第三幕 トックン③

「ふふっ……あっはっは!」

「わ、笑わないでくださいよ……!」


 昨夜の大散髪事件の顛末を聞いた晶洞は、初めはこらえていたが、ついには思い切り笑い始めた。その中心人物である健生は耳まで真っ赤だ。


「す、すいません……! いえ、毛だらけになった健生君が見れなくて残念です……くくっ」

「と、とにかく! 俺の考えた方向性って間違いじゃないですよね?」


 まだ笑い続ける師匠に対して、健生は本題を叩きつける。

 健生の問いかけを聞いて、晶洞はようやく笑いを収めたようだ。トレンチコートのポケットに手を突っ込んで、弟子の質問に答えてみせる。


「まあ、間違ってはいませんね。ただ、健生君も気にしているように、一気に体を変異させるのはまだ暴発の恐れがありますから。それは追い追いでもいいと思いますよ。私はそれより、健生君が敵の動きに反応、対処できていないことが気になりますが?」

「え?」

「はい、それでは今日の特訓を始めますよ!」

「はっ、はい!」


(ひょっとして、今、ヒントをくれた?)

 

 何かひらめきそうな予感はしつつも、晶洞の声掛けでそれは後回しになった。

 ちなみに、この日も健生はコテンパンにされてしまうのだった。



(絶対に何かのヒントだったんだよなあ……)

 

 その日の夜、健生は疲れ切った体に鞭打って机に向かっていた。


『私はそれより、健生君が敵の動きに反応、対処できていないことが気になりますが?』


 この言葉が訓練中も離れず、初日よりもボコボコにされてしまう始末だ。今日中にこの疑問は解決しておいた方がいいだろう。


(俺は戦闘経験ほとんどないし、晶洞さんクラスの強い人達に対応できるわけないんだよなあ……どうすべきか……)

 

 大きく変異させた手でペンを遊ばせながら、健生は特訓ノートを見返す。そこには、晶洞から言われた課題と、それへの対応策が書いてあった。それらをじっと見ていると、健生はあることに気づく。


(ん? 待てよ……)

 

 一番上に書いてあった一つ目の課題、『能力を使って即座に対応すること』と、先ほど追加した『敵の動きに反応、対処すること』の二つが、健生の中で結びつく。


(素の実力で張り合えないなら、能力を使って張り合えるようにすればいいんだ……!)

 

 ここから、健生の脳みそがフル回転し始める。

 まずは、晶洞に劣っている自分の要素をどんどん書き出していった。戦闘経験、瞬発力、反射神経、持久力、集中力……キリがない。だが、健生の能力は細胞操作、言ってしまえば、自分の体を自由に作り変える能力だ。

 

(経験と集中力はどうしようもないけど……瞬発力と反射神経なら何とかなるぞ!)


 今度はスマホを取り出して、体の機能や構造について調べ始める。やりたいことはあっても、そのやり方が分からないと意味がない。


(えっと……つまり、神経が活発になることがどっちにも必要ってことか……? いや、多分それだけじゃなくて、反射についていける筋肉も必要で……けど全身の変異は難しいから……腕の筋肉だけ変異させる? いや、それじゃ晶洞さんの動きについていけない……だったら……脚? となると、作戦は……)


 健生の学校の成績は下の中である。だが、それは長い入院生活で小学校に満足に通えなかったことによるものだ。地頭や頭の回転、思考の柔軟性においては、非常に優れた素質を持っている。本人以外の周囲の人間は、この事実にしっかりと気づいていた。もちろん、彼の師匠も。晶洞は彼の素質、そして努力を信じて、今回のヒントを出したのだった。

 一度回り始めた思考はとどまることを知らない。ある種の高揚感を覚えながら、健生はノートに文字をどんどん書きなぐっていくのだった。


 それからしばらくして。


「お兄様~? 温かいお茶を入れましてよ~。……お兄様? 入りますわよ?」

 

 健生の様子を気にした恋羽が部屋に入ってきた。そこには、机に突っ伏して眠る健生の姿があった。彼の下には、努力の結晶ともいえるノートがちらりと見えていた。

 

(お兄様……頑張っていらっしゃるのね……)

 

 恋羽は毛布を健生の肩にかける。

 

(わたくしも……わたくしも、お兄様の力になりたいわ……)

 

 恋羽は、自宅に脅迫文が大量に送られてきたときを思い出す。あのとき吹き荒れた、竜巻のような暴風に恋羽は心当たりがあった。

 

(……守られてばかりではいけないわ、恋羽! わたくしにもできることをするのですわ!)

 

 そう心に決め、恋羽は自室に戻っていった。全ては、とある人物に連絡を取るためだった。

 机の上に置いたお茶は、すっかり冷え切っていた。


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