あなたを医療班に任命しました

 信じられるか。

 手を伸ばせばすぐの距離にビル十階はありそうな怪物とロボットが戦っているんだ。

 なのに逃げられない。

 まだ五体満足。体力もある。

 けれど逃げられない。

 政府からある役割を押し付けられたから。


 曇りなのに蒸し暑い。

 もう九月後半だというのに、クーラーを持ち歩きたい衝動は消えそうにない。

 仕事に行くための電車もいつも通り蒸し蒸しとしている。

 目的の駅まで後半分といったところで電車が急停止し周囲の肉の壁に押し潰される。

 周りが状況を確かめるように近くの窓やスマホを操作し始める。

 規則正しくも大きな振動によって、抜けかかった乳歯のように車両が左右に揺れ出した。

 車内に何十ものアラーム音が重なり合って鼓膜を震わせてきた。

 ぼくはスラックスのポケットから支給されたスマホを取り出す。

 画面には壊獣かいじゅう出現の報ともう一つの通知が表示されている。

 いっつも警報が遅いんだよ。と誰かが愚痴る。

 壊獣なんて毎年四回現れるから珍しくもなんともない。シェルターに避難すれば、その間にあのが倒してくれる。

 この電車は最寄駅に停車してからシェルターに向かう旨がアナウンスされ、乗客達は不安を吐き出すように息を吐く。

 様々な口臭が嗅覚を刺激しているようだが、脳はその反応を全てシャットダウンしていた。

 理由は簡単。

 ぼくは避難できないと決まったからだ。

 壊獣の事よりも更に大きく表示された画面には、赤帯の中に黒字でこう書かれている。

〈あなたを医療班に任命しました〉

 左右を見ると、殆どの人間は家族や恋人に連絡をとっているのか忙しなく指を動かしているのに、何人かがぼくと同じようにスマホを凝視して固まっていた。

 中年の男性サラリーマン、金髪に染めたギャルの女子中学生。こちらにランドセルをみせる男子小学生も頭を下にして固まっている。

 彼らもそうなのだ。

 この戦いが終わるまで、街中を駆けずり回ることになる。年齢は関係ない。

 技術を習得していれば、例えアブラゼミでも医療班にされてしまう。

 ここはそういう世界なのだ。

 電車が隣駅で停車してドアが開いた。

 そこで避難する乗客達は気づいたようだ。同じ車内に徴用医療班がいる。と。

 肉の壁が示し合わせたように扉までの道を開く。

 車掌のアナウンスが急かす。

 ぼく達医療班は我先に出て行こうとする者はいない。

 しかし、乗客に紛れて避難は無理だ。

 スマホが鳴った。ぼく達医療班のスマホが。

 それで乗客達は誰が医療班が知った。

 途端に肉の壁から無数の腕が伸びて、蒸し蒸しした車内のせいで汗まみれの背中が無遠慮に押される。

 外に出されたのはぼくを含めて四人。

 他の車両からも爪弾き者のように出てきた人達がいる。

 みんな様々な表情している。諦めた者、ここにいない政府に怒りをぶつける者、繋がらないスマホでどこかに電話する者。再生数稼ぎになると判断したのか、カメラで自分を撮っている者もいた。

