第三幕 シュウゲキ⑥

 ここで視点は彩川に変わる。

 時間は少し遡り、火炎瓶が超常警察内に投げ込まれ、火の手が上がり始めた頃。

 廊下に設置されたソファに座って休んでいた彩川は、火災報知器の音を聞いて白杖を手に取る。


(こんなときに限って襲撃……! ……何も見えないよりはマシか)


 ゴーグルを外しても炎や煙は見えないが、敵と遭遇したときには相手のオーラだけが見える。万が一会敵したときはオーラを見て対応するしかない。


(とりあえず、後方支援組の部屋に少しでも近づかないと……)


 彩川は点字ブロックの上を白杖で叩きながら歩き出す。普段、視力があるときの感覚も頼りにしながら移動するが、自分の少し前の位置から窓がガシャン!と割れた音がした。その瞬間、ゴウ!という熱風とともにひりつくような熱を感じる。


「あっつ!」

 

 慌てて一歩下がる。これは……火炎瓶?


「……クソッ!」


 推測するに目の前は火の海だろう。ということは、煙も近いうちに充満し始めるはずだ。


「誰か! 誰かいないか!」


 一人でこの状況を打破することは難しい、と判断した彩川は声を上げて救援を呼ぶ。すると彼の想いに応えたのか、背後に集団の気配がした。

 安堵して振り返る彩川。だが、その安堵は一瞬で恐怖に変わる。


 彼の見えない瞳が映したのは、たくさんの敵意と怒りの色。

幼い頃、散々見せつけられたあの色!


恐らく周りは火の海。恐らく目の前は敵の集団。恐らく逃げ場なんてない。

トラウマそのものに囲まれ、逃げ場なんてない状況。

この状況は、彩川を恐怖の底に突き落とすには十分すぎるほどに残酷だった。


ダメだ。この色はダメだ!


「く、来るなあああああ‼」

 

 パニックに陥った彩川は、人の形をしたオーラに向かって白杖を振り回す。だが、その白杖が人の形をしたオーラ……レンの分身に当たることはない。分身はすっと白杖を躱し、彩川の顔面を殴った。


 ああ、あの頃と何もかも一緒だ。


 殴られた瞬間、脳がぱちっとショートを起こす。その瞬間流れたのは、自分が幼い頃の記憶だった。



 彩川青葉の両親は、精神的に非常に不安定だった。もっと分かりやすく言えば、簡単なことで機嫌を悪くし、自分の息子である青葉に八つ当たりをした。

 八つ当たりの方法は様々。罵声を浴びせる。殴る。蹴る。食事を抜く。エトセトラ。

 そういった環境下で青葉は、両親の顔色を常に窺い、機嫌が悪くなりそうなときは子どもながらに気を回したり、その場から逃げたりした。そんな生活の中で、青葉は人の色が見えるようになった。彼が家で目にしたのは、だいたい怒りや自分に対する不満や敵意の色。見るだけで体が硬直するような、おぞましい色。それでも、彼は文字通り顔色を見るしかなかった。それだけしか、身を守る方法がなかったからだ。

 そんな日々を続けていると、段々彼自身の色が失われていった。髪の毛が黒から灰色に、灰色から白に変わった。肌が普通の色から異常なまでの色白に変わった。黒の瞳が白に、白の瞳が透明に変わった。

 両親はそんな彼を不気味に思い、より一層激しく機嫌をぶつけた。青葉も、より一層顔色を見るようになった。

 ある日のこと。青葉は学校で家族の絵を描いた。教師は青葉の絵を見て、怪訝そうに彼に質問する。


『彩川君。この、赤黒い二つの影は何?』


 青葉は生気のない瞳でこう答えた。


『お父さんと、お母さん』


 この出来事がきっかけで青葉は保護され、超常警察直轄の孤児院へと住処を移した。




 彩川は殴られた衝撃で態勢を崩し、そのまま燃え盛る炎の中へ落ちていく。

 背中に感じる熱さが、自分の命はもう終わりだと告げてくる。


 こんな終わり方なんて嫌だ。


 彩川の目から一筋の涙が流れた、その瞬間。


 シュルルルルル‼


 ぐいっと彼の体が紐のようなものに支えられる。天井を見上げる形で支えられた彼の瞳に映ったのは、自分に対する強い愛情の色。自分がよく知る、優しくて、強い色。

 そのオーラの持ち主は、怒りと敵意の塊を紐……蔓で突き刺すようにして一瞬の間に処理する。そして、彩川の体を腕で支え、床に座り込み、抱きしめた。


「青葉先輩、間に合って良かった」

「葵ちゃん……」


 脱力する彩川。その体はまだ恐怖で震えている。その背中を、髪の毛を、古賀は母親のように優しくさすった。その手から伝わってくる自分への愛情が、彩川の胸中をかき乱す。


「あ、ありがとう。助かったよ、そうだ、他の後方支援組が見当たらないんだ、みんなも探しに行かないと……」


 平然を装うために口を回す彩川。だが、その口は古賀に優しく塞がれた。


「…………」

「…………青葉先輩」


 古賀は彩川の口から唇を離すと、こう言った。


「怖かったね。遅くなってごめんね」

 

 その刹那、彩川の透明な瞳から大粒の涙が溢れだした。止めようにも、こうなってしまってはもう止まらない。


「う、うああ。ああっ、ああ……!」


 彼女の前では格好つけたいのに、これでは子どもみたいだ。それでも古賀の前で泣き出す恥ずかしさより、彼女に縋りたい気持ちが勝った。

 彩川は、古賀を強く強く、震えが残る腕で抱きしめた。古賀も、彼に負けないくらいの力で彩川を抱きしめ返す。

 そんな二人を取り囲み、レンの分身たちはこれ幸いと殴りかかりに来た。古賀は顔だけで振り向き、怒りを超えた何かが込められた形相で分身たちを見る。


「お前ら、誰一人許さん」


 次の瞬間、彼女の体から刃物のように尖った蔓が大量に飛び出し、分身たちの視界を埋め尽くした。


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