デミウルゴス
不完全を完全にするのがぼくの役目だ。
なのに身体が動かず息ができない。
足を動かしても空を掻くように何の手にごたえもない。
妻が待っているんだ。
金糸のような髪に少女のような儚さを兼ね備えた美しき妻が。
ぼくと刃物の出会いは子供の頃、台所にあった包丁だった。
光を反射する刀身に吸い寄せられ、指先で触れた途端、ピリッとした刺激が走る。
見ると、人差し指に縦一文字の裂け目がありそこから紅い珠が内側から盛り上がっていた。
自らの肉体を傷つける事で肉体は美しさを増す。
ぼくは自らの役目を悟った。
刃物を使い創造する。その一心で技術を研鑽し医療用のメスと出逢う。
小さく薄い姿は指の一部となり、触れるだけで切れる刃は何人もの皮膚や肉を作り替えてきた。
そんなぼくだったが、ある日患者の一人に謂れのない理由で訴えられた。
鼻で笑っていたものの、その患者が世間で知名度の知られた女優であったことから、クリニックを閉鎖され表舞台に立つ事が出来なくなってしまった。
金はなくなり、購入してあった山奥の屋敷に押し込められるような生活が続く。
何よりも苦痛だったのが、メスを握れない事だった。
以前は毎日のように創造を繰り返していたのに一週間、一ヶ月と何もできない日々が続く。
このままでは死んでしまう。神は創造する事をやめてはいけないのに。
荒れ放題の部屋に何日引きこもっただろうか、ぼくに役目を与えてくれたのは、唯一ついてきてくれた妻だった。
「暗闇の世界が見たい」
両手の震えが止まった。
すぐさまぼくと同じように鈍っていたメスの刃を一心不乱に研ぎ準備を整えると、寝かしつけた妻の瞼の上から横一文字に線を引く。
その線は歪みもズレもない飛行機雲のようだった。
「これが暗闇の世界……ありがとう」
神として当然の事をしたまでなのに、紅い涙を流しながら紡がれる感謝の言葉を聞いて、神であるぼくは人間のように嬉しさを覚えた。
「私もあなたの住む神の世界へ、連れて行ってくれる」
もちろんだとも。
それからぼくは美しいが人間である妻を神の世界へ招き入れる為、メスを振るっていく。
「人間界の臭いが嫌い。生ゴミ、体臭。吐き気が止まらないの。臭いのない世界に導いて」
「周りから聞こえてくる音が私の神経を逆撫でしてくるの。あなた、静かな世界が欲しいわ」
ぼくの掌に妻が文字を書く。
「下界の食べ物は何でこんなに甘くて辛くて苦いの? そんな刺激ばかりで疲れてしまう。何も感じない世界へ行きたい」
お安い御用だ。愛しい妻よ。一緒に神の国の階段を登ろう。
まだ終わってない。
妻を神の世界に連れていけていない。
後一歩のところで妻と離れ離れにされてしまった。
創造主の半身ともいえるメスも没収され、皮膚や肉を作り替える力も奪われてしまったままだ。
「お前達。ぼくの力が欲しいんだな。創造主の力が。こんな無理やり奪うことはない。恭しく跪いて願いを言え。下界の生き物だからって蔑ろにはしない」
ぼくを見上げる人間達は、感情のこもっていない人形のような瞳でこちらを見上げたまま何も言わない。
あまりにも愚かだから神の言葉が理解できなかったのだろう。もう一度説明しようとしたら時、突然床が抜けて首を締め付けられる。
首にまとわりついた触手を引き剥がそうとするが、何度やっても首の皮を引っ掻くだけ。
「貴様ら、神を地獄に落トそうどするのが……ゾゴマデしてぼくの力がァァァァァ」
妻が手招きしている。
そうだ、まだ終わっていない。
差し出された手を掴むと、妻の背後から翼のような光が溢れぼく達を包み込む。
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