第3話
夏休みと言えば、忘れてはならない『アレ』がある。
宿題である。
もっとも、夏休みは長いのだからその気になれば片付けることは容易である。
堅実な者なら、七月中にも完了させるだろう。
しかし怠惰な者にとっては、その余裕こそが、取り掛かる上での深刻なハードルとして立ちはだかる。つまり、『今日一日くらいサボっても……』的心理状態を招くということだ。そしてその積み重ねで、宿題に手を付けないまま夏休みの日々はどんどんと過ぎていってしまう。
そんな訳で、今現在、俺と霧香の宿題はまったく手付かずだった。
「糞ーっ。全然進まねぇ……」
「本当です。どうしてわたしがこんな目に合わなくちゃいけないのか、理解に苦しみます」
二人とも、手を付けていないということが母親にバレたところであった。今日の内にしっかり宿題を進め、その成果を提出するように言い渡されてしまっている。
しかし前の学校との授業進捗の違い等により各教科のワークはどれも難しく感じられ、その進行は遅々としたものとなってしまっていた。
塾もまだ四、五回しか行ってないので、学力も全然上がってないし。
「ああ糞。誰か教えてくれる人いないかなー」
「本当ですよ。自分一人じゃちっとも進みません」
「なら俺が教えてやっても良いぞ? ……明日の掃除当番と引き換えにな!」
「いえ、兄さまのオツムには期待しません。教え方も下手ですしね」
「じゃあどうすんだよ」
「そうですねぇ。……ちょっと死ね子さんのお家に行って来ようと思います」
そう言って、霧香は勉強道具を片付け、身支度の為か自室へと歩きはじめた。
「ま、待て!」
俺は思わずそんな霧香に駆け寄った。
「おまえ、死ね子の家知ってんのか?」
「……? え、ええ。一回遊びに行ったことがあります。大きくて綺麗でしたよ」
「なんで遊びに行ったの?」
「いや普通に電話で誘われただけですけど……」
「どうして俺は誘われないの? つかおまえどうして俺も一緒に連れてかないの?」
「は、はあ……。しかしその日は兄さま、床でずっと一人で人生ゲームしてて忙しそうだったじゃないですか? 何周もプレイして稼いだ額のハイスコアに挑戦する姿が必死そうでしたから、なんか誘いづらくって」
「誘えよ! 全然忙しくねぇよ! むしろ極限まで暇してんだよそれはよ!」
「死ね子さんの方にも似たようなこと何回も言われましたよ。『お兄さんは来ないの?』『お兄さんは誘わなかったの?』って何回も何回も訊かれました。なので、家での兄さまの様子を話して聞かせてあげると『そう……』と色々残念そうにしてました」
話すなよそんなことをよ! 恰好悪いじゃねぇかよ! 糞! 糞!
「そんな訳で、ちょっくらアポ取ってから死ね子さんの家行って来るんで」
「待てっ。今日は俺も行く。俺も行くって死ね子に伝えろ」
「は? 別に一緒に行くのは良いですけど、それなら兄さまが電話してくれません? 実はちょっとスマホで遊び過ぎて今日一日取り上げられてまして。固定電話で掛けるの面倒臭いんですよ」
「じゃあ俺のスマホ貸すからおまえ電話しろ」
「え? なんでそんなことするんですか?」
「良いから!」
「でもなんで?」
「良いから!」
〇
そんな訳で、俺と霧香の二人は死ね子の家に遊びに行くことにした。
やって来た霧香の後ろに俺がいるのを確認すると、死ね子は嬉しそうに表情を明るくさせた。そして若干緊張したような表情で「は、入って……」と俺達を自室へと案内する。
「じゃ、じゃあ、お茶とか取って来るから……」
そう言って俺達を自室へ残して死ね子は台所まで歩いて行く。
死ね子の部屋は十畳程とかなりの広さで、あちこち綺麗に片付けられていて、ちょっと良い匂いがした。大きな本棚には児童書を中心に少々の漫画と大人向けの本が混ざり合っている他、ピンク色のベッドは綺麗にベットメイクされていて、整頓された勉強机は俺らが使っているものよりも桁一つ分高そうだ。
子供部屋にテレビがあるだけでもすごい。しかも大きい。
中流の上の方のウチと比べて、随分と金持ちの家の子の部屋に見える。実際、家の建物は霧香の言う通り大きいし、綺麗だった。
「死ね子さん、前にわたしが一人で来た時より機嫌が良さそうでしたね」
と霧香がそんなことを呟いた。
「そ、そうか?」
「ええ。まあ三人だと二人より色んな遊びできますからね。楽しいんでしょう」
「遊びに来たんじゃないだろうが」
