第六幕 ブラックボックス③

 柳は、生暖かい感触に抱かれながら目を覚ました。そこは暗い肉塊の中。どうやら、中は空洞状になっているらしい。おかげで押しつぶされずに済んだ。普通の高校生ならば発狂して気を失いそうな光景だが、柳にとっては問題ない。周囲を見渡すと、全身が肉塊に包まれている。

 目の前には、健生が触手に耳を塞がれた状態でうつむいていた。その顔は、何かに耐えるように歪んでいる。健生の様子を見て、柳はこんなことを思うのだった。

 

 昔の私に、似ている――。


 昔々、あるところに黒髪の美しい少女がいました。少女の母親は、彼女に何度もこう言い聞かせていました。


「あなたの名前は『幸せ』のさち。だからきっと幸せになれるわ」

 

 少女は、優しい母親が大好きでした。少女の母親は、どうやら悪い男に騙されて、少女を一人で育てていたようです。貧しい暮らしの中でも、父親がいない暮らしの中でも、少女は幸せでした。だって、大好きな母親が一緒だったのですから。

 でも、そんな幸せな日々は突然終わりを告げます。母親が交通事故で死んでしまったのです。少女は毎日毎日泣きました。泣いて泣いて泣いて、涙も枯れたころ、見知らぬ男が少女を迎えに来ました。その男は、少女の父親でした。

 少女は父親に引き取られることになりましたが、父親の家には、既に新しい母親と、新しい妹がいました。父親も母親も、妹だけを可愛がりました。少女は頑張って新しい両親を振り向かせようと、勉強も運動も頑張りましたが、まったく意味はありませんでした。

 まるで、その場に誰もいないように扱われる日々。どれだけ頑張っても何も意味を成さない日々。なんともみじめな日々。

 少女はやがて耳を塞ぎ、家の隅っこで小さく丸まるようになりました。まるで、そこに誰も存在しないように。自分の気持ちなど存在しないように。

 

 ここには誰もいない。私に気持ちなんてない。

 ここには誰もいない。私に気持ちなんてない。

 ここには誰もいない。私に気持ちなんてない。

 ここには誰もいない。私に気持ちなんてない。

 ここには誰もいない。私に気持ちなんてない。


 繰り返して。繰り返して。繰り返して。


 やがて少女は、本当にその場から消えることができるようになったのでした。


 あのときの自分には、支えてくれる人などいなかったけれど。

 目の前の、やけに優しい少年を見つめる。

 この人には、支えてくれる人達も、この人を支えたいと思う自分もいる。


「健生様……」


 反応はない。柳は構わず話しかける。

 

「健生様、あのとき、よろしく、と手を差し伸べてくださいましたね。襲撃事件では、私を庇ってくださいましたね。私、あのときは分からなかったのです。何故、護衛対象である貴方が私に敬意を払うのか、大切にしてくれるのかと。でも、貴方を近くで見ていて分かりました。貴方はきっと、そういう人なのですね」

 

 少年の耳を塞いでいる触手に手を添える。触手はぴくり、と反応するが、柳は手を離さない。柳自身も、自分の心に生まれた、かすかな感情の機微を見逃さない。


「最初は任務だから貴方の護衛をしていました。今は、そんな貴方だからこそ護衛したいのです。私だけでなく、貴方の周りの方々も、隊員たちも、貴方が帰ってくるのを心待ちにしていますよ」

 

 すっと触手を外し、少年の耳を露出させる。

 

「ほら、聴いてください。貴方を待っている方々の声を」

 

 外からは、健生を呼ぶ大勢の声が響いていた。

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