第4話 タバコの記憶
現在、忌み嫌われているタバコですが、昭和の時代は普通にテレビCMもやっていました。
私の父親はセブンスターで、祖父はハイライトでした。
今は出ませんが、サザエさんのマスオさんはハイライトだったと思います。
祖父は途中からチェリーに変わり、父親はマイルドセブンからパートナーになり、マイルドセブンに戻ったと思います。
タバコ代を預かり、少しのおつりとタバコ屋さんのおばあちゃんから、オマケの駄菓子のあめ玉をもらうのが楽しみでした。
私の小説で、主人公が新潟から合格が決まった慶應義塾大学の日吉校舎へ下見に行くとき(1990年)、山手線で渋谷駅を降りて東急東横線に乗る時、山手線渋谷駅の線路が雪のように白いものが積もっている。
東京で雪は変だと思ったら、タバコのフィルターが積もっていて、「東京きったねー、幻滅した」というのを書きました。
渋谷駅のホームでタバコを吸って山手線の線路に放り投げて捨てていたのです。
1990年で渋谷きったない、そうでした。
タバコのポイ捨ては日常でした
新潟の田舎の爺ちゃんちに行くと、近所にタバコ農家があり、刈り取ったタバコの葉をぶら下げて干して乾燥させて専売公社に売るという話でした。
今はタバコ農家はほとんどなくなって、新潟市西区や西蒲区は、スイカなどに転作されました。あのあたりにワイナリーがありますが、タバコ畑だったのでしょうか。
さて自分はハタチ(多少のフライングあり)でタバコを初めましたが、最初はむせたりでした。いろいろ試してメンソールも吸ってみました。
カッコつけで、ジタン(正しい発音は女性形なのでジターヌ)をかばんに入れてました。仏文科ですし。ゴロワーズは好みにあわなかったです。
フランスタバコ公社の箱入りジタンは、紅の豚のポルコも吸っています。「飛んでイスタンブール」の歌詞にも出て来ますが、現在は箱入りジタンは生産されていないそうです。
私は日本はフィルター付きジタン(カポラル)が普通ですが、フランスではフィルター無しのものがあり、表示をよく見ず買ってしまったことがあります。
ゴールデンバットなどフィルター無しタバコは口の中がハッパだらけになるので苦手でした。
外ではジタンを吸ってみたものの、一番気に入ったのがバージニアスリムのメンソール
家ではほぼコレです。
仕事をするようになると残業仕事で煙が目に染みるようになり、金銭的負担と健康を考えて23歳くらいには完全に吸わなくなりました。
タバコをやめたのは、安月給の経済的理由が一番でした。ですのでもう相当吸っていません。
ただ昔のバージニアスリムが懐かしいと思う時はあります
※ジタンの箱入りは、立てに入ってなくて、マッチ箱のように引き出し型の箱でした
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