第三幕 トックン⑥

「……へ?」

「柳さんを相手に、缶蹴りをしてもらいます。缶が蹴られるか、私が終了の合図を出すまで続けること。いいですね?」


 さすがに、こんなことは予想してなかった。だが……。


(チャンスでもある……よな?)


 実践的な訓練で組むということは、自分の成長を肌で感じてもらう絶好の機会だ。もう守られるだけの存在ではないのだ。先日、柳は感情が薄いことが副作用だと言っていたが、柳の力になれるまでにはなった、ということは分かるに違いない。それを見てもらおう。


「柳さん、よろしくね」

「はい、よろしくお願いいたします」

 

(……ん? 気のせい……?)


 肝心の柳は相変わらずの無表情だったが……「よろしくお願いいたします」の言い方が心なしか、いつもと違うように聞こえた。あくまで感覚だったが。

 

 どうしたの、と一言聞こうとした瞬間、晶洞の号令がかかる。


「それでは、両者位置についてください!」

 

 自分の最終試験ともあって、健生にこれ以上、柳を気に掛ける余裕はない。晶洞に言われた通り、缶の所へと向かう。柳も壁際へと移動し、戦闘態勢を取った。

 

(切り替えないと……ここで失敗したら唯ちゃんとの約束が守れない……!)


 全身に緊張感を張り巡らせ、全身変異の態勢を取る。そして思考する。

 

(柳さんはどうくる……? すぐに透明化してくる……よな……。だったら、目と耳は当てにならない!)


「位置について……用意……」

 

(何をヒントにすればいい? 視覚と聴覚以外で何か……何か……!)

 

「始めっ!」

 

(間に合わない!)

 

 結論は出なかった。だからこその苦し紛れの策。


「これは……?」

 

 透明化しようとした柳は動きを止める。

 健生の巨大化した両手が、缶を包み込んで隠していた。


「時間稼ぎ……かな」

 

 がちがちに固まった表情筋でにやり、と笑ってみせる。柳はそれと対のように無表情だ。


「構いません。やることは変わりませんので」

 

 その言葉と同時に、柳は透明になり見えなくなる。

 

(ここからどうする……⁉)

 

 ダメ元で視覚と聴覚を変異で強化してみるが、まったく気配は感じない。そんな無駄足を踏んでいると、後頭部にガン!と強い衝撃が来る。


「いって……!」

 

 (蹴られた……⁉)

 

 思わず手の変異が解けそうになるのを何とかこらえ、今度は全身を硬質化させ……ようとした。

 

(だめだ、柳さんがケガする……!)

 

 この期に及んで好きな子の心配をする健生に、容赦なく見えない打撃が襲い掛かる。しかも、それらは徹底的に人体の弱点である正中線や頭部を狙ってくる。

 

(容赦ない……どうすれば……!)

 

 健生はまだ治癒を思うように扱えない。全身怪我まみれになって負けてしまうのは時間の問題だった。

 

(蹴りも突きも凄い威力だ……風圧がすごい……! ん? 風圧……?)

 

 ここで健生は一つの結論に辿り着く。散々攻撃を喰らったが故に辿り着いた結論だ。


(これならいけるかも……!)

 

 そう思った瞬間、後頭部付近に風圧を感じる。


(今だ!)

 

 髪の毛を一瞬のうちにバサァ‼と伸ばす。さすがに柳も驚いて後ろに下がる。


 

(これは……髪の毛を変異で伸ばした? いえ、そもそも何故私の場所が分かったのです?)

 

 柳は思案する。攻撃箇所を本体に絞りすぎた?

 そう考えた彼女は、今度は腕の部分を狙って蹴りを繰り出した……が。


 ブオン!


(⁉)

 

 缶を守っていたはずの手が開かれ、腕を振るわれた。健生の腕に手をかけ、空中で一回転することでなんとか衝撃を受け流す。しかし、腕に触れたことで居場所がばれたのだろう、振るわれた腕が今度は柳を狙って戻ってくる。

 それを、柳はしゃがんで着地することで躱した。しゃがんだ姿勢から地面を蹴り、健生から一時距離を取る。


(もしや……空気の流れを読んでいる?)


 柳の予想は当たっていた。健生は柳から散々攻撃を喰らったことで、人間が動くと空気の流れができるという至極当然の事実に気づいた。そこから、空気の流れのみを頼りに柳の動きに対応し始めたのだ。これを可能にするのは、健生の細胞操作の能力で引き上げられた触覚、反射神経、筋力である。もはや人間業ではない。


(健生様……ここまで強くなられたのですね……) 

 

 喜ばしいことなのに、心は相変わらず空っぽ、いや、何だか普段より空っぽに感じる。どうしてだろう。その事実は、知らず知らずのうちに柳をイラつかせる。もちろん、柳は自分がイラついているという事実には気づくことができない。だが、気分のブレは柳の攻撃の精度をがくん、と落としてしまった。

 先ほどから攻撃をあらゆる箇所を狙って出し、時には缶を狙っているにも関わらず、健生はその全てに対処してくる。

 

(何故、当たらないのです)

 

 健生の対処はどんどん早くなる。どんどん緻密になっていく。

 

(何故、どうして、健生様……)

 

 どんどん、健生を遠くに感じる。


 何故、どうして。


 二人の応酬は、集中力を限界まで振り絞って行われた。どれくらい時間が経っただろう。すごく短かったかもしれない。すごく長かったかもしれない。そんな時間を、二人が体感していたときだった。


「そこまで!」

 

 晶洞の声が響く。

 缶は、試験開始時と同じ場所にコツン、と立っていた。


「ただいまの勝負、健生君の勝ちです。おめでとうございます、最終試験、合格です」

「ご、合格……」

 

 合格、の一言を聞き、健生は変異を解いて床にへたり込んだ。

 

「う、受かったぁ……!」

「合格……」

 

 柳もぽつり、とつぶやく。

 そうか、負けたのか、私は。

 

「柳さん、ありがとう! 俺、前より強くなれたかな?」

 

 健生はどこか高揚した様子で、柳に聞く。あまりにも無邪気で、輝かしい笑顔。

 柳はその笑顔にどこか胸に穴を開けられたような、そんな心地で、無表情に答えるのだった。


「はい。強くなられましたね、健生様」


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