 ぼくのスマホが警告する。

 対象から一キロ離れてはいけないのだ。

 もし離れたら、逃亡罪として逮捕され、一年間の収容所行きになる。

 帰ってきた人は一人もいないという噂が絶えない収容所へ。

 死にたくもないが捕まりたくもない。

 動きやすくする為に、ジャケットを脱ぎ、ネクタイを放り捨て足元を見る。

 寝坊してスニーカーを履いてきてしまったのは、不幸中の幸いと言っていいのだろうか。

 後ろでドアが閉まる音がした。

 電車がぼく達を置いて発進していく。

 甲高くなっていくモーター音。今は歩いても追いつけるが、いずれ全力疾走しても追いつけなくなる。

 外から扉に縋りつく人もいるが、電車は止まらない。例え線路に落ちて挽肉になっても無関心を装うし、罪には問われない。

 肉の壁がぼく達を見ている。緊急事態なのに発光するように明るい表情をしていて、中にはスマホを向けている壁の一部もある。

 出来る事ならぼくの魂も連れて行ってくれよ。

 そんな事を思いながら去りゆく天国行きの電車を見守っていると、突然車両が停止した。

 ブレーキをかけた時のように、勢いを殺す止まり方ではない。

 まるで子供が電車のおもちゃを鷲掴みにしたような止まり方。

 電車の車輪が回転し続けて線路と擦れている音はまるで断末魔の叫びのよう。

 医療班の一人が指差して声をあげた。

 釣られてみると、大きな腕がターミナルの屋根を突き破って車両を掴んでいた。

 5本の指に掌から前腕と、見えている範囲は体毛ひとつないのと墨のような色をしているだけで、人間の腕に形が酷似している。

 腕が電車を持ち上げる。肉の壁の悲鳴が窓を貫いて聞こえてくる。

 勢い余ったのか掴んでいた手が車両を握りつぶした。

 割れた窓やドアの隙間から、信じられないほどの血が流れ、線路に溜まった血液が温泉のように湯気を立てる。

 脱皮し終えた蛇の皮のように抵抗する事なく持ち上げられた車両が、屋根の向こうに消えた。

 上から悲鳴と共に、血と臓物に染め上げられた車両がぼく達の周囲に落下してくる。

 逃げろ。誰かの叫びでぼくは動いた。取り敢えずこの場を離れる為に振り向いて走る。

 車両が落ちてくる度にぐちゅんという音と、悲鳴が重なる。

 ぼくの目の前で一緒に乗っていた小学生が転んだ。

 すれ違いざま少年と目が合った。

 その碁石のような黒目が助けてと訴えているように感じてしまった。

 ぼくが立ち止まり振り返ったところで、落下した肉塊によって笑顔の少年の姿が消える。

 肉塊は雑巾のように身体が捻られ、顎が外れて眼球が飛び出した死に顔は、ぼくを嘲笑っているようだった。

 こんな時に英雄気取りかよ。

 駅を出たのはぼく一人だけだった。街はすでに無残な様相だ。

 ビルは穴だらけ、車は上から押しつぶされ、道路は地割れを起こしたように二つに割れている。

 それを彩るのは、血と身体から飛び出て尚、今も活動を続ける臓物達。

 ぼくはその場で朝食を逆流させた。

 少し気分が楽になったところでスマホが目標から遠いと警告してきた。

 道路に叩きつけてから立ち上がり、街のどこにでもある医療キットを探す。

 それは店内が散乱したコンビニで見つかった。

コンビニ店員が胸に何本ものペンを突き立てられて倒れているのを尻目に、壁に取り付けられていた医療キットを取り外し、爆発音が止まない戦場に向かって走り出した。

 瓦礫を降ったり登ったりしていると、サイレンが近づいてきて、スーパーカーのパトカーが立ちのぼる黒煙を切り裂くように瓦礫を飛び越えていく。

 ビルの間に姿が消え、代わりに現れたのは大きな人面。恐らく成人男性だと思う。口は半開きで鼻は膨らんだり縮んだりを繰り返していた。

 瞼のない真っ暗な眼窩がぼくを見つけたようにまっすぐ向けてくる。

 男性の口が開く。歯ひとつ見当たらない口内から光が溢れ出す直前、人型ロボットが横から体当たりした。

 放たれた光はぼくの右手側を通過。光線が通った後には何もかも消滅して、下半身を失ったビルが浮いている。

 しかし重力と質量に逆らえるはずもなく、真っ直ぐ地面に突き刺さり、倒壊していく。

 今では命より大事な医療キットを胸に抱えて走る。

 追いかけてくるように瓦礫が落ち、頭上に大きな傘が広がる。

 見上げると、それはこちらに倒れてくるビルの一部。