やがて戻って来た死ね子が用意してくれたお茶とお菓子を堪能しつつ、勉強タイムが始まった。まだ七月も終わっていないにも関わらず、宿題のほとんどを終わらせているという死ね子の教え方は丁寧で、俺と霧香は取り合うようにして教えを乞うた。
「死ね子姉さま。この問題はどう解くんですか?」
「この問題はねぇ、ええっと……。まずはこの円の直径を……」
「なあ死ね子。この時の作者の気持ちってのが俺にはまったく分からないんだが」
「貴子の繊細な恋心に読者に共感してもらおうと情緒溢れる文章を書いた、みたいに書けば良いと思うよ」
宿題をしている際、最も多く時間を使うのは分からない問題について調べている時である。それを一言質問すれば速攻で答えが返って来る死ね子の存在は、あまりにもありがたかった。
正直、甘えすぎたと思う。
やがて夕方までかけて、およそ母親を納得させられるだけの進捗を得た。
家に帰る時間にはまだいくらかあったので、三人でトランプで遊んだり、例の暗号文について検討をしたりした。塾で死ね子と会う時も暗号についての話はしていたが、賢い彼女でも謎を解くとっかかりは見付かっていない様子だった。
しかしそれもやがて行き詰って来て……それぞれ考えるのをやめてだらだらと雑談をするような空気になって来たところで、死ね子が口を開いた。
「そう言えば……明日明後日と、夏祭りの花火大会があるよね?」
「ああ……。そういやそうだっけな」
と言いつつ実はハッキリ覚えていたイベントだった。
何なら楽しみにしていた。
夏休みが始まってからというもの、死ね子と知り合って謎解きをしたりモールに行ったり、塾で色々お喋りして楽しかったけど、未だに『夏』って感じのことはできていない。
その点、夏祭りなら申し分ない。こうしたイベントごとは大好きだ。行かないと言う選択肢はない……ないが、一緒に行く相手には困っていたところである。
となると、やはり死ね子と。
一緒に行くべきだろう。誘いたい。
こっちに来て初めて出来た友達なのだし。向こうから話題を持ち出して来たからには、死ね子の方にも誰かと行きたい気持ちはあるはずだ。脈はある。
しかし何だか、こちらからストレートに誘うのは照れる。恥ずかしい。
というか、女子を誘って二人だけで夏祭りなんて、ハードルが無茶苦茶高い。
だってそんなのほぼデートじゃん。なんかそういうの……エロいし! キモいし!
ここはやはり霧香をクッションにすべきだろう。霧香と死ね子の二人は仲良しだし、霧香と俺は兄妹だ。霧香を中心に三人で出かけるという体裁なら自然。うん。そうしよう。
「死ね子は一緒に行く相手いるの?」
「え、うん。いないよ? 南方くんは」
「俺もいないなあ。強いて言うなら、こいつだけれど……」
と言って、俺は霧香の方を見る。
「霧香。おまえは行くのか? 行くよな?」
こいつだって楽しいことは大好きだ。きっと行きたがるに違いない。
となれば三人で行く流れになるのは必定……俺は霧香の二つ返事の答えを期待した。しかし。
「わたし、今年は夏祭りに行きません。明日明後日、両方ともにです」
霧香はにべもなくそう言った。
「なんで!?」
「決まってるじゃないですか!」
霧香は得意げな様子で語り始める。
「明日明後日はスマブラの世界大会があるんです! その様子はユーチューブでも配信され、本場日本からももちろん精鋭たるプロゲーマーが何人も参戦します! 明日にはスマホも返してもらえますし……これを見逃す手はありませんよ!」
「いやアーカイブで見りゃ良いだろそんなのよ!」
俺は吠えた。
「つかアーカイブで見てくれ。見ろ! 見てくださいお願いします何でもしますから!」
「……? なんでそんな必死なんですか? ……ははーんさてはさては、この可愛い可愛い霧香ちゃんと一緒にお祭り行きたくてしょうがないんですか? ん? ん?」
調子に乗った顔でにやにやと俺を見る霧香。
ちくしょう! そうだけどそうじゃないんだよ!
「その気持ちは分かってあげたいですが、やっぱり生が一番良いですからね。兄さまは死ね子姉さまと二人で行ってくれば良いじゃないですか?」
素直にそれが出来りゃ苦労しないんだよ糞ったれぇ!
俺はアタマを抱えたくなった。
……これ、俺一人で死ね子を誘って良いのか?
二人っきりで夏祭りなんて。キモがられないか?
向こうにも男と二人きりは恥ずかしいって気持ちは絶対あるよな? 増して死ね子はいじめられっ子なんだし、クラスの奴と会って冷やかされたら……とか考えてるはずだよな。
俺は別にそんなの我慢するんだけど、死ね子はやっぱり嫌なのかな?
どうしようかな?
