月を飛ぶ蝶のように

新巻へもん

軍事ステーション・アルテミス

「曹長。曹長」

 ルーシーの弾んだ声がパイロットの休憩室の入口から響く。

 壁を蹴ってふわふわと漂ってきたルーシーが通り過ぎそうになったので、その腕を捕まえた。

 周囲のベテランたちがニヤニヤ笑いを浮かべる。


 俺は片方の手でルーシーを空中から床方向に引き寄せた。

 パイロットブーツの電磁石のスイッチを入れたようで、ルーシーはしっかりと床に立つ。

 俺は空いている方の手で周囲のパイロット連中に指を突きつけた。

「何か言いたいことがあるなら、はっきり言え」


 お互いに顔を見合わせるばかりで口を開く奴はいない。

 と思ったら、俺と同じぐらい歴のあるグレッグがしゃべり出した。

「いや何、ちょっと感動していただけだ」

「感動するって、お前に人の心があったとはな。こいつは驚きだぜ」


「腕は良いのに問題行動ばかりで昇進しないキバヤシ曹長を慕う部下の姿なんてそうそう拝めるもんじゃないからな」

「そりゃお前は知らないだろうけどな。こう見えても人望が厚いんだよ。誰かさんと違ってな」


 暇つぶしに喧嘩をふっかけようとしてくるのを買おうとする俺だったが、それを邪魔する奴が出る。

「あのー。お話し中すいません。曹長。ちょっといいですか?」

「今、取り込み中なんだがな」


 面倒くさそうな声を出してみるが、ルーシーには通じなかった。

「もう月の軌道上の基地が目視できる位置まで到達しているそうですよ。艦橋から見られるそうなんで行ってみませんか?」

 子犬のような瞳で訴えかけてくる。


「そんなもん見ても面白くないだろ」

「えー。曹長にはそうかもしれませんけど、私は地球圏来るの初めてなんですよ」

 あー、うっかりしていたな。

 俺やルーシーは木星を中心にした外惑星連合に生まれていた。


 地球を中心とする内惑星連合とは長年緊張関係にある。

 異星艦隊による侵攻により今は一致団結して協力しているが、それまでは外惑星連合に所属する人間が地球圏に入ることは極めて難しかった。

 だから、ルーシーも自分の目で見たことはないんだな。


「ねえ、一緒に行きましょう」

 ルーシーが俺の手を引く。

 そんなことをしても、ブーツのスイッチを固定の位置にしているので、強力な電磁石のせいで俺は全く動かなかった。


 行きたきゃ一人で、と思うが口には出さない。

 こんな感じで俺に対しては全く遠慮というものを見せないルーシーだったが、やはり船乗り連中には隔意があるらしい。

 伝統的に俺たち機動兵器のパイロットと軍艦のクルーの仲はあまりよろしくなかった。


 パイロットは船乗りを退屈な仕事と思っているし、先方はパイロットを空飛ぶ棺桶に喜んで乗る気違いだと呼んでいる。

 まあ、船乗りでも戦術オペレーターとは良好な関係だ。発艦時にはお世話になるしな。でも、航法士官とか、操舵手、その他大勢とはお互いに無視することが多い。


 ということで、船乗りの本拠地である艦橋に乗り込んで行くのはルーシーでも気が引けるのだろう。

 これはびっくり。この天然天真爛漫娘にもそういう感情があるんだな。

 俺の視線を浴びて、ルーシーは頬を膨らませる。


「なんです。その珍獣でも見るような目は」

「いや、まあ……、なんでもない。それじゃ、付き合ってやるよ」

 ブーツの電磁石をオフにして、床に固定してあるテーブルを蹴った。

「あ、待ってください」


 部屋を出ると走路の側面から突き出しているバーにつかまった

 ルーシーがついてきているのを確認して移動を始める。

 バーについているボタンで艦橋を選べば後は眠っていても連れていってくれた。

 水平方向よりも垂直方向の移動が長い。


 ようやく艦橋の入口にたどり着いた。

 バーを放して、ブーツの電磁石を歩行モードにする。疑似的に惑星上で歩くのに近い感覚が形成された。

 艦橋のドアがスライドして開く。


 シャッターが開いた窓からは月とその手前の宇宙ステーション・アルテミスが見えた。

 アルテミスは内惑星連合の司令部がある巨大な多層の構造物で、月の軌道上に向かんでいる。まるで蝶が羽を広げて飛んでいるように見えた。


「わあ、すごい」

 ルーシーが口の中で小さな歓声をあげる。

 パイロットスーツを着ているが、目を輝かせて見とれている様は子供にしか見えない。


 俺は視線を艦の外へと向ける。

 異星艦隊に対する反撃の象徴ともいえる軍事ステーション・アルテミス。

 こうやってみている分には優雅に舞う蝶のように見えるが、人類側の宇宙戦力がここに集まっている物騒な施設だ。

 異星の生命体をぶちのめすための戦艦やなんやらは、ここから出発していく。

 そして、ここから出発した兵士の大半はこの風景を再び目にすることはない。

 敵味方の大量の命を吸い上げて輝く化物に見える。


 俺はルーシーに視線を戻した。

 十代で死ぬのは早いよなあ。

 俺の生死さえ自分の自由にならないというのに、こんなお子様を託されても……。

 でも、まあ、あれだ。少しでも生き延びられるように面倒を見るしかねえか。

 まだ結婚もしたことがないくせに、柄にもなく俺は娘を見守る父親のような気分になっていた。

 

 

 


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