第一幕 トリシラベ②

 あれは中学校の入学式の日だった。

 心配する両親に「大丈夫だから」と空元気の笑顔を見せて、自分は教室へと向かった。教室に入ると、既に教室に来ていたクラスメイト……小学校の同級生たちの視線が一斉に注がれる。ざわついていたクラスが一瞬静かになる。その視線は確かにこう言っていた。


 コイツも同じクラスなのかよ、と。


 外れくじを引いたような表情を隠しもしないクラスメイトから逃げるように、健生は自分の席へと座った。校庭の桜の木を眺める。自分と同じ新入生やその家族は、校庭を彩る桜の木に夢中だ。だが、風が吹いて散り、地面で踏みつけられる花びらへは誰も見向きもしない。誰も見向きもせず、踏みつけられ、汚れ、腐り、最後には捨てられる。この中学校生活もそうなるのだろう、と健生が半ばあきらめの境地でそんなことを考えていたときだった。


「ねえ、君」

「…………」

「ねえねえ、君だってば、つぎはぎの君!」

「……えっ、俺……?」

 

 声の方向に目を向けると、そこには見知らぬ少年が立っていた。髪は綺麗に整えられ、新しい制服もかっちりとした印象の少年に似合っている。こんな少年、小学校の同級生にはいなかったはずだ。彼は興味津々、といった様子で健生に話しかける。


「そう! せっかくの入学式なのに、何で一人でぼーっとしてるの?」

「何でって……」

 

 この少年、一言目からなかなか鋭い言葉のナイフを使ってくる。だが、そんな少年との会話すら貴重だった健生に、彼を跳ねのけるという選択肢はなかった。健生は自分の事を恥じるように、少年から目を逸らす。

 

「俺……友達いないし……」

「ふーん」

 

 少年は健生の答えを聞き、考え込む。そして、こう言う。

 

「じゃあさ、僕の友達になってよ。僕、引っ越してきたばかりで知り合い誰もいないんだ」

「……えっ?」

 

 この少年、今何と言った?

 

「だからさ、僕と友達になってよ」

「……俺、こんな見た目だけど……いいの?」

 

 健生は自分のつぎはぎまみれの体を示す。その傷跡は、顔にも大きく入っており見るだけで痛々しい。だが、少年はぽかん、とした様子で健生に聞き返した。

 

「見た目が友達に関係あるの?」

「……っ!」

「僕、犬塚一。君は?」

 

 少年は健生に名前を聞いてくる。今までこんなやり取りしたことなかった。こんな、友達になったばかりの最初のやり取りなんて!

 

「……冨楽。冨楽健生……!」

「じゃあ、健生って呼ぶよ。僕のことは一って呼んで」

 

 そう言って少年、一は手を差し出してくる。健生はそれを不思議そうに見つめた。

 

「この手は……?」

「よろしくの握手だよ。これから友達になるんだから、これぐらいはしときたいし」

 

 何てことないように言う一に、健生の心は震えた。本当に、本当に友達ができたんだ。

 

「そう……だね! これからよろしく、一!」

 

 普通の手と、つぎはぎまみれの手が組み交わされる。

 これが、健生と一の出会いだった。

 

 

(あのとき、そんなこと考えてたのか、一は……)

 

 何だか、大切な思い出が一つ、それこそ地に落ちた桜の花びらのように踏みつけられた気がする。健生が取り調べ室の一から目を逸らしかけた、そのときだ。

 

「健生様」

 

 視線の先には、幸がいた。彼女は健生の傷まみれの顔を見据え、すっと手を添える。

 

「大丈夫ですよ。大丈夫です、健生様」

「……ありがとう、幸さん」

 

 そうだ、ここで目を逸らしてはいけない。自分は当事者だ。ここまで来て、事実から逃げるわけにはいかない。健生はもう一度、視線を一へと向け、彼の姿をしっかりと見つめる。

 取り調べは続いていく。

 

「超常警察の情報を長法寺珠緒に流したのも、君だね」

「そう。僕は耳も鼻もいいんだ」

「獣化の超能力を使ったんだね」

 

 彩川の問いかけに、一はにやりと笑う。肯定の証だった。

 

「超能力には副作用も伴うはずだ。何で長法寺珠緒にそこまで献身的になる? 長法寺珠緒は、君を実験体として酷く扱った人間のはずだろう?」

「何で? 何でって……決まってるだろ……」

 

 一の表情に、狂信的な色が宿る。本当に、本当にいろんな感情をごちゃまぜにした、強烈で、鮮烈で、恐ろしいまでにぞっとする色。彩川の、ゴーグルを外した目が見開かれた。


「お父様だからだよ……お父様だけが僕に価値を見出してくれたんだ、初めての実験体として……初めての成功体験として……! お前らには分かるわけないだろうな、僕はお父様に選ばれたんだ、なのに……!」

 

 一は机をバン!と叩く。

 

「なのに……今度はアイツが、健生が選ばれた! 惨めに生き残って、ただ平和に生きていたアイツが! 僕はずっと努力してきたのに‼ お父様の唯一であるために、ずっと、ずっと、ずっと‼ 努力してきたのに‼ どんな実験にも耐えた、どんなこともこなしてみせた、なのに‼ 何で、何で何で何で‼」

 

 一は、目の前の硬直した彩川に、いや、正しくはここにはいない健生に向かって吠える。

 

「何で、僕じゃなかったんだあ‼」

 

 バチィッ‼

 

 鋭い静電気のような音がした。

 それと同時に、彩川の首が弾かれたようにのけ反り、彼はそのままガシャン!と床に倒れ込む。

 

「何でっ、どうしてっ、僕じゃ、僕は選ばれない‼」

 

 一は彩川に馬乗りになり、鋭い爪で彼の顔面を切り裂こうとした。

 だが、古賀がそれを許さない。絶対に許さない。

 

「させるか‼」

 

 彼女は一を素早く蔓で拘束する。すかさず吉良が一の視界に入り込み、こう叫んだ。

 

「眠って‼」

 

 吉良の姿を視認し、彼女の声を聞いた途端、一はだらり、と蔓の中で脱力する。

 健生、柳、市原は急いで取調室へと駆け込んだ。

 

「彩川さん!」

「青葉、しっかりせえ!」

 

 健生と市原が彩川を助け起こすが、彼は目元を押さえて「う、ぐ……」と呻いている。指の間からは、血がぽたぽたと流れていた。目から出血している。

 

「彩川先輩……!」

 

その様子を見た古賀が息を呑む。

すかさず市原が全体に指示を出した。

 

「古賀ちゃん、心配やろうけどまずは犬塚を牢へ戻して! 吉良さんと一緒に行きや! 若松君はデータの整理、健生君と柳ちゃんは青葉を医務室連れてくで!」

『了解!』

 

 こうして、犬塚一の取り調べは中断となった。

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