油蟲

「こちら油蟲、室内への潜入成功」

『室内への侵入をカメラで確認した』

 排水溝から侵入したぼくは、シンクを吸盤のついた脚で駆け上る。

 真っ暗な室内の中、ぼくは今回の潜入ミッションの目的を喚起する。

 ぼくに与えられたミッションは連続爆弾魔、田所伸治三十三歳の住むアパートに潜入しある重要品の所在を確認。その後本物と確認されるまでカメラに収めた後、回収班が到着するまで重要物品の行方を見届ける事が任務だ。

 シンクの一番上で止まって確認すると、キッチンとリビングの照明は点灯しておらず、カーテンも下界と隔絶するように分厚く閉められている。

 その闇を切り裂くように、キッチン反対側の壁の上部だけが明るくなっているのを感じた。

『リビングの壁の一部が光っている。そこへ向かってくれ』

 光の発生源を確認するためにシンクの壁を歩いて降りると、床に積まれた部品の箱に歩を進める。

 部品は針の止まったアナログ時計に回路に電線、更にプラスチック製と金属製のパイプ、釘やボルトなどが種類ごとに分けられ、百円ショップで買えるプラスチック製の箱に収められていた。

 それらの箱はキッチンとリビングを隔てる仕切りの役目を果たしており、ここの主人はキッチンに出入りすることはほぼないようだ。

 透明なプラスチック越しでは、カメラでも滲んだようにしか映らないのだろう。

『油蟲、もっと近づけ』

 横幅約五センチの隙間を難なくすり抜けてリビングに入ると、熱を発する物体を二つ感知した。

 一つは低く唸るパソコン。それが暗闇で唯一光を放っていたものの正体だ。

 パソコンは重厚な作業机の上に置かれており、精密作業に使用されるのか、様々な工具が吊り下げられ、ツールボックスが置かれている。

 その机に陣取る一人の男。背中しか見えないがこの部屋で一心不乱にパソコンのキーボードを叩いていることから、彼が田所伸治だろう。

『油蟲、そこから重要物品は見つけられるか?』

 今日は九月らしく肌寒いせいか、田所はセーターを着ている。その膨らんだ背中のせいで机の上を探知できない。

「いえ、この位置からでは確認できません」

『距離を詰めろ』

「無理です。万が一発見されたら駆除する為に追い回され、重要物品を捜索することは困難になります。ここは部屋の主が離れるまで様子を見るべきです」

 目に取り付けられた通信機から長考するような唸り声が聞こえてきた。

「そうだな。まだ重要物品が発動する予兆はない。田所伸治が机から離れるまで待機しろ」

 指示を受け、部品が詰め込まれた箱と箱の隙間でじっと待つ。

 部屋の主がいつこちらを見ても大丈夫なように、頭の先端に神経を集中させた。

 十分か一時間か、パソコンのキーボードを強く叩き続けていた音が止む。

『動くか! いや目薬を差しているだけか』

 通信機の向こうで焦りが感じられる。

「まだ動く気配がないので、他の部屋を調べてみようと思います」

『そうだな。いやそうしよう。他の部屋にあるのにここで時間を潰していてもしょうがない。よし他を調査しろ油蟲』

 音を立てず、かつ素早く箱の隙間から抜け出し玄関が見える暗い廊下を目指した。

 勿論いつ部屋の主がこちらにきてもいいように、死角となる天井を這うように進む。

 玄関まで伸びる廊下は人一人分の幅しかなく、リビングから見て左側の壁には二つのドアがあった。

 リビングから一番近いドアの隙間から中に潜り込む。

 そこに窓はなく床には布団が敷かれていることから寝室と思われるが、あたり一面には部屋の主が製作したであろう爆弾が大量に段ボールに入れられて置かれている。

 大小様々な時限爆弾にパイプ爆弾、まるで通販サイトで発送される商品の在庫のようだった。

 段ボール部屋の周囲を城壁のように固め、その中央に鎮座するのは天井にまで届きそうな円筒形の装置。配線は剥き出しで持ち運びできそうになく、装置から伸びたUSBケーブルを挿入されたスマホが、液晶の上からガムテープでぐるぐる巻きに固定されていた。

