アドレナ・凛と遠藤・フィー

「す、すいません!」

 待ち合わせ場所をスマホで確認しながら歩いていたら、女性とぶつかってしまった。

 尻餅をついたぼくを、サングラス越しに心配そうに見下ろしてくる。

「大丈夫ですか?」

 声をかけられて顔が熱くなり、口籠もりながら返事する。

「は、はい。だ、大丈夫、です」

 そこで両手が空な事に気づく。

「あ、あれスマホどこに?」

 周りを探していると、女性も事情を理解してくれたのか、一緒になって視線を下に向けていた。

「あっ、ありましたよ」

 女性がぼくの背後に進む。見ると、しゃがみ込んで歩道から何かを持ち上げた。

「はい。コレじゃないですか」

「それ、です。あ、あの、ありがとうございます」

 拾ってもらったスマホを受け取ると、チクリと痛みが走る。

 見ると、アスファルトの破片がくっついている。

 それを手で払っているうちに、女性はいなくなっていた。

 見ず知らずのぼくのスマホを拾ってくれる、なんていい人なんだ。ああいう人が同じリスナーだったらいいな。


 ぼくは引きこもりだ。

 学校なんて一部の人間しか幸せになれない場所。そんなとこに行ったところで、陽の光に弱い土竜には地獄も同然。

 だから、ぼくは自分の意思で学校に行く事をやめて、机の上のパソコンで探し続けた。

 自分だけの天国を。


 それは運命だったと思う。

 ネットで天国を調べていて、いつも通り動画サイトをクリック。今日は何を見ようかなぁと開いたところで、おすすめ欄にソレは現れた。

「チャンネル登録者数85億4500万人?」

 どう見てもあり得ない数字だとその時は思ったが、ぼくは興味本位で動画をクリックしていた。

 それは二人の歌みたで、低い歌声と高い歌声が耳から頭の中を駆け巡り、脳味噌の皺が増えるように刻み込まれる感覚を覚えた。

 ぼくは滲む視界の中でリピートしながら、チャンネル登録ボタンを押した。

 二人は999株式会社に所属しているバーチャルアイドルで、ボーイッシュな妹的存在アドレナ・凛さん。そしてリスナー全員のママ遠藤・フィーさんだ。

 この二人が時に交互に、時に一緒に配信をしていて、二十四時間、昼でも深夜でも開けば必ずライブ配信をしている。

 赤いフリルドレスのアドレナ・凛さんは主にゲーム配信。

 ホラーゲームや死にゲーばかりを遊んでいて、その腕前は赤ちゃんレベル。

『エナジーのみんなこんちは! 今日ボクが遊ぶのはこのホラーゲーム!!』

 アドレナ・凛さんがプレイしているのは〈警備員〉というホラーゲーム。

 深夜、幽霊が出るという噂のビルの警備員になった主人公。噂通り幽霊に遭遇するが、主人公は正体を知っていた。それは殺して遺棄した妻だったのだ。

 主人公は幽霊から逃れる為、各所に隠した妻の一部を集めて弔おうとするが……。

 というお話なのだが、一日二回、約十時間ずつプレイしてもうパート三〇を数える。つまり三百時間遊んでいるのだが、まだクリアはしていない。

 進行状況はというと、序盤のビルの警備中で妻の幽霊にも出会っていない。

 平均クリア時間二時間のゲームだけど……。

 そう、アドレナ・凛さんはゲームの腕前が良くない。だから死にゲーなんてやったら、チュートリアルの雑魚に何千何万戦っても勝てないのだ。

 最初は見ているとイライラしてくる。

 暗いからって悲鳴あげるな。敵の攻撃パターンは同じなんだから早く覚えて!