「な、夏祭り」
死ね子はもじもじとした声で言った。
「ど、どうしよう、かな?」
「お、俺も、ど、どうしよう、かな?」
「ま、まあ。いけたら行こうかな、なんて」
「お、俺も、そんな感じかな。なんて」
「あ、あははは」
「あははははは。はははは」
そんなぎこちないやり取りをして……その日の会話はおしまいとなった。
〇
結局、一緒に夏祭りに行くかどうかは最後まで宙に浮いたまま、俺は翌日を自室で干からびたように過ごしていた。
死ね子を電話で誘おうか逡巡し、スマホに手を伸ばしては引っ込めると言うことを繰り返した。我ながらまったく男らしくないと思うが、しかし結局、俺は羞恥心が強く駆け引きにも弱い、決断力にも欠ける年齢相応の小学生だった。
何せ、未熟なのだ。
そうしたことを否応なく自覚させられ、自分の情けなさに打ちのめされている内に、やがて夕方になっていた。
もうとうに出店は始まっている。
条例的にも、俺達小学生が祭りに参加できる時刻は制限されている。たっぷり遊ぶなら、そろそろ出ないとまずい。
時間的にも精神的にも追い詰められた俺は、とうとう腹をくくった。
……ここは一つ、当たって砕けてみよう。
そう決意して電話に手を伸ばした時……家のチャイムが鳴り響いた。
「……なんだよ」
両親は仕事だ。霧香はスマブラの大会を見る為のお菓子とジュースを揃えにお出かけだ。
俺は玄関に出た。
見覚えがあるようなないような、やっぱりあるような少年数人が、そこに立っていた。
「やあ南方くん」
先頭の、ひと際背の高い、白い歯と日焼けした肌を持つ少年が爽やかな声が言った。
「夏休みは満喫しているかな? 今日は君を夏祭りに誘いに来たんだ」
確かこいつ、クラスメイトだ。名前は……そう。池田面太郎。クラス委員か何かだったと思う。
日焼けした肌と白い歯、切れ長の瞳に整った顔立ち。爽やかな短髪と、サッカー部の主将かなんかやっている、しなやかな筋肉。高い身長。
爽やかイケメンである池田は、男子のリーダー格みたいな奴だった。運動も勉強もばっちりできるようだし、女子受けもさぞかし良いだろう。そもそも、転校して一週間しか学校に通っていない俺が、ここまでパーソナリティを把握している時点で、池田はそれだけ強い存在感を持つ人気者なのだ。
「な、なんでまた、誘いに来てくれたんだ?」
「おいおい南方くん。水臭いことを言うんじゃあないよ。僕達はクラスメイトじゃないか」
池田は爽やかな声で言う。
「というより、そもそも僕達は、転校して来たばかりの君に対する配慮に欠いていたんじゃないかと、そう思ってね。もっと早くこちらから声をかけてあげるべきだったと反省したんだよ。すまなかったね」
紳士的な態度。柔らかい物腰。人気者なのも頷ける男だった。
「い、いや……俺は別に。そんな風には思ってないし、その。今日誘ってくれて、嬉しいよ」
本心だった。
転校してからずっとぼっちで、俺は本当に寂しい思いをしていた。
自分から上手く声を掛けられなかったのもつらかった。男友達だってもちろん欲しい。だから、こうして誘いに来てくれて心から感謝していた。
「もちろん、一緒に行くよ。今日は一日、よろしくな」
「こちらこそ。皆、南方くんは誘いに乗ってくれたぞ。新しい友達を歓迎しよう」
池田が言うと、背後で控える数人のクラスメイト達は、大いに沸き立った。
〇
祭りの街は賑やかだった。遊んでいる内に太陽は傾きかけて、空は鮮やかな夕焼けに彩られている。
昼間と比べると気温自体は涼しくなっていたが、しかしすれ違う大勢の人達の熱気と、料理を作る為の鉄板の音と香ばしい匂いが、熱い夏の祭りを演出していた。
「うっひょっひょっひょーい! 夏祭りだ!」
「うぇーい! うぇうぇうぇうぇーい!」
「林檎飴買うぞ! 綿菓子買うぞ! でもベビーカステラは買わん! 死んでも買わん!」
「ああ楽しい! 楽しすぎて漏らしてしまいそうだ! うぅ! 漏らす……っ!」
「うっわ! 松崎が漏らした! えんがちょ! えんがちょ!」
「ベビーカステラ考えた奴! 死ね! 死んで俺に詫びろ! でなきゃ家族ごと呪う!」
「乾杯だ乾杯! ジュースで乾杯だ。激しく乾杯だ! おい辻岡おまえ音頭取れよ!」
「嫌だよ! そうやって瓶を粉々にした破片が目に入って、ずっと盲目なんだぞ!」
「ナイフでめった刺しにしてやろうか!」
「うっひょっひょっひょーい夏祭りだ! 夏祭りだぁひゃっはー!」
重めの精神病院から抜け出して来た患者達のように、クラスメイト達は無茶苦茶な冗談を言いながら騒ぎまくっている。
もちろん、失禁とか盲目とかいうのは嘘でありジョークである。彼らそれぞれの持ちネタのようなものらしい。騒ぐ時の言動がそれぞれ決まっているのだとか。
なんでこの猿共のリーダーが、爽やかイケメンの池田なんだろう。
「げへへへへへっ。いやあ、騒がしくてすまないね、南方くん」
そんな池田は、騒ぎまくる同級生を眺めながら、俺に微笑みかけた。
「な、何だ今の『げへへへ』って」
「……? 笑い声だけど?」
「いやなんだよその小物悪役みたいな笑い方。おまえのキャラ的におかしいだろ」
もっと爽やかに『あはははは↑』みたいに笑えよ。
「そんなものは僕の自由だろう」
「ま、まあ。それはその通りだな。ごめん、俺が変なこと言ったわ」
「げへへへへっ、気にしないでおくれ。ところでさ、君に一つ聞きたいことがあるんだ」
