第2話

 亀太郎の家はなんと町で一番家賃の高いマンションのそれも最上階だった。黒い大きな鞄の中に隠した猫入りの捕獲機を男二人で一つずつ抱える。滑らかに動くエレベーターはエアコンが効いていて、ひんやりとして静かだった。

 「亀太郎さん、何やってる人なんすか?」俺が言うと、亀太郎は首を傾げる。

 「何って、今はエレベーターに乗ってますよね?」

 「いや、そうじゃなくて普段」発達障害の子供のような答え方をした亀太郎が心配になりつつ俺は尋ね直す。

 「本読んだりネットしたり、動物のおちんちん集めたり、あとオナニーとか」

 『おちんちん』『オナニー』と無垢な口調で言った亀太郎に、沢村がおもわずといった様子で噴き出す。天然だとしたら頭がいかれているとしか言えないが、ボケたのではない証拠に亀太郎は沢村の反応に目を丸くしている。

 「あ、いや。オナニーは俺もしますけど、その、職業とか」

 「医大生です」

 「え? そうなの」

 「休学中ですけど」

 そんな会話をしていると最上階である二十三階に到着する。亀太郎の誘導でエレベーターから一番近い部屋に入る。俺も母親とマンション暮らしだがこの部屋の三分の一くらいの面積しかない。天井も高いし壁も綺麗。ただし、玄関と廊下を渡った先にあるキッチンルームには家具らしきものがほとんどなかった。汚れた紙皿と冷凍食品のパッケージが点在するテーブルには椅子が一つしかなく、キッチン回りには最低限の調理器具のみが無造作に転がっており、ゴミ箱は何故かバカでかいのが四つもありすべてが溢れんばかりにゴミが詰め込まれている。後は業務用と思わしき巨大な冷蔵庫。他に人間らしいものは何もなく、飲食チェーン店の厨房のような印象すら受けた。

 「散らかってますけどすいません。この先です」そう言って、亀太郎は部屋の隅にある扉を開ける。

 そこは異常な空間としか言えなかった。

 まるで化学実験室のような趣の広い部屋で、中央には大きな実験台にしか見えないテーブルが設置されていた。実験台の右端には流し台が設置されており、左端の上の銀色トレーには大小さまざまなメスやガラス瓶、薬品の詰まっていると思わしき容器などが神経患者を思わせる整然さで並べられている。床は一面タイル張りで、つい先ほど磨いたばかりのようにきらきらと輝いていた。

 「じゃあ、そこの台に猫ちゃんをおいてください」

 ニコニコとした様子で口にするので、俺たちは恐る恐る言うとおりにするしかない。

 「いつもなら薬品入りの餌を食べさせて眠らせてから作業をするのですが……お二人とも、猫をいじめるのがお好きなんですよね?」

 「そりゃ、まあ、黒ムツだしね」沢村が引きつった顔で言う。黒ムツというのは動物を殺す行為、或いは動物を殺す嗜好の持ち主を指すスラングだ。

 「でしたら、お好きにどうぞ」

 「は?」俺は聞き返す。

 「ここは防音なので何やったって大丈夫なんですよ。落ち着いて殺せるという意味なら、これ以上の場所はありません。床も壁もタイルですから血液なんかがどれだけ飛び散っても安心。おそうじは毎日します。あ、でも汚れても大丈夫な服着てくださいね?」

 「あははは。服はそのつもりで来てるから、大丈夫。でも、すごい部屋持ってるんだね亀太郎さん」沢村が言う。

 確かに、動物を殺すならこれ以上ないってくらい良い部屋だ。実家が金持ちなのか?

 「じゃあ。お言葉に甘えて、やろっか。CKさんは、いつもどんなふうに殺してるの?」

 沢村に話を振られ、俺は鞄からタガーナイフを取り出し、テーブルに置く。肘までの手袋を付けて、猫の首根っこを掴んで捕獲機から引っ張り出す。

 猫は両手足をばたつかせて暴れまくる。キシャー、と歯を見せてこちらをにらみ、どうにかこちらの手を引っ掻けないものかと身をよじるが届かない。届いたところで手袋をしているので俺を傷つけることはかなわないのだが。

 「これで、こんな感じで……」

 左手で猫の首を持ち、テーブルに押し付ける。猫は苦悶の表情でジタバタと両足でブレイクダンスを始める。俺は右手でタガーナイフを持って首の下あたりに突き刺した。

 悲鳴。ヌルリと肉をかき分けてナイフが猫の体内を抉りながら進む感触に、俺は恍惚する。

 水風船に穴をあけたかのように、信じられない程の勢いで血液がどくどく溢れて俺の手を汚す。テーブルを伝う赤黒い血液はすぐに向こう側の端へ到達して滝のように床へ流れる。ぽたぽたという音。

 「で、後はこんな感じで……」

 首の下あたりに刺したナイフを、そのまま猫の股の方へ力一杯に引いていく。猫は悲鳴を上げることもできずにただただ脊椎反射で全身をやみくもにばたつかせる。それは凄まじい力であり抑え込むにはこちらも最大の腕力を動員する必要があった。四肢をテーブルにたたきつけるドンドンという音がタイル張りの部屋に響き渡る。

 俺は力を込めて猫の腹を中央で真っ二つに縦に裂いて行く。あふれ出す血液が俺の服を濡らしていく。溢れだした内臓の熱くて臭いのきついこと。腸を裂いて中の大便が溢れているのだから当然と言えば当然だ。

 そうして股間までナイフで裂き終り、最早動けるはずもない猫の腹の傷を両手で開いて見せる。猫の『ひらき』完成だ。俺は猫の腹の中に手を突っ込んで、中から内臓を一つずつ取り出してテーブルに並べていく

