第一幕 トリシラベ⑤
そして数時間後、一が目を覚まし、準備が整ったところで健生はもう一度市原に呼び出される。
面会室の手前まで、幸は健生に同行してくれた。
「それでは、私はここで待っています」
「心配かけてごめんね、いってきます」
「健生様」
面会室に入ろうとした健生に、幸が一言かける。
「私はここにいます。ですから、大丈夫ですよ」
彼女はふっと微笑みながらそう言った。
その笑顔があまりにも綺麗で、健生は場違いにも見惚れてしまう。そうだ、今この笑顔は自分だけに向けられている。自分のことを想う人が、自分に向けてくれた想いそのものだ。だから、大丈夫。
「ありがとう、幸さん。勇気もらった」
へへ、と照れ笑いをし、健生は面会室のドアの前に立つ。その手は恐怖か、緊張か、はたまた別のもののせいか、カタカタと震えていた。その震えを静めるようにふう……と深呼吸をすると、健生はドアノブをがちゃ、とひねる。
ドアを開けるとすぐ、一の姿が視界に入った。彼は背を曲げて俯き、じろりとした上目遣いでグルル……と健生を見る。まるで、鎖に繋がれた猛犬のようだ。
(ここで怯むなよ、俺……!)
健生は己を奮い立たせると、用意されていたパイプ椅子に座った。これで、健生と一を隔てるものは透明なプラスチックの壁一つになった。
スピーカーから市原の声が聞こえてくる。
「面会時間は今から五分間とする。怪しい動きが見られたらそこで面会終了やで」
その声を合図に、面会時間がスタートした。
「……別に、僕は話すことなんてなあんにもないんだけどさ。何? 強制的に眠らせておいて、起きたら今度は面会? それもお前と? マジ最悪」
一は当然のごとく不機嫌そうに健生を睨みつける。だが、一とやり直すためにも、ここで止まっていられない。
「……あのさ、一」
「黙れよ、うるさい」
健生は何とか一に話しかけるが、声掛けは一瞬で遮られてしまう。まるで健生との会話そのものをシャットダウンしているかのようだ。
ぐっ……と黙ってしまう健生。その様子を見て、一は更に機嫌を悪くしたらしい。 グルル……という唸り声がこちらまで聞こえてくる。
「だいたいさ、お前、何のために面会しに来たわけ?」
「一、 俺は……」
「僕のこと笑いに来たの? お父様に選ばれたお前が、お父様に選ばれなかった僕を」
「違う、俺は」
「何が違うんだよ‼」
バン‼
一は、プラスチックの壁を思い切り叩く。その表情は、他の意見や言葉など入る余地もないほど余裕がなく、いっぱいいっぱいのものだった。健生はその形相にかける言葉をなくす。一の動きに反応した晶洞が、すぐに一を羽交い絞めにして拘束した。
「面会はここまでです!」
「おら、笑えよ、健生‼ 僕の方が失敗作だったって‼ 笑えよ、なあ‼ おい健生‼」
がちゃん
面会室の扉は、無慈悲なほど冷たく閉じた。健生は立ち尽くす。
(何も、言えなかった……)
一人きりになった面会室で、健生は無力感に打ちひしがれ、パイプ椅子に座って脱力した。
一に、何と声をかければ良かったのだろう。何と声をかければ、彼を救うことができただろう。やり直すことができただろう。
いくら考えても答えは出ない。自分にできることなんて、なかったのかもしれない。
「それでも……」
健生はぽつり、と呟く。
「それでも俺は、一とやり直したいんだよ……!」
その独白は、瞳から溢れた雫とともに床へと落ちていった。
場所は変わって、冨楽家。
冨楽家では、恋羽と彼女の腹違いの姉、転法輪凰華がのんびりお茶会をしていた。
「凰華お姉様、何かありましたの? どこかお疲れの様子ですわ……」
「ああ、恋羽。そんなこと言ってくれるのは貴女くらいのものでしてよ。あまり大きな声では言えないのだけど……」
凰華は扇子で口元を隠し、恋羽にちょいちょい、と指で近寄るよう伝える。何だろう、と恋羽が彼女に近づくと、凰華は扇子で耳元を隠しながら内緒話をする。
「実は最近、裏社会でおいたをしている輩がいますの。ワタクシたち転法輪がいると知っての狼藉でしてよ?余程の命知らずですわ」
「転法輪を恐れていない……ということですの?」
「そうなりますわね」
そう言って凰華は恋羽から離れた。
「恋羽もこちら側の人間。夜道と背後には気を付けることをお勧めしますわ」
凰華はそう言ってお茶を優雅に飲む。
恋羽は、紅茶に映る自分の姿を見た。その心中は穏やかではない。
(転法輪も恐れない、ということは、超常警察も同じこと……)
窓から空を見上げる。上空では、灰色の雲が太陽を覆い隠そうとしていた。
(お兄様、お姉様、桂木様……何もないと良いのですが)
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