニコしながら暴力を振るいまくる佐藤がクレイジーな危険人物に見えているに違いなく、関わり合いになるのを避けて見ぬふりをしていた。

 「今日までって言ったよね? 今日までに用意しとけって言ったよね? どうして待ち合わせ場所に来てくれないのかな?」

 「待ってくれ佐藤。これには事情があってだな、俺もやりくりはしたんだが……」

 「パチンコ屋から出て来たところじゃ世話ないよ」佐藤はもっともなことを言って俺の背中を踏み抜く。集団でフクロにされた経験があると分かるが意外とこれが一番効く。むちゃくちゃ痛い。

 佐藤は俺の高校時代の友人で俺に二十万貸していた。それはというのも俺が高校を卒業して間もない頃のこと。高校時代の先輩で向こうに言われるまま付き合ってた黒峰という女が唐突に俺のところにやって来て『この絵を三十万で買ってくれ』と言い出したのが発端。なんか怪しい宗教にハマってたみたい。俺は断ったのだが黒峰はしつこく食い下がり、仕舞いには泣きじゃくりながら『買ってくれないとあたし殺されるの殺されるのよ買ってくれないってことはあなたが殺すのよいいのね分かったわじゃあ死ぬわ死んでやるわ死んでるわうわあああああ!』とか言い出して手首にカッターナイフを押し付け出したため、俺はやむなく佐藤から二十万借りてその絵を購入した。

 で残ったのは佐藤への借金だ。他県の運送会社で働く佐藤はちょくちょく地元に帰って来ると、なかなか金を返そうとしない俺のところへやって来ては、借金の催促ついでに二、三発どついて小銭を巻き上げるようになった。そしてこないだ俺に電話をかけて来て、『今度会社から一週間夏休みを貰えることになって、地元に帰るからそれまでに金を用意しとけよ? でないと殺すからな』とマジで殺すつもりとしか思えない声で言い出した。そんでその期限日というのが今日だったという訳。

 「い、今これだけある」俺は全財産を佐藤に渡した。パチンコで負けた残りだった。「これで今日のところは勘弁してもらえな……」言い終える前に俺の背中に佐藤の靴が振り下ろされる。俺は苦痛と共に声が出せなくなる。

 「今日まで、って言ったよね?」佐藤はニコニコしている。「これまでちょくちょく返してもらってたのを含めても、全然足りないよね? 約束、したよね?」

 一応、借金を返すだけの金のやりくりはしていたのだ。あの時紫子と揉めていた高垣という男に給料袋を渡さなければ、なんとかなる計算ではあった。こうなることは分かっていたのに、どうして俺はあんなことをしたのだろう。単純に紫子がかわいそうだったからかもしれないし、低い声で睨んでくる高垣にビビったからかもしれないし、俺自身の見得もあったかもしれない。多分全部だ。いずれにせよ確かなことは俺が相当に無計画なバカ野郎であるということと、その所為で大きな危機に立たされているということだ。

 最悪事情を話して次の給料日まで待ってもらうつもりではあったのだが、佐藤の怒りようからしてそうもいかない雲行きだ。佐藤は表情の変化に乏しい代わりに暴力を振るうことで感情を表現する。これだけ暴れまわるからには、相当頭に来ているということだ。

 「……一週間」佐藤は呟く。「一週間後、会社の寮に戻るから、それまでに金を用意しろよ? さもなきゃサラ金で借金してもらうからね? 分かったな?」

 「マジかよ……」と言いかけた俺の口は、後頭部への猛烈スタンピングで地面にめり込む。

 「母親と二人暮らしでおまえなりに大変なのは分かるけど、流石に返すの遅すぎるよ? その上待ち合わせに来なくて、あろうことかパチンコ屋から出てきたりしたら、そりゃあもう情状酌量の余地なしだよね?」

 まったくもって正論で口が地面にめり込んでなくとも反論は不可能だった。

 「ボクがやると言ったらやる人間なのは知ってるよね? マジだからね? サラ金から借りたくなかったら死ぬ気で金を用意するんだよ? いいかな?」言って、佐藤はめりめりと俺の後頭部を踏みにじった挙句、その場を立ち去って行った。

 俺はしばらくその場で伸びていた。


 〇


 息も絶え絶えに帰宅して俺は自室のベットに転がった。自分なりに手当てしといた方が良いのは間違いないだろうが、その心得も道具もついでにいうなら気力もなかった。

 金の準備に失敗すればこの二倍以上は痛めつけられるに間違いない。その上で容赦なくサラ金に連れて行かれる羽目になる。だが一週間でまとまった金をと考えたところで、自分にはどうしようもないことに気付く。俺には素早く金を稼げるような取柄は何もない。この体格じゃドカタ仕事すらまともなところには受からないのだ。先に自分からサラ金で借りて、それを佐藤に渡した方が痛めつけられない分まだましかもしれない。

 かなり目の前が真っ暗なことに気付いて俺は深いため息を吐く。何の行動もする気にならないまま気が付けば泥のように眠っていた。

 目が覚めたら深夜だった。酷い頭痛を感じながら立ち上がり、口の中に溜まったクッソ汚い唾液を洗面台に吐き出してから携帯電話を見る。SNSのグループ・チャット『ペット大嫌い板Y県支部』に二通のメッセージが届いていた。亀太郎、そして沢村からだ。

 『夜分遅くに申し訳ありません。亀太郎です。この間は遊んでいただいてありがとうございます。とても楽しい時間でした! また皆さんとお会いしたいです。いつならお時間など都合付きますでしょうか? 私はいつでも大丈夫です!』

 『いいね。僕は今夜でもいいくらいだけど、CKさんはどう? 忙しそうだけど』

 時計を見る。午前零時。黒ムツのオフ会は深夜になりがちなので、今から返信して今日会う約束をしたのでも十分間に合う。俺は少し悩んでから、こう返信した。

 『二時でどう?』

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