そう言うと、池田は自然な態度と涼し気な口調で、とんでもない爆弾を俺に投げ込んで来た。
「君は、死ね子と付き合っているの?」
俺は心臓が破裂しそうな思いをした。
「ど、ドキイィイイ! そ、そんな訳ないじゃないかあああ!」
「そうかい? 噂を聞く限り、てっきりそうだと思ったんだが……」
「う、噂って、一体なんだよ!」
「いや、君がしょっちゅう死ね子と行動を共にしているという噂があってね」
「そ、そうなのか。それはまあ、最近良く一緒にいるけど……。っていうかさ」
俺は散々本人に訊きたくて訊けなかった質問を池田にぶつけた。
「そもそも、死ね子はどうして『死ね子』なんて呼ばれているの?」
そう言われ、池田は「うん?」と、頬に若干の笑みを刻み付けながら。
「特に由来はないよ。ただ単に、死ねということで死ね子って呼ばれてるのさ」
池田が言うと、背後のクラスメイト達は『ウケ』たようにギャハハハハと笑う。
死ね子をバカにするその笑い声に、俺は腹が立った。思わず、彼らを睨み付ける。
クラスメイト達は動揺したような表情を浮かべると、すぐに黙り込んだ。
「おいおいどうしたんだ南方君。そんな怖い顔をして」
「……なあ、本当に教えてくれ。どうしてそう呼ばれるようになったんだ?」
「五年の時のリレー大会。勝てそうな雲行きだったのに、死ね子がバトンを落としてね」
池田は言う。
「元々死ね子はいじめられ気味ではあったんだ。本名が笑えたし、性格も地味で暗くてね。おまけに結構綺麗な顔をしてるし、成績優秀で金持ちの家の娘っていうのも鼻に付いたのか、小島って女子のリーダー格に特に嫌われていた。……女は怖いねぇ」
「それが……リレーの件をきっかけに、あだ名が『死ね子』に?」
「まあそんなところさ。もっとも、それは死ね子自身が望んだことでもある。バトンを落とした死ね子を、皆が『死ね、死ね死ね。おまえのあだ名、今日から死ね子な。死ね子死ね』と罵っている内に、死ね子自身が『死ね子で良い。ずっと死ね子って呼んで』ってお願いして来てね」
「そりゃまたどうして?」
「そりゃああんな笑える名前してたら、『死ね子』で良いから、何かあだ名をつけて欲しくもなるさ」
池田はそう言って「げへへへっ」と笑い飛ばした。
「次は僕から質問させてもらうけど……君はどうして死ね子と一緒に良く行動しているの?」
「……一緒に謎解きをしているんだよ」
「どういうことだい?」
俺は話したくなかったが、のらりくらりと追及する池田が鬱陶しく、とっとと話を終わらせようとすべてを話した。
死ね子が人数分コピーしてくれて、肌身離さず持ち歩いている暗号の描かれた紙も、池田に見せた。
「こういう暗号を解いてるんだよ。謎は二つあるけど、一つ目の謎はほとんど死ね子が解いた。あいつ、アタマ良いんだぜ。他にもドブに捨てられた妹のオモチャを一日中かけて探してくれたこともあって、優しくて良い奴で、いじめられて良いような奴じゃ……」
「この暗号文なんだけど」
池田は頬を捻じ曲げながら言った。
明らかな嘲笑が滲んだ顔だった。
「これ、死ね子が書いた暗号文だよ?」
「はあ?」
俺は信じられずに、池田の方をぽかんとした表情で見詰めた。
「そもそも死ね子はこういう暗号文を考えるのが、得意というか好きなんだよな。昔今ほどいじめられてなかった頃は、こういう暗号や謎解きを自作して人に見せて来たんだ。この『ビットくん』ってキャラも、死ね子の持ちキャラさ」
「そんなはず……」
「字だって一緒だよ。君だって死ね子の字は見たことがあるだろうから、分かるんじゃないか?」
そう言われ、俺は暗号文をじっと見つめる。
綺麗な字だ。それに大人っぽい。
死ね子の字も、同じくらい綺麗だ。そして綺麗な字というのは癖がなく、つまり特徴がない。硬筆の先生の字が皆同じに見えるように。
だから、それが同じ人物が描いた字ということに、俺は今まで気づかずに来た。
いや、そもそも疑ってこなかった。死ね子は人を騙すような奴じゃない。
担ぐような奴じゃない。
今までは、ずっとそう思っていた。
ふと視線を感じて振り返る。祭りの屋台の合間に立った少女が、呆然とした表情で、哀しみと絶望に満ちた様子で、こちらをじっと見つめていた。
……死ね子だった。
死ね子は俺の視線に気づいたようだった。そして、自分がずっと俺達の話に耳を傍立てていたことに俺が気付いたことにも、死ね子は気付いたようだった。
「し、死ね子。何で……」
なんでたった一人でお祭りに……と言おうとして、俺は気付く。
きっと死ね子は、俺のことを探していたのだ。
行くか行かないかを明言していなかった俺を、それでも死ね子は探していたのだ。
どこかにいるかもしれないと思って。
会えるかもしれないと思って。
そして俺と死ね子は出会った。しかし、それは死ね子が期待した形ではなかった。
死ね子はその場で俺に背を向けて、逃げるかのようにその場を走り出す。
「死ね子!」
俺は一緒にいる池田達のことを意に介さず、死ね子を追いかけて走り出す。
人ごみに何度もぶつかりながら、消えてしまった死ね子を探す。
楽し気な喧噪の中を汗だくになって走り回る。やがて夕日は沈み、夜が来ても、俺は死ね子を見つけ出すことが出来なかった。
〇
『ナシモトカズミ』と名乗る手紙の差出人は死ね子なのだろうか?