 でも見ている内にその考えは変わり、段々と応援コメントが増えていく。

 そして、たった一歩進んだだけで大喜びする彼女と一緒になって歓喜しながらぼくは祝福コメントを打ち込む。

『いつも見てくれてありがとな! そろそろお腹空いたでしょ? この後はフィーの料理配信だ!』

 コメントが盛り上がる。

 ぼくも学校に行ってた時は感じなかった空腹感を感じた。

『エナジーのみなさん、こんばんは。今日はカレーライスを作りますよ』

 遠藤・フィーさんは手際よく材料を切り分けてカレーを作り、自身のグッズであるお皿にご飯を盛り付けカレーをかける。

 見ているだけで生唾が止まらない。

 早く食べたい。そうコメントに打ち込みたいが我慢我慢。その時は必ずやってくるのだから。

『は〜い。ママの手作りカレーライス完成です。パチパチパチパチ。みんな拍手ありがとう。それじゃあ、召し上がれ』

 遠藤・フィーさんがよそったカレーライスを画面向こうにいるぼくに向けた。

 次の瞬間、ぼくの目の前にカレーライスが置かれる。

「いただきます」

 ぼくはスプーンを手に取り、スパイス香るカレーをご飯と一緒に頬張った。美味しい。ぼくの好みを知っているのか、甘口でスプーンが止まらない。

『みんな、ママのカレーは美味しい?」

 ぼくが賞賛のコメントを送ると、コメント欄にお代わりを求める文字が。

「お代わり沢山あるから、ちょっと待っててね」

 すかさず、ぼくもお代わりを求める。

 すると遠藤・フィーさんが画面の向こうからぼくをじっと見つめて、

「焦らないで。今渡すからね。ほらご飯、ほっぺについてるわよ」

 ぼくは自分の頰についた米粒を取りながらお代わりを待った。

『綺麗に食べてくれてママ嬉しいな。それじゃあ今日はここまで、また明日美味しいもの作ってあげるから。コメントでリクエストしてくれると嬉しいわ』

 ぼくは明日食べたいものをコメントに残し次の配信を待つ。

 今日は両親がいるので、洗い物ができないから、綺麗に並べて机の脇に置いておくことにした。

 この後は二人による三時間の歌枠だ。今日は何の歌を歌うのだろう。


『あんた。グラウンドドラゴンさんだろ?』

 ぼくのSNSのダイレクトメールに突然こんな文が送られてきた。

 無視していたが、またメールが届いた。

 二人の配信から目を離したくないが、またメールが来るのもめんどくさいので、仕方なくブロックしようとしてメールを見てしまう。

『なあ、あんたがSNSでアドレナ・凛とフィーの事呟いていたグラウンドドラゴンさんだろ?』

 ほんの一瞬、アドレナ・凛さんの歌声が聞こえなくなった。

 そう。ぼくは二人の事をもっと知ってもらいたくてSNSで呟いたのだ。しかし、登録者85億人もいる二人の話題なのに、誰も反応しなかったのだ。

 その時はぼくのフォロワーが絶望的にいないから相手にされていなんだなって納得した。

 今になって反応があるなんて。

『グラウンドドラゴンさん。二人のコメントにも同じ名前でコメントしてるよな? 俺良く見てるから覚えてんぜ』

 どうやら、本当に二人の配信を見ているリスナーのようなので返事を送ってみることにした。

 それに二人の話題で誰かと盛り上がりたいという気持ちもある。

 だから、配信の合間にメールを送る。

「あなたの想像通り、ぼくがグラウンドドラゴンです。あなたもエナジーの一人ですか?」

 短い質問を考えるだけで次の配信が始まってしまったので、終わってから送ると、一分も待たずに返ってきた。

『そうだ。俺はエビスってんだ。よろしくな』

 名前からふくよかな男の神様を想像したが、アイコンはクジラだ。

 エビスさんも二人のリスナーであり、その魅力を伝えようとSNSで発信し、更に自身のチャンネルで熱弁を振るった動画を投稿したそうだ。

 しかし結果はぼくと同じように誰にも相手されず、それでも魅力を拡める方法を探していたところ、ぼくを発見したとのこと。

『グラウンドドラゴンさんは、どっち推しなんだい。俺は包容力があって胸の大きなフィーが最推しなんだ』

「ぼくはどちらかというと、アドレナ・凛さんでしょうか」