 ぼくは倒壊に負けないくらい声を張り上げて走った。

 しかし間に合う筈もなくビルの土砂降りを頭から浴びる。

 無意味にしゃがみ込んでいると身体が動く。

 生きていた。足元を見るとそこはちょうど、肉抜き穴のように大量に嵌められた窓の真ん中。

 どうやらガラスは倒壊する前に砕けていたらしい。

 この幸運が最後まで続く事を信じ、横倒しになったビルの中を進む。

 外に出ると巨人と機人が戦っている。

 先程光弾を撃ってきた人面は顔ではなかった。それは人間のように一対の手足が伸びた胸に貼り付けられている。

 頭部はというと、腐ったトウモロコシのようだ。

 天に向かって先走りの頭全体に、内側から表面が盛り上がっている。その先端は蜂の子のようだった。

 あまりのストレスで嫌いな上司をこねくり回して作ったような壊獣と戦うのは、白いスリムボディの人型ロボ〈スロー〉だ。

 パトカーから変形したスローは十階建てのビルくらいの壊獣の腹に鋭いキックを見舞う。

 地面に降り立つと、拳銃型の武器〈スローマグナム〉を連射。

 蹴りと射撃のコンボを喰らった壊獣は埃を払うように手を動かす。

 スローが近づこうとするも、五倍のリーチを誇るパンチによって吹き飛んでいった。

 胸の人面が口を開いた。狙われたスローは瓦礫の中から動く気配がない。

 万事休す。

 釘付けになっていたぼくの頭上を一羽の鳥が飛んでいく。

 それは金属で出来た鷹〈ウィングホーク〉だ。

 壊獣に肉薄すると、鋭い爪で引っ掻く。

 トウモロコシの頭部から膿のような黄色い汁が溢れ出し濡れた雑巾のような臭いが鼻をつく。

 ウィングホークの翼が帯電するのが見え、巻き込まれないように放置された車に飛び込んだ。

 電撃を孕んだ風〈エレクトウィンド〉が壊獣に向かって吹き荒れる。

 強風の中、胸の人面が苦しそうに口を開いた。

 ウィングホークがやられる。

 次の瞬間、足元が崩れ落ち、人面の光は真上に飛んでいった。

 崩した地盤から鼻を出したのは双子のモグラメカ〈ドリルモウルL・R〉だ。

 鼻にあたる〈タングステンドリル〉で素早く地中に戻り、振り回される腕を避ける。

 壊獣はアスファルトに埋まった下半身を抜き出すと同時に、人面から光を放つ。

 今度こそアローの直撃コースだったが、その光線は直前で膨れ上がり、街の瓦礫と土煙を消滅させただけだった。

 アローを守ったのはたてがみのメインシールドを展開させたライオン型ロボのレオスクトゥム。

 仰向けになっていたアローが立ち上がる。

 五機揃ったという事はアレが来る。

 壊獣が走り出したので、ぼくに助けを求める親子を無視してその場を逃げ出すと、案の定トラックがぼくと親子がいたところに落ちた。

 トウモロコシ頭の腕が到達する前に、五機の動力炉が協力して不可侵のエネルギーフィールドを作り出す。

 その球の中でアローが中心となり、ウィングホークの胴体と翼が背中と、両脚の爪が前腕と合体。

 次にドリルモウル二機が左脚と右脚になり、爪先のドリルの回転が勢いを増す。

 最後にレオスクトゥムの頭部とたてがみが胸部となり、スローの頭部に兜がドッキング。

 これが人類の守護神。そして今のぼくにとっては疫病神。

 その名も〈粉骨砕身ボディスロー〉

 五機合体により壊獣を圧倒する力を得た。

 腕部の爪〈ホークロー〉が横薙ぎに振るわれると、眼窩を切り裂かれた人面からイカ墨のような体液が噴き出し歯のない口から絶叫が迸る。

 爪先のドリルを利用した蹴り〈トースパイク〉がトウモロコシ頭の側頭部を貫いた。

 黄色い膿を辺りに撒き散らしながら、壊獣がよろめいた。

 頭を貫いてもボディスローは手を緩めない。

 遠方の巣に帰る鳥のような稲妻〈ホーミングライトニング〉が手足を内側から破壊し、動けなくなったところで獅子の顎から一万度を超える炎〈ジョウフレイム〉が放たれた。

 火だるまと化した壊獣は一瞬にして体内まで焼き尽くされたのか、熱に悶えることもなく、炎に舐められるがままになっている。

 全身の肉を余すとこなく炭化した壊獣が頭から倒れ、人面から首を絞められた叫びが聞こえて動かなくなる。

 ボディスローは距離を空けたまま、最後の大技の準備を始める。

 両爪先のドリルの後端から棒が伸びて繋がり、獅子のたてがみが鍔、そして鷹の翼が合わさって刀身を形作り、ドリルが柄頭と切っ先の役目を果たす。