あの時の死ね子の態度は、それを物語っているようだった。
実際、ナシモトカズミが死ね子であると考えると、いくつかのことに辻褄が合う。
ナシモトカズミの目的は俺達が謎解きをしているのを眺めて楽しむことのはずで、ならば俺達に近しい人物が容疑者になる。俺達と行動を共にして、時に有益なヒントを出して見せる死ね子がそのポジションと言うのは、あまりにも納得できる話だった。
どうして死ね子が、俺達がニンテンドースイッチを欲しがっていることを知っているのかという疑問は、霧香への質問で簡単に払拭できた。
「初めて死ね子姉さまと会った時に、どんな話をしたかですか?」
「ああ。兄貴である俺のこととか、スイッチが欲しい話とかしたか?」
「ええまあ。しましたけど……それがどうかしたんですか?」
それだけ聞くと俺は自室へ引っ込んでしまった。霧香はいぶかし気な表情を浮かべつつも、追及はせずただ心配そうに見送るだけだった。
俺は考え込み、そして結論を出す。
ナシモトカズミは死ね子だ。
俺達に謎を解かせて、それを見て楽しんでいた。
〇
翌日。昨日の夜中まで考え事をしていた所為で朝どうしても起きられず、昼過ぎまで寝ていた俺を起こしたのは、スマートホンの着信音だった。
「……もしもし?」
「やあ南方くん。僕だよ。池田だ」
あまり聞きたい声ではなかった。憂鬱だ。
「僕はねぇ南方くん。君のことを仲間に迎えたいと思っている。でも残念なことに、それにあたって、一つ重大な問題が君にはあってね。それについてじっくりと話し合いたい。今から言う場所に来てくれるよね?」
鬱陶しい話だった。しかし俺にも夏休み明けの生活がある。どんな展開になるにせよ、待ち受けるものから逃げてはならない。そう思った。
呼び出されたのは近所の川原だった。山沿いにある清涼な川で。水泳や魚釣りやキャンプなどの川遊びにも使えそうだった。実際そこを、池田ら小学生たちは遊び場の一つにしているらしい。
そんな川原で。
死ね子が池田の手下達に羽交い絞めにされて、川の水でずぶぬれにされて、しかも服を脱がされて下着姿にされていた。
「……は?」
俺は呆然とした。桃色の下着を身に着けた死ね子の肉体は女性としての発育が始まっていて、胸の膨らみやウェストのくびれが出来ていて、俺達男子の身体とは全く違っていた。
裸同然のその姿を俺に見られることがつらくてたまらないように、死ね子は顔を背けて歯を食いしばっている。
傍らには、大きな岩に腰かけて足と腕を組んでいる池田の姿があった。
「やあ南方くん。良く来てくれたね」
自分達が少女に対して行っている卑劣かつ残酷な仕打ちなど感じさせない、気さくでいて自然体な態度だった。
「汚い光景を見せてしまってすまないね。街を歩いていた死ね子を捕まえて、川に突き落として遊んでいたんだが、そうすると当然ながら服が濡れてしまってね。乾かしてやろうということで、服を脱がせてやっていたんだ」
俺は怒りを覚える前に困惑していた。
死ね子は寄って集る男どもによって、その腕を、脚を、押さえつけられて砂利の上に横たえられている。全身が砂埃に塗れている他、膝を擦りむいて目元を出血している。暴力も振るわれたのかもしれない。
そして下着姿にされ、その姿をたくさんの男子に見られている。
これ以上どんな仕打ちが待っているのかと怯え、逆らうこともできず、思うがまま傷付けられるみじめさに打ちひしがれている。
……どうしてこんな酷い仕打ちができる? こんなむごいことをして平気で笑っていられる?
俺には理解ができなかった。
「まあそんな呆けた顔をするなよ。南方くん、ここは君にとって運命の分岐点なんだぜ?」
池田は普段通りの芝居がかった口調で言った。
「……どういうことだ?」
「僕らの仲間になる為に死ね子の最後の服を脱がせてやるか、何もせずに踵を返すか……どちらにするか、ということだ」
池田は岩から立ち上がり、朗らかな様子で両手を開き、俺に語り掛ける。
「教室が何故いじめられっ子を必要とするか分かるかい? 『こいつよりマシ』と思える存在を誰もが欲するからだ。弱い人間ほど、アタマの悪い人間ほどその傾向は強い。そして往々にして、ほとんどの環境で大半を占めるのはそのタイプの人間なんだ」
子供とは思えない程、すらすらと良く回る舌だった。
「だからねぇ南方くん。僕はそういう人間の為に、その『こいつよりマシと思える存在』を用意してやるんだよ。冷遇し排斥し侮辱し、攻撃を仕掛け、その精神や尊厳を無茶苦茶にするんだ。そしてどんどんみじめになってく姿を見て……人は安心するんだよ。そして『安心』を与えてくれる存在に、人は従うんだよ。南方くん」
……なんて奴だ。
「言うなればこれは『一人いじめられっ子政策』さ。たった一人死ね子を犠牲にすることで、僕を中心に纏まって素晴らしいクラスになる。安心していられる。……その美しい協調の輪の中に、僕は君のこともいれてあげたい」
「……だから一緒に死ね子をいじめろと?」
「その通りさ。クラスメイトの一人でも死ね子と仲良くすると、美しい協調の輪が崩れてしまう。せっかく僕の王国を作り上げたのに、綻びが生まれるのはあまり良くない」