 爆弾置き場の隅々、それこそ段ボール箱の隙間まで入り込んでみたが、重要物品は発見できない。

 部屋を出て玄関に近いドアの隙間に潜り込んだ。

 そこはユニットバス。

 トイレも浴槽も僅かな水気と同じ洗剤臭を感じる。使用された形跡はあるが、新品と見間違うように綺麗に清掃されていた。

 重要物品はここにもない。仕方なく部屋を出る事にすると廊下から振動を感知した。

 振動がユニットバスのドアの前で止まったので、慌てて浴槽の中へ頭から飛び込んだ。

 直後にドアが開き、部屋の主はトイレに着席すると持っていたスマホに目を落とす。

 ぼくは視界に入らないように注意しながらドアの隙間に向かって廊下に出た。

「もしもし、いえお金が足りなくなったわけじゃありません。預かっているものをいつ返せるか確認しておこうと思いまして、はい。まだ預かっていてほしいと……分かりました。でもなるべく早く次の仕事をお願いします。でないと、でないと手放したくないという気持ちが強くなってきているんです」

『油蟲、リビングを捜索しろ。あるとしたらそこしかない』

 再びリビングに戻ると、パソコンはスリープしていて室内は闇に包まれていた。

 カメラを暗視モードに変更し、ぼくは触覚で辺りを探る。

 すると作業机の方から触覚を引っ張られた。

 机の上には飲みかけや空のペットボトルが並んでいる。

 そこから、ぼくを引っ張る存在がいた。

『油蟲、何故動かない?』

「すいません。机の上から何か引き寄せられるような」

『こちらの観測機器では何の反応もない。近づいて確かめろ』

 部屋の主が戻ってくる前に作業机に上がり、そこに置かれたペットボトルを調べる。

 複数の空のペットボトルの一つだけが綺麗洗われて水気が拭き取られている。

 深海で座礁した艦船のようにソレはあった。

「重要物品と思われる珠を発見」

 返事はない。恐らくカメラ越しに真贋しているのだろう。

「油蟲、ソレを本物と確認した。回収班を向かわせたので、田所伸治に見つからないように監視を続けろ』

 ソレは直径九ミリの真円で中央に向かって闇が渦を巻いている。ソレは光も逃れられない闇の渦で、近づいてみると珠の周囲が歪んでいるように見える。

『油蟲、重要物品の表面に傷はないか。油蟲、表面を確認しろ』

 うるさい声に渋々従い、触覚をペットボトルに押し付けたままペットボトルを一周する。

 珠は尚も渦を巻き続けている。ぐるぐるぐるぐると、その中心の奥の奥に何があるのか今すぐプラスチックの壁を突き破って確かめてみたい。

「ああっ!」

 不意に男の声がした。

 ぼくを指差す男は、蝋人形のように固まっていたが、スイッチを押すように瞬きした途端に動き出すと持っていた携帯に指を這わせる。

『まずい発見されたぞ。油蟲その場から身を隠せ。聞いているのか? 早く身を隠せ!』

 部屋のどこかから着信音が聞こえてきた。次の瞬間、ぼくが借りていた体と男を爆風が包み込む。

 男は、複数の透明人間に力任せに引きちぎられるように四肢が分断。

 ぼくの借り物の体に透明人間の手が伸びる寸前、ぼくはペットボトルに向かって強く引っ張られた……。




「黒真珠は無事に消防士に変装した回収班によって回収されました。

 調査の結果、表面に三十五ナノメートルの傷を確認しましたが、力の発現は認められずその傷も回収二十四時間後には消えていました。

 万が一を考え調査後すぐに封印を施してあります」

「油蟲は工作員と共に爆発に巻き込まれた際、意識を消失したと思われます。

 爆発から二十四時間経っても意識が覚醒しなかった為、死亡と判断。

 共生している工作員二千二百四〇匹に神経ガスを散布後、焼却処理を施しました。  

 残り八個の黒真珠は目下捜索中です」

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