 自身よりも長い剣を携えてゆっくりと壊獣に近づいていく内に、ボディスローがぼくの方を見た。

「離れていてください。そこは危険です」

 それは少女の声だった。いつも教室で一人本を読んでいるが、親友の為なら声を荒げる事ができる。そんな芯を感じさせる声だった。

 ぼくの方に意識を集中したのがまずかった。

 炭化した壊獣の内側から何かが飛び出した。

 ボディスローに組み付いたのは、今生まれたばかりのようにぬらぬらとした粘液を身に纏った壊獣。

 胸の人面はいないが、それ以外は炎に呑まれた壊獣のまま。

 ボディスローの左手を力任せに引っこ抜くと、続けて右足で左脚の膝を蹴り飛ばす。

 膝が逆方向に曲がったボディスローがバランスを崩して倒れる。

 壊獣は追撃の手を緩めず、左脚を両手で掴むと、その場でコマのように回転し、ろくに狙いもつけずに放り投げた。

 ボディスローはまだ直立していたビル群を頭で薙ぎ倒す。

 壊獣はトドメを刺すつもりなのか、トウモロコシ頭を左右に揺らしながら距離を詰めていく。

 ボディスローが起き上がる。

 左腕左脚を失い、各部も皮剥きする前のジャガイモのようにボロボロだが、片脚で起き上がった。

 その体を支えるのは、投げ飛ばされても右手にしっかりと握りしめていた剣だった。

 それを片手で構え、ボディスローから剣に向けて血のような色をしたエネルギーが流れ込んでいく。

 ぼくはそれに触れないように注意する。一瞬でも触れたら最後、不治の病に侵されるからだ。

「見敵必勝剣、デストロイブレイド」

 少女が叫び、両足を大きく動かして迫ってきた壊獣を袈裟斬りにした。

 トウモロコシ頭の右肩から左腰に掛けて線が入り、そこから二つに分断。

 中に爆薬が仕込まれているかのように爆発四散。飛び散った肉片も一人でに燃えていく。

 爆発の衝撃で痛む耳を抑えながら、隠れていた瓦礫から身を乗り出すと、壊獣を倒し力尽きたように倒れたボディスローに近づく。

 学校の授業で習った通りに非常用ハッチを解放。コクピットには、身体に張り付くようにピッタリとしたスーツを着ている人物を発見した。

 コクピット内は損壊が酷く、いるだけで怪我しそうなほど破片が散乱している。

 なので、頚椎と直接繋がったチューブを外して一緒に外に出ると、比較的平らな場所に寝かせた。

 パイロットはボディスローと同じように左腕左足を欠損し、折れた骨が傷口から飛び出していた。

 ぼくは医療キットから止血剤を取り出し、強く押し当てると、白い止血剤がみるみる赤く染まっていく。

 スマホに着信が来たので止血剤を押し当てたまま電話に出る。

『こちら特務医療班、徴用医療班。状況を知らせろ』

 医者が重役出勤かよ。

「今パイロットに応急処置を施してる。早く来てくれ。出血が酷い」

『了解。徴用医療班、決して応急処置以外の事はするな。後の処置はこちらでやる』

 ぼくの返事も待たずに電話は切れた。

 いつのまにか雲は晴れ、真夏のような日差しがぼくと負傷したパイロットに降り注いできて汗が止まらない。

 パイロットがスモークガラスのヘルメットに左手を伸ばす。

「どうした? 息苦しいのか?」

 返事はなく、左手をヘルメットに伸ばし続けている。

「動くな。今外してやるから」

 ヘルメット周りを触ると、スイッチのような出っ張りが指に触れた。それを押し込むと予想通りヘルメットのロックが外れる。

「これで少しは楽に……」

 ヘルメットの下から現れたのは、現れたのは、これがこれがパイロットの正体? こんなのが? でも少女みたいな声を声を出していたのに? いや目をよく見てみろ。黒目の周りに白眼があるぞ。瞼もないし顔から触手みたいので飛び出ているけど。

 誰かが叫んでいる。誰だ耳が痛い。なんで喉が痛いんだ。舌に血の味がするのは何で何で何でーー。


『こちら特務医療班、KJ-2772との戦闘跡地に現着。徴用医療班が発狂していたので記憶処置を施した。付近に生存者なし。了解、KJ-699を回収してこの場から撤収。ボディスローの方は回収班に一任する。徴用医療班の処遇は? 了解、レスキュー隊に救助を任せ、この場に放置する』

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