第一幕 ユウカイ④

 どれくらい歩いただろう、時間の感覚ももうよく分からない。健生はずるずる…と両腕を引きずりながら思った。

 普段であれば、とっくに夕食を家族で囲んでいる時間だ。早く家に帰りたい。温かい、あの家に。

 ふと、自分の両腕を見る。そこには、醜く膨れ上がった自分の両腕がある。


 なんだ、あの化け物は⁉

 

 さっきの黒服の言葉を思い出す。道を行きかう人々の、自分を見る奇異の視線を思い出す。そして、自分の体を改めて見る。つぎはぎだらけの、自分の体を。

 

 本当に化け物みたいだ。


「はは……あはははは‼」


 どうしようもなく笑いが出てくる。どうしようもなく涙が出てくる!

 誰か、どうか誰か。


「誰か……助けて……」


 か細い声が、暗闇にこだまする。答える者は誰もいなかった。はずだった。


「……様、冨楽健生様」


 水晶玉のように透き通った声が返ってくる。

 健生がふと顔を上げると、そこには先ほどまでいなかった美少女が立っていた。月明りに照らされた彼女の髪は、長い烏の濡れ羽色。肌は陶器のように白く、顔立ちも美しかったが、その瞳には光がない。どこまでも無表情で人間味を感じない少女が、健生に話しかけてきたのだろう。


「だれ……?」

 

 普段ならば、警戒していた場面だろう。だが、今の健生には目の前の少女を警戒するだけの精神力はもう残っていなかった。

 少女はそんな彼に対して、体温のない声色で話しかけてくる。

 

「私は貴方を救出しに来た、警察機関の柳(やなぎ)と申します。ご無事で何よりです、健生様」

「きみが、けいさつ……?」


 同い年にしか見えない、この少女が?

 そんな疑問を口にしたときだ。

 

「いたぞ、あそこだ!」


 健生たちが、黒服の持っていたライトに照らされる。どうやら追手に見つかってしまったようだ。健生は視界に飛び込んできた黒服たちに、再び恐怖という名の精神力を喚起させられた。


「ひっ……見つかっ……!」 

「健生様、走ることは……できそうにありませんね」


 少女は素早く健生を背負い、木の陰へと隠す。


「ここで待っていてください。私が追手を片付けます」


 そう言って柳と名乗った少女は、黒服たちの前に鋭く飛び出していく。


「なんだあいつは!」

「構わん、撃て!」


 ダンダン!


 銃声が鳴る。少女は銃弾の軌道を読み、素早く横に飛んで回避してみせた。まるで体操選手のように華麗な動きだ。その直後、彼女の姿がライトに溶け、見えなくなる。


「クソ、透明化の能力者だ!」

「どこに行った……グハッ!」

「おい、どうした……ガハァッ!」 


 黒服たちが見えない少女に攻撃され、次々と倒れていく。黒服たちは健生のときほどではないものの、パニック状態だ。


「ただでさえ暗いのに、アイツ!」

「おいやめろ、こっちに銃を向けるな……ギャアッ!」

「仲間を撃ってどうする! しっかりしろ!」

 


 最終的にはこの有様だ。柳が何もしなくても、仲間同士で銃を向けあっている。

 敵がひとしきり混乱に陥ったところで、柳の声が健生の隣から聞こえた。

 

(お待たせしました、健生様)

「っ⁉」

(今、手に触れますね)


 その言葉の直後、健生は手に人肌の感触を感じる。……醜く膨張した、自分の手に。


「…………」

(こうしていれば、私たちの姿が相手から見えることはありません。話し声も隠すことができます)


 人肌の感触がすると、目の前に柳が現れた。彼女も手にライトを持っているが、その光も黒服からは見えていないようだ。どうやら彼女は、手に触れているものも透明化できるらしい。


(申し訳ありませんが、ここから少し歩きます。しばらく行ったところに、私の仲間との合流地点がありますので、そこまで向かいましょう)

(なんで……)

(なんでしょう、健生様)

(なんで、俺の手触ってくれたの……)

 

 健生が問いかけると、彼女は不思議そうに首をかしげる。


(手が、どうかなさったのですか?ああ、能力の影響ですね。覚醒したばかりで、制御が上手くいっていないだけでしょう。少しすれば、元に戻るかと)

(そうじゃなくて)


 なんで、こんな。


(こんな、化け物みたいな手……気持ち悪くないの……)


 そう言うと、彼女はさらに首をかしげる。


(健生様は、人間でしょう?)

(……っ!)

(申し訳ありませんが、先を急ぎますので、ここを移動しましょう)


 柳はそう言うと、ライトをしゃがんでいる膝の上に置き、自分の来ていた上着を健生にかけてくれる。温かい。

 もう動く力なんてなかったが、化け物のように見られ、化け物と言われた少年には、その言葉とぬくもりさえあれば十分すぎた。

 恋に落ちるには、十分すぎた。


(ありがとう……)


 泣きそうになりながら礼を言うと、柳はこう答えた。


(まだお礼には早いです。ここを無事に切り抜けましょう)

 

 そう言って、柳は健生を先導して歩いてくれる。ゆっくりと、しかし、確実に明るい方へ。

 健生は、自分の手元を見た。化け物のように膨れ上がった自分の手と、それをしっかりと握っている柳の綺麗な手。彼女の手から伝わるぬくもりが、深い深い、恋の沼に落ちた高ぶりが、今の自分の活力だ。

 

 頑張って逃げ切ろう。そして、この子の連絡先を聞こう。

 

 そんな場違いな、恋する少年の思考で健生は歩みを進める。

 明けない夜はない。夜明けはもう、すぐそこに迫っていた。

 

 

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