「断ると言ったら?」
「それは僕達と敵対することを意味する。教室全体を敵に回すということだ。どちらが良いかは明らかだが、決断は君にお任せしよう」
池田が言うと、死ね子が蚊の鳴くような声で、顔を背けたまま俺に声をかける。
「ねぇ南方くん、短い間だったけど、一緒にいてくれて嬉しかった」
「死ね子……」
「とっても楽しい夏休みだった。もう十分だよ。ありがとう。だから……」
俺は死ね子から目を背け、池田の方を睨みつけながら言う。
「……こんなことをしてただで済むと思っているのか?」
「済むさ。いや、もちろん親や警察に連絡されたら、困ることは困る。注意を受けるからね。でもそれだけさ。ただでさえ小学生という身分の上……僕のパパは近所の警察署の所長で、PTAの会長も兼ねている。どうとでも揉み消してもらえるさ」
「…………」
俺はその場で拳を握りしめ、脚に力を入れる。
「だから、ここで踵を返して大人を呼んで来たって大した意味はないよ。それどころか……僕らは大人がやって来るまでの間、君に対する腹いせとして死ね子に出来得る限りの仕打ちをするだろう。どのみち君に選択権はないんだよ」
俺は微かに膝を畳み、全身のバネを意識して姿勢を正す。
「大丈夫。大人しく軍門に下ればそれなりの待遇は保証するよ。僕は仲間には優しいからね。パパに頼んで、一緒に海外の避暑地に遊びに行こう。テーマパークをハシゴしよう。キャンプ場で高級焼肉を食べまくろう。最高に楽しい夏休みをお約束する。それに比べりゃその地味な女と過ごす夏なんてカスみたいなもゲボァア!」
言い終える前に、助走を十分に付けて飛び掛かった俺の拳が、池田の顔面に炸裂している。
全日本空手道大会小学生部門で準優勝を果たした俺の一撃は、池田の爽やかなマスクを粉砕し、その体をまるまる一秒間宙に舞わせた。そして頭から砂利の上に叩きつけられた池田は、困惑しきった様子で俺の方を見詰めた。
そんな池田に……俺は表情を消して一歩一歩にじり寄る。
……暴力は卑怯だ。
……喧嘩が強いことは卑怯だ。
暴力に秀でていて喧嘩に強いから、色んな事が思うがままになった。気に入らない奴や、嫌な奴をどうとでもできた。前の学校で霧香をいじめていた連中や、万引きを自慢する友達の兄貴、面白半分に鶏小屋を襲撃する高校生などを、俺はどうとでもした。することが出来た。
でもそれは勇気ではないと母さんは言った。強さではないと父さんは言った。
……アタマに血が上った時は、そこで相手を殴ることが本当の勇気かを考えなさい。葛藤しなさい。今が本当に戦うべき時なのかどうかを、とことん自分に問いかけなさい。
……そして、自分がそれをできない、怒りに任せて暴力を振るうような、『弱い』人間だと思うのであれば……。
……空手なんて、やめてしまった方が良い。
それでも今は。
「待てっ! 待ってくれ! 落ち着いてくれ!」
池田はその場で尻餅を着いたまま、必死の形相で俺に両手を差し出した。
「何が待てだよ!」
「何って喧嘩なんだろう? だったら不意打ちは卑怯じゃないか! 正々堂々とタイマンをやろう。一回体勢を整えさせてくれ」
「……そのタイマンってのに俺が勝ったら、もう死ね子をいじめるのはやめるんだろうな?」
「ああそれで良い。良いから、俺が立ち上がるまで攻撃するのはやめてくれ!」
言いながら、池田は足を縺れさせながらどうにかこうにか立ち上がる。そしてさりげなさを装っているのだろう足取りで一歩ずつ後退ったかと思ったら、唐突に子分共の後ろに隠れて俺を指さして叫んだ。
「一万円ずつやるからそいつを殺せ!」
子分共は抑え込んでいた死ね子を解放して、一斉に俺に飛び掛かって来た。
……どうして力の差が分からないのか。金に目が眩んででもいるのか。それとも、群れてさえいれば無敵だと勘違いしているのか。
技も度胸も体格もない素人共を蹴散らすことなど、俺にとっては何でもない。と言ってもこいつらは所詮池田に付き従っていただけの連中だから、可能な限りケガはさせずに一人ずつ丁寧に無力化していく。
膝を蹴られたり、脇腹を小突かれたりしてその場に蹲って行く子分たち。やがて半数が倒れたところで「まだやるのか?」と声をかけてやると、残る半数は青ざめた顔でその場を逃げ出した。
「お、おい待て! 僕も……」
そうって一緒に逃げようとする池田の襟首を掴み、強引にこちらを向かせた。
池田は絶望した。
その場に座るように促すと、池田はその場で跪いて媚びた笑みを浮かべながら言った。
「げ、げへへ……。ま、参りました。二度と死ね子のことはいじめません」
「死ね子にちゃんと謝れ」
「げ、げへっ。お、仰せのままに……」
池田は呆然とした表情を浮かべる死ね子に、手を付いて土下座をした。
「そしておまえの子分や、クラスメイトにも死ね子をいじめさせるな。女子にもだ。クラスのボスなんだからそれくらいできるだろう」
「げへ、げへへっ。ら、楽勝っすよ。南方さん。任せといてくださいげへへへへへ」
なんかキャラ変わってるなこいつ……。自分が優位だと気持ちよさそうに大人びた口調で演説ぶるけど、追い込まれるととことん小物ってタイプらしい。