 「心臓、すい臓、腎臓、胃、大腸、小腸、消費者庁、農林水産省……」

 「最後の方なんだよ」

 「全部テキトウ、どれがどの内臓とか分かるもんか」

 俺はそう言って笑う。なんだかおもしろい。これまで一人で殺している時は、残酷なことをしていることに対する興奮や満足感はあっても、こういう楽しさのような感情はほとんどなかったような気がする。冗談なんて言ったのいつ以来だろう? こんな子供の頃のおふざけみたいなこと……本当にひさしぶりだ。

 「かなり殺ってるだろ? 良くナイフ一本でそんなするする切れるね?」沢村が関心したように言う。

 俺は嬉しくなってつい饒舌に語る。「分かる? 人とか動物の皮膚って簡単には切れないイメージあるけど、やってみりゃ結構サクサク切れるんだよ。実際にインターネット上にテロ組織が人の首を僅か三十秒で切り取って見せるお宝映像が流れたことあるだろ。このタガーはその動画に出て来たナイフ程切るのには向いてなくて、むしろ人を刺し殺すのに向いたナイフなんだけど、でも猫の身体くらいなら楽勝さ。首だって落とせる」

 俺は刃物オタクという程ではないがファイティングナイフ全般が好きで、このタガーナイフの扱いも猫を何匹も何匹も殺して練習している。人を刺し殺して見せろと言われれば今すぐにでも殺せるだろう。相手が無防備ならだけど。

 「沢村さんはどういう殺し方が好きなんだ?」

 「僕? 僕がするのはただ死ぬまで石かなんかで殴るってだけでさ。芸がないもんで、正直CKさんのそれ見た後だと、ちょっとね」

 猫を殺すのに芸も何もあるかと思ったが、しかし沢村は沢村なりに遠慮したがっている様子だ。

 「せっかくこんな安全な場所で殺せるチャンスだぞ? 殺っとけ殺っとけ」

 「うーん。正直、CKさんのそれ見られただけで満足かも」

 「……もしよかったらなんですが、わたしにくれないですか? こっちの子は、オスなので」そこで亀太郎が口を出す。

 「亀太郎さんが?」

 「はい。わたし、動物のおちんちん集めるの好きなんです。こんな風に」そう言って、亀太郎は自分のまたぐらに手を突っ込む。いきなりそんなことされたもんだから俺は面食らう。

 「うんしょ、ううん、あはぁ」

 妙に色っぽい声を出し、亀太郎は何かガラスの瓶を取り出してテーブルの上に置く。そこには、猫の陰茎が何本かホルマリンに漬けられて中で漂っていた。

 「これ、どこから出したの?」沢村が質問すると、亀太郎は頬をぽっと赤らめて両手を当てた。

 「そんなこと、聞かないでください」

 変態じゃないかと思っていたが変態だった。俺はその瓶をじっと見つめる。人間の子供の性器のようなピンク色で、小さなトゲの付いた尖った肉片がホルマリンの中で浮いている。小さいとはいえ猫の陰茎が4,5本入るくらいなもんだからそれなりのサイズ。さっきまでこの人はこんなもんを突っ込んだままおれ達と話していたのか。割れたらどうするつもりなんだ?

 いずれにせよ、この人はかなりヤバい。

 「猫ちゃんのはもう大分な数になっちゃって……。だいたいの品種のは集めました。珍しいオスの三毛猫だけまだですけど……。あ、そうだっ!」そう言って、亀太郎は両手をぽんと叩く。「せっかくですから、わたしのコレクション見てってくださいよぅ。ネットにアップとかしたらすぐにおまわりさんに怒られますから、自慢できる人、あんまりいないんですよね」

 わくわくした調子の亀太郎。それから返事を待つ前に隣の部屋に案内される。そこはマッドなコレクション・ルームだった。大きなソファとその正面の背の低いテーブルの他には、四方の壁を埋め尽くす棚に所せましと本やホルマリン漬けの瓶が並んでいる。ぞっとするほど大量にある瓶の中には、確かに動物の陰茎が詰まっていた。一つ一つ、几帳面にラベルが張られている。

 「明らかに、猫以外のもあるけど……。これなんすか? 馬?」

 俺は俺の顔くらいあるでかいガラス瓶の前で言った。太さを伴って長い茶色の蛇のような物質がホルマリンの中で漂っている。

 「そうですそうです! あとそっち、最近手に入れたんですけど」

 そう言って、亀太郎はばたばた走って来て近くの棚からでかいガラス瓶を両手に抱える。退く程でかくてグロいのが入っている。

 「なんすかそれ?」

 「セイウチさんです。えへへへ」亀太郎は子供のように笑っていた。「海外まで足を運びました。条例で保護されているので、わたし以外だと動物学者の人くらいしか持ってないんじゃないでしょうか!」

 「すごいね」沢村は口をぽかんと開けている。「変わった人はいるもんだ」

 俺も正直、この異常な空間に惹かれていた。動物の陰茎に惹かれていたのではもちろんなく、自分だけのコレクションをこれほど収集する亀太郎の熱意に惹かれたのだ。世の中には面白い人がいる。

 その後、亀太郎のコレクションを拝見し、猫の捕獲機の作り方についてもいろいろ教えてもらう。亀太郎は本当に詳しかった。

 酒を飲みながら色々話し込んで丑三つ時くらいにはお開き。楽しかった、と思う。沢村はなんだか落ち着いた良い奴、亀太郎は気が触れている代わりに妙な愛嬌のあるかわいい人だった。

 オスの猫が一匹例のタイル張りの部屋に残されていたが、彼がどんな運命をたどったのかは分からない。少なくとも、既に陰茎が股にくっついていないことだけは明らかだった。

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