第四幕 トレーニング③

「トレーニング、お疲れ様でした、健生様」

 

 晶洞に連れられてトレーニングルームから駐車場へ移動すると、そこには柳を含めた護衛の面子が揃っていた。すぐにでも帰宅できるよう、待機していてくれたらしい。


「それでは出発しましょうか、フフフフフ!」


 ウキウキとした声で山下がハンドルを握っている。彼の促しを受けて車に乗り込もうとすると、最後に晶洞(今はトレンチコートを羽織っている)が声をかけてきた。


「健生君」

「晶洞さん……」

「無理せず、ゆっくりいきましょう。いいですね?」

「分かりました……」


 健生は晶洞の念押しに何とか答えるが、感情は隠せなかったらしい。どこか心配そうな表情で見送られた。最後の最後に、あれは不味かったなと自分でも思う。

 そう考えていると、車内で桂木が話しかけてきた。


「おう、健生。初めてのトレーニングはどうだったァ?」

「全然、何もできなかったです……はは」


 桂木の問いに、乾いた声で答える。今度はちゃんと、笑顔を作れただろうか。


「最初は誰でもそんなもんやで、健生君」

「そ~だよ~、気にしすぎは良くないよ~。はい、頑張った子にはおやつをあげようね~」

「いや本当、全然頑張ってないんで……」

「健生君は真面目ですねえ、フフフフフ!」


 護衛たちは口々に健生を励ます。先ほどの晶洞との会話を聞いていたのだろう。なんだか申し訳ない。

 そう思っていると、古賀がぴくん、と何かに反応する。そして叫ぶ。


「イッチ―先輩、右側誰かぴったりつけてきてる! 車じゃない!」

「右方向固めて!」


 一気に緊迫した空気になる。桂木が右側に移動し、柳は健生に触れて透明状態になる。連携のため、声は聞こえたままだ。


「クソ、どこいやがる! 全然見えねェ!」

「あそこ、屋根の上!」

 

 見ると、黒い人影が車と同じ速度で屋根を走っている。まるで獣のような動きだ。


 その直後、運転席側の窓にダン!と銃弾が食い込む。


「先に運転手狙うってわけか! 素人やないな……!」

「この程度で止まったりしませんよお! フフフフフ‼」


 山下は速度を落とすことなく運転する。さすが、肝は据わっているようだ。

 速度を落とさない車を見て、人影は追撃する。


 ダン!ダン!ダン!


「おっとっと!」


 ほんの一瞬、速度が落ちた。人影はそれを見逃さず、車の上に飛び乗ってくる。


 ドン!


 乱暴な音が車内に響く。


「っ!」


 古賀が咄嗟に天井を茨で覆う。瞬間、天井がボコボコと歪み始める。このままだと、天井に穴が開いてしまう。


「チッ! イッチ―先輩、窓開けて迎撃します⁉」

「アカンで! 中入られたら終わりや!」


 中に入られたらと言っても。そう言っている間に天井はどんどん歪んでいく。

 もし車内に侵入されたら、健生には何もできない。

 ドゴン!ドゴン!ドゴン!


「ひ……!」


 天井が歪む音に、健生は耳を塞ぐ。


「古賀先輩、腕一本分の幅を空けて窓を塞いでください。透明状態で迎撃します」

 

 健生の様子を見た柳が、素早く判断を下す。古賀が柳の言う通りにすると、彼女は透明化して見えなくなった手、拳銃を握った手を外に出し、天井に向けて銃弾を撃つ。見えない銃弾の攻撃だ。


 銃撃音が去ると、天井の歪みがぴたりと止まる。


「やったかァ⁉」

「いえ」

 

 柳が左側に目を向ける。

 そこには、跳び去っていく人影が見えた。常人の動きではない。


「待て!」

「古賀ちゃん、追わんでええ! 相手は多分能力者や、健生君を無事に送り届ける方が優先やで!」


 そう言って、市原は無線で連絡を取り始める。桂木や古賀は車体に他の異常がないか素早く調べる。

 騒がしく、緊迫した車内で、健生は一人犯人が走り去った方向を見て愕然としていた。


(何も、できなかった……)


 何もできなかったどころではない。ただ、震えていることしかできなかった。

 ただ、おびえることしかできなかった!


(だめだ、また……!)


 腕が、頭がじくじくと痛み始める。晶洞に教えてもらった深呼吸で、痛みを抑えつける。


「健生様」


 柳に声をかけられる。


「柳さん……」

「お怪我はありませんでしたか?」


 彼女はいつもの無表情だった。その無表情が、魅力と思えた無表情が、何故だか今は悲しい。

 

「だい……じょうぶ。ありがとう」

 

 以前の襲撃で、柳がどうして自分を守ったのか、と健生に聞いた理由が分かった。

 彼女が無頓着だからじゃない。

 自分が、彼女より弱いからだ。


 何だか、馬鹿みたいだ、俺。


 健生は俯く。そんな健生を柳は首を傾げて見つめるのだった。


 黒い人影は、走り去る車を見てにやりと笑った。


「そろそろ良い時期だねえ、健生……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る