つまりはお山の大将で内弁慶って訳だ。ようするに、ここでしっかりと脅かしてさえおけば、俺や死ね子に報復して来る度胸はないだろう。
「今言ったことが守られている間は、俺はおまえに何もしない。だが、約束を破った時にどうなるのかは……分かっているな?」
「そりゃあもう。僕が南方くんとの約束を違える訳ないっすよ。げへへっ」
「なら良い。俺や死ね子と無関係のところで、好きに子分と遊んでろ。……失せろ」
「了解っす。げへげへげへ」
げへげへ笑いながら立ち去って行く池田を見送って……俺はそこらに捨ててあった死ね子の服を拾い上げると、死ね子の方に差し出した。
「……大丈夫だった? 向こう向いてるから、服着なよ。濡れてるだろうけど、裸よりマシだろ?」
そう言うと……死ね子は感極まった様子で立ち上がり、涙を浮かべながら俺の方へと飛び込んで来た。
「ありがとう南方くん。あたし……怖かった! 怖かったよぉっ」
我を忘れた様子で俺に抱き着き、子供みたいにわんわん泣きじゃくる死ね子。
川の匂いに混ざって女の子の髪や肌の匂いがしたし、裸同然の同級生の感触は十二の俺にはあまりにも刺激が強すぎる。
俺はアタマがどうにかなってしまいそうだった。
〇
「……それで、前に習ってた空手はやめちゃったんだね」
死ね子の家である。あのまま死ね子のことを自宅まで送り届けたのだが、両親がいないということもあり、しばらく傍にいてやることを申し出たのだ。裸で抱き着かれた死ね子の顔を見るのは照れ臭かったが、傷ついた女の子を放っておくのは勇気ではない。
その後、服を着替えて来た死ね子が俺の腕っぷしの強さについて言及したので、俺は前の学校で空手をやってやめた話をした。
「ああ。本当の強さって何だろう、みたいなことを考えるようになってから、なんか虚しくなっちゃって。それっきり喧嘩は控えてるんだけど……今日みたいにたまにアタマに来ちゃうこともあるんだ。まだまだ修行が足りないのかな?」
「ううんそんなことない。だって、ご両親が南方くんに言ったことは、あくまでも『戦う前に葛藤しなさい』って話なんだもの。そんな風に言って貰えるってことは、南方くんには自分の力を使うべきか使わないべきか、状況によってちゃんと判断できるようになれると、信頼されていたんだと思う。そうじゃなかったら『どんな時でも暴力はダメ!』って言われてると思うよ」
……そう言う考え方もある訳か。俺は感心する。やっぱり、死ね子は賢い奴だ。直接聞かされた俺が分からなかった、言葉の真意を汲み取っている。
「先生だってさ。『一生に一度くらいは戦わなきゃいけない時がある』って言ってたじゃない? それが今日だったんじゃないかな? 実際、あそこで南方くんが戦わなかったら、あたしどんな目に合ってたか分からないもん」
そうなのだ。
あの状況、親や警察、教師の名前を出してもどうにもならない。もちろんいくら池田の親が偉い人だからって、何をしても許される訳ではないだろう。しかしバカな池田は自分の万能性を信じて疑っていなかった。
いじめをやめさせるには、力付くしかない。
そう思ったから喧嘩をしたのだ。
「ちょっとだけ気持ちが楽になったよ。ありがとう死ね子」
「うん。それと……ずっと騙していて、本当にごめんなさい」
そう言って、死ね子は深々と頭を下げた。
「……やっぱり、ナシモトカズミってのは、死ね子のことなんだよな」
「うん」
「でもさ。ようするに、死ね子は俺や霧香と遊びたかったんだろう? 自分の好きな暗号や謎解きでさ。それで霧香にあんな手紙を渡したんだな」
霧香に手紙を渡した覆面の黒尽くめは死ね子だった。息が上がっていたのは酷暑の中でそんな恰好をして、しかも下校する霧香に先回りしようと走った後だから。声が裏返っていたのは、本来の声を隠す為だろう。
「うん。前に道案内してあげた時、霧香ちゃんはとってもあたしに懐いてくれた。とっても優しくて、可愛らしい子だった」
霧香は臆病で人見知りだが、しかしその妹気質さ故か、本当に優しい人間のことは嗅ぎ分ける本能がある。そのレーダーで死ね子を安全と判断したのだろう。
「南方くんは……いじめられてるあたしを初めて助けてくれた人。今まで味方になってくれる人なんて、一人もいなかったから……」
「なるほどなぁ」
「……そ、それでもねっ。だ、騙した訳じゃないの。い、いや、だ、騙したことには変わらないんだけど……でも本当にスイッチは用意していてね」
「そうなのか?」
「うん。なんかくじ引きで当たっちゃって……。でもゲームとかやんないからさ、景品にしちゃったんだ。南方くんにあげるよ」
そう言われ、俺は首を横に振った。
「いや、それは受け取れない」
「え? ど、どうして?」
「俺にはまだ受け取る資格がない。だって……まだ謎を解いていないんだから」
俺はいつも持ち歩いている謎解きの描かれた紙を取り出した。
「これから謎を解いてみせるよ。昨日の夜、真夜中まで考えて来たんだ。……ぜっかくの死ね子との宝探し遊びだ。最後までやり終えたいもんな」
俺は死ね子の前に紙を広げて見せた。
