枯渇


 ソレが枯渇した。信じられない事だが、本当に何も無くなってしまった。今の気持ちを喩えると……。

 ぼくはジャンボジェットに乗っている。学校の修学旅行だ。席は二列ありぼくは通路側、隣の窓側には、担任の先生がいる。

 彼女は幼い頃隣に住んでいたお姉さんで、夢だった教師となって、ぼくのクラスを担当することになった。

 ボッチのぼくにとっては唯一気を許せる話し相手で、先生も小さい頃と変わらず接してくれた。

 そのお姉さんが隣の座席にいる。

 飛行機のエンジン音に負けないくらい心臓の鼓動がうるさい。

 隣から漂う香りや少し動くだけで聞こえてくる衣擦れ。隣にいるだけなのに服越しからの熱を感じ、両手で掴んだズボンの太ももの部分がしわくちゃになっていた。

 お姉さんが何度か話しかけてくれるが、全く話の内容が入ってこず、曖昧な相槌を打つことしかできない。

 そんなぼくを見て笑ってくれる彼女の微笑みを見れるだけで天にも昇る気持ちになれた。

 機内食は偶然にもお姉さんと一緒で、彼女と同じ物を食べているだけなのに、一つのモノを口移しするようなそんな変態的な空想もしていた。

 食べ終えたぼくは寝たふりをしながら、旅行中にお姉さんに告白する言葉を考える。

 恋人として二人だけで観光地を巡り、そして夜になったら一つの布団で……。

 そんな妄想は、強い揺れで蹴散らされた。

 飛行機全体が揺れている。客室乗務員が落ち着かせようとしているが、その人も強い揺れによってバランスを崩し、乗客の座った席へ倒れ込んで見えなくなった。

 お姉さんも、ぼく達生徒にに声をかけるが、ぼくを除いて聞いておらず、みんな悲鳴を上げ続けていた。

 立ち上がったお姉さんが倒れ込む。緊急事態なのにぼくの顔に押し付けられた胸の柔らかさで夢心地の気分になった。

 その膨らみが引き剥がされ、ぼくは誰かに後頭部を座席に押し付けられる。

 違った。

 視界が突然下を向いた。ベルトをしていたぼくは、めり込むほどの強さで座席に押し付けられていくなかで、左右から同級生達が落ちていく。

 先程倒れた客室乗務員も座席に何度も身体をぶつけ続けながら機首の方に転がり落ちていく。

 お姉さんの声が聞こえた。

 見ると、座席のヘッドレストを片手で掴んだ彼女がこちらに手を伸ばしている。

 そのままにしておけばコクピットの方へのは明白だったので、ぼくは必死に手を伸ばすが届かない。

 ベルトを外そうと手を動かしたが、下へ進む勢いが更に強まり腕どころか指一本動かせなかった。

 押し付ける空気のせいで鼓膜が塞がれて、何の音も聞こえなくなったが、お姉さんの唇の動きだけは、ハッキリと伝わった。

 役立たず、と。


 ソレが枯渇した。信じられない事だが、本当に何も無くなってしまった。今の気持ちを喩えると……。

 ぼくが握りしめているメガネは特別製だ。

 意志を持ち、掛けた人間を器として特殊な力で満たし超人的な力を授けてくれる。

 ぼくは百人目だった。

 メガネは力をくれると同時に百人の老若男女の英雄的行動を教えてくれた。

 最初知った時、彼らの決死の行いに涙を流し、感謝し、皆の誓いを引き継ぐと固く決意した。

 ぼくは戦い続けた。

 最初の個体を倒した事で賞賛を受け、ぼくがこの戦いを終わらせられると確信し、人々とぼくに愛情を注いでくれる母さんの為に、文字通り粉骨砕身で身体を酷使してきた。

 外の国が毎年のように地図から消滅しても、月毎に海に浮かぶ死体が増えていっても、隣の県がクレーターとなってもぼくは戦い続けた。

 星の為、人類の為だった戦いも今や、ぼくの母さんの為に戦っている。

 今日も夜明けと同時に奴らが来た。

 いってきます。

 疲れたのか、もう何日も眠り続ける母さんに声をかけて駆け出す。

 変身!


 ソレが枯渇した。信じられない事だが、本当に何も無くなってしまった。今の気持ちを喩えると……。

 ぼくにあてがわれた硬い部屋は暗くて狭いし、隣の人に話しかけても何の反応も返してくれない。

 退屈すぎる時間を過ごしていると、部屋の天井が開かれ、手が伸びてきた。

 指が迷うに動き、決心したのか真っ直ぐぼくに伸びてきた。

 壊れ物を扱うように指の腹が触れ、ぼくはゆっくりと起こされた。

 ぼくを抱えてくれたのは丸い眼鏡を掛けた三つ編みの少女だ。

 彼女は優しい眼差しで見つめながら話しかけてくる。

「あなたって細いのね」

「スリムな方が君も有難いと思って」

「あなたって柔らかいのね」

「君が疲れにくく、長い時間楽しんでもらいたいからだよ」

 彼女はぼくを気に入ってくれたようで、身体をくすぐるように指の腹を動かしてくる。

 くすぐったさに笑いが込み上げてくるが、彼女の為に石のように動かないよう集中する。

 彼女と出会ってから暫くは、暗い部屋から毎日外に出してくれる。短くも楽しい日々を送っていた。

 送っていたが……。

「あら、あなたインクが無くなってるじゃない。じゃあもうい〜らない」

 その一言でぼくのゴミ箱行きが決定した。


 ソレが枯渇した。信じられない事だが、本当に何も無くなってしまった。今の気持ちを喩えると……。

 

 これが延々と続く。

 書いたのは、ある小説家で彼は突然部屋に閉じ籠り家族や友人にさえ会う事を拒否した。

 部屋に閉じこもった間、食事はおろか入浴もさず、排泄を行った形跡もなく(室内に排泄物の痕跡はなし)最期まで上記の物語を書き続けていた。

 この小説家が繰り返し書いていた枯渇したというソレについて明かされていない。

 だが周囲から情報を集めたところ、どうやら新作を書けなくなっていたらしい。つまりスランプだ。

 件の小説家は処女作を出してから今までの三十七年の間、新作を出し続けていた。

 ソレが糸が切れるように突然書けなくなったそうだ。

 血の涙(比喩ではない)を流した小説家は病院を抜け出して自室に篭り、上記の物語を遺した。

 後日、ここに記した物語を含む全〇〇○話が、何者かによってネットに流出。

 それを読んだ読者が同じように部屋に閉じこもるという事態が発生。

 あるアパートでは、通報を受けて強行突入した警官によって、部屋の主が書いたと思われる物語が回収される。

 原因究明の為、その物語を読んだ署員達も自室に閉じこもり安否不明。

 我々は証拠物は直ちに鋼鉄製の箱に入れ、その上からコンクリートを流し込む封印を施したが、根本的な解決には至っていない。

 この現象は9月16日現在、世界で鼠算的に増えている。

 止める手立ては何一つ見つかっていない。

 一体何が枯渇したのか?

 ソレさえ分かれば事態は解決に向かうかもしれない。

 だが私にはこれ以上考えることはできそうもない。

 これを書いている今も部屋に閉じこもりたくてたまらないからだこれを読んでいるあなたがソレの正体を突きとめてくれることをイノル

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