『アドレナ・凛、嫌いじゃないがどうもゲームの下手さがなぁ。あれがいいって人もいるんだろうが、イライラするだけでよく分からん』

「ぼくも最初はそうでした。でもずっと見ていると、何というか、隣で一緒に遊んでいるような、気兼ねなく話せる幼馴染みたいな印象を持っています」

『なるほどなるほど。言われてみれば確かにアドレナ・凛って、アイドルだけど輪郭も丸めで近所にいそうな距離感の近い子だよな』

 そんな話題をスマホで話していると、アドレナ・凛が記念すべき百回目のプレイで、最初に探す妻の一部を見つけて、大喜びしていた。


「凄い。部屋全体にグッズが置いてあるじゃないですか」

『ふっ凄いだろ。フィーのグッズは告知があったら即入手してるんだ』

 エビスさんが送ってくれた写真には、開けた襖から飛び出しそうなほどのグッズがキチンと整列して並べられていた。

『今までのアイドルグッズは金かかるだろ。全種コンプを目指す俺にとって資金難が最大の敵だった。だって働くなんて苦痛以外のなにものでもないじゃんか。趣味も合わない。上司の命令に逆らえない。仲良い同士で盛り上がる話題は愚痴ばかり。そんなとこで金貰っても嬉しくねえよ。けどフィーのグッズはポイントと交換してくれるから、ほんと助かるよ。お陰で実家の仕送りだけで生きていけるぜ』

 ぼくも同意見だった。エビスさんは仕事の話をしているので僕より年上みたいだけど、年上に対する緊張は全く感じなかった。

 ちょっと言葉遣いは悪いけれど、やんちゃな兄貴みたいな感じで、配信の合間はお互いの推しの話題で盛り上がった。


『グラウンドドラゴンさんよ。直接会う機会はないかい?』

 そんなメールが送られてきて、ぼくの心臓が破裂しそうになった。

 しばらく返答に詰まっていると、再度メールが来た。

『おいおい。ヘンな誘いじゃないぞ。知ってるだろうが俺はフィーしか愛してないからな。会いたい理由ってのは、俺たちが知り合ったきっかけ覚えてるよな』

 ぼくは心臓を落ち着かせて返事する。

「確か二人の事をもっと拡めたい。でしたよね」

『おっ、忘れてなかったな。そう俺たちの第二の使命だ。第一の使命はもちろん、推しへの応援が最優先だがな』

「それはぼくも同じ思いです。で、拡める方法が見つかったんですか」

『ああ。実は羅針盤先輩という知り合いがいてな。その人は俺達よりリスナー歴が長くて、俺より大量のグッズを持っているリスナーの鑑みたいな人なんだがな。その人に相談したら、賛同してくれたんだ。それで俺たちに直接会いたいんだそうだ』

「ぼくもですか?」

 また心臓が跳ね上がる。

『そうだ。だって推しの魅力を拡めたいんだろう? 羅針盤先輩はその行動力に敬意を表して協力してくれるんだが、俺たちの決心を確かめたいんだと。半端な覚悟で推しへの愛を語るなって事らしい。どうするよ。嫌だったら俺一人で言ってくるが』

 ぼくは迷った。学校行かなくなってから、部屋から出ていない。

 しかし……。

『今日も歌枠見てくれてありがと! この後の配信も楽しみに待っててくれよな』

 アドレナ・凛の元気いっぱいな姿をもっと沢山の人に知ってもらいたい。そしていろんな人と推しの話題で盛り上がりたい。

 ぼくはたっぷり時間をかけて返事を書いた。


 待ち合わせ場所である犬の石像前に着いた。

 エビスさんに教えられた特長の男性はおらず、メールを送る。

「着きました。エビスさんどこですか?」

『後数分でそっちに着くぞ。 しかし問題発生だ』

「どうしたんですか」

 掌が痒い。

『それがなぁ。一時間前から羅針盤先輩と連絡がつかないんだよ』

「電波が悪いところにいるのでは?」

 掌がたまらなく痒い。

『いや調べてみたら、アカウントが消えていたんだ。何かあったのかもしれないなぁ。まぁその事は直接会って話そう。今交差点を渡るから鼻と目の先だぞ』

 掌を掻きむしりながら、返事を書こうとすると、複数の悲鳴が同じ方向から聞こえてくる。

 うるさいなぁしゅうちゅうできないよ。

 それにしてもかゆいかゆいかゆくてたまらない。

 アレ、何でぼくの視界、沢山の爪先で埋め尽くサレテイルンダロウ。ダレカオシエテ……。

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