26 13 15 003 01 23
「謎を解くカギがモールス信号であることは間違いない。だから俺はずっと『超解説・モールス信号』を読んでいたんだけど、この数字を直接それに結び付けることはできなくてな」
「そうだね。どうすべきなのか、分かったの?」
「ああ。ビットくんの台詞を見て閃いた。『今回の謎にはどこにもぼくたちビットくんが見当たらないね。どこにいるのかな?』。最初は特に気にも留めなかったんだけれど……これはもしかしたら、ビットくんが見付かれば謎の答えに一歩近付くってことじゃないかと思ったんだ」
「合ってるよ南方くん。それで、どうやって見付けたの?」
「このビットくんっていうのは二進数における『0』と『1』をキャラクターにしたものだ。ならばこの十進数の数字の羅列を二進数に直せば良い。前回の逆だな」
11010 1101 1111 0011 01 10111
「そして、二進数にしてしまえば、後はモールス信号と結び付けられる。『0』と『1』のどちらが『トン』でどちらが『ツー』かを両方試したところ、『0』を『トン』、『1』を『ツー』としたら意味のある言葉になった。そして、その言葉っていうのは……」
――・―・(シ)
――・―(ネ)
――――(コ)
・・――(ノ)
・―(イ)
―・―――(エ)
「『シネコノイエ』、死ね子の家だ! 二番目の謎の答えは、スイッチの在り処は今ここだ!」
「正解! すごい南方くん! お見事だよ」
死ね子は本気で感心した様子で手を叩いている。自分の作った謎が見事に解き明かされたことが、心底から嬉しいようだった。
俺が謎を解いたのを見て、死ね子は押入れを開けて、奥から新品のニンテンドースイッチの箱を取り出した。『景品』と書かれた紙が巻き付けてある。
「じゃあ、満を持して南方くんにニンテンドースイッチを進呈するよ。霧香ちゃんと一緒に、これで楽しい夏を過ごしてね」
「ああ。ありがとう、死ね子」
ずっと欲しかったスイッチだ。喉から手が出る程だった。持って帰れば、霧香の奴もさぞかし喜ぶだろう。こんなもので遊べるなんて、夢のようだ。
死ね子は笑顔で俺にスイッチを差し出している。それを手に取って……俺はスイッチを死ね子の家の床に置いた。
死ね子はきょとんとした表情を浮かべる。
俺は言う。
「ここに置かせてくれ。霧香と一緒に、毎日遊びに来るから」
「な、なんで? 持って帰らないの?」
驚いた様子の死ね子に、俺は答える。
「なんでってこれ本来はおまえのもんだろう? そんな何万円もするものをやり取りしたら、親に怒られるわ!」
「う、ウチは大丈夫なんだけど……。お父さんにも、友達にあげたいって言ったら快諾だったし。ゲームとかあんまり好きじゃない人だから……」
「ウチの親は納得しないよ。母さんにぶん殴られるっての! 親父さん説得して、部屋にこれを置かせてもらってくれ。頼むよ」
実際のところ、本気で説得すれば『友達に貰った』で納得してくれる可能性は低くない。無理矢理ぶんどったと思われないくらいの信頼は余裕であるし、死ね子やその親に話を通してもらうと言う方法もある。
しかしそれでも、俺は死ね子の家にこれを置きたかった。
高価なものだから貰うのが気が引けるのも事実だったが、本当の理由はそこにはない。
何故なら……。
「あの……本当に、ウチに置いたんで良いの?」
「ああ。置いといてくれ。やりに来るから」
「毎日、遊びに来てくれるの?」
「もちろん行くよ。つか、行かせてくれ」
「霧香ちゃんはそれで納得する?」
「俺が説得する。こうするのが一番良いって分かるくらいの分別はある」
「そっか。それじゃ……今年の夏はずっと一緒だね」
そう言われ、俺は照れ笑いを浮かべながら、「だな」と答えた。
「楽しい夏になると良いね」
「なるに決まってる。何せスイッチだ! 今から何のソフトを買うか楽しみだ! ああ、お年玉貯金引き出さなきゃなあ。霧香とも相談して……」
「あたしの家のものだからソフトとかコントローラーはあたしが揃えるよ」
「それは悪いだろ」
「ううん気にしないで。人よりお小遣いずっと多いんだ。貯金なんか三十万円くらいあるし、全然平気。……その代わりにさ」
死ね子は少しの間唇を結び、やがて意を決したような表情を浮かべ、俺に言った。
「夏祭りの花火大会、今夜もあるよね?」
全二日の日程である。俺は頷いた。
「南方くん……あたしのこと、それに誘ってくれない?」
死ね子の頬が赤らんでいる。上目遣いに俺を見詰めるその瞳は、大きいだけでなく潤みを帯びている。もじもじと動く桃色の唇を見ていると、俺はどうにかなりそうだった。
早鐘のように鳴り響く心臓の音が、耳朶を撃つセミの鳴き声をかき消していく。
死ね子はずっと俺の答えを待ち受けている。俺は息を一つ吐き出すと、死ね子が振り絞ったのと同じ勇気を出してこう言った。
「一緒に行こう」
死ね子との夏は始まったばかりだ。
死ね子と宝探しの夏 粘膜王女三世 @nennmakuouzyo
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます