最終話 はじめてのおわり
チュンチュン……。
俺たちは、ほとんど同時に目覚めたらしい。
気づけばベッドに横たわっており、目の前にはぱっちりとしたミヤの瞳が。
こちらは半裸である。言い訳はできない。冷や汗を垂らしながら恐る恐る尋ねる。
『何かした?』
『してない!』
一言一句たがわず同じ言葉を交わす。
ネトゲでこんな状況になると、ケコーンなんて冗談を言い合ったものだが……。
見つめ合っていると、空気を読まない腹の虫が豪快に鳴った。
「あははっ! 私たち丸一日食べてないですものね。パンならありますよ」
「お願い。腹が減って死にそう」
彼女は起き上がって眼鏡を掛けると、先に部屋を出ていった。
俺はベッドに座ったまま自らの手のひらを見つめる。
生きてる……。
オマケしてくれたのか、それともすべてが夢だったのか。あるいは──
「まだ続いているのか」
しかし頭が働かない。なにはともあれ腹ごしらえだ。
俺たちはささやかな朝食をとりながら、しばし歓談を楽しんだ。
真っ先に尋ね合ったのはやはりあの女神のことであり、一連の記憶は本当にあった出来事なのか、あるいは同じ夢を見ていたのか、判断がつかなかった。
女神の姿は見当たらず、呼びかけにも応じる気配はない。すくなくとも自分たちは今現在、確実に生きているという結論に至った。
だが俺はそれに安堵することなく、今すぐにでも家に帰って物語を書きたいのだと言うと、ミヤのほうもそれに賛成した。
あらためて彼女に礼を述べると、急ぎマンションに戻ることにした。
それからの行動ときたら、わが身を疑うようだった。自宅に到着するやパソコンをひらき、ひたすらキーボードをたたき続ける。
止まっていた物語が嘘のように進む、進む。ゲーム上でイメージを膨らませていたキャラクターたちが、まるで生きているかのように動いていく。
気づけば息をするのも忘れていて、布団の上で転げまわったりもした。
ミヤの指摘は的確だった。
物語側に人物を合わせることと、己の分身を登場させることへのためらいによって生じていた問題は、新たなる器に自身が理解できる気質を与えることで利点と欠点が明確になり、これまで操り人形に過ぎなかった主人公にようやく魂が宿ったのだ。
思えば自分の好きな作品に登場する主役、たとえば探偵たちには、しばしば病的な何かが
後天的に肉付けされ変化していく性格だけでなく、生まれもった
俺はせっかく知り合った魅力的な女性と連絡を取りあうこともなく、ただひたすら書き続けた。あれほど楽しんでいたゲームも、今はする気になれなかった。
そしてようやく自分の中でひとつの区切りを迎えたとき、初めて他人に──ミヤに見てもらう決心がついたのであった。
SSDにデータを移すと、いちおう断りを入れてから、出掛ける支度を始める。
スマホは水没したものの無事だったが、邪魔したくないとの思いから、今の今まで連絡をためらっていた。向こうからは、「大丈夫です」とのシンプルな言葉が返ってくるのみだった。
あの日と同じ道をたどり、橋を渡り、出会った時刻にチャイムを鳴らす。
「ようやく見せてくれる気になったんですか?」
扉を開けるなり、ミヤはこちらを見て笑みを浮かべた。
「まあね。半端なものを見せても仕方がないし」
「ここまで連絡をくれないなんて、私のこと忘れちゃったのかと思いました」
「気を使ってるつもりだったんだよ。そっちも頑張ってるだろうと思って……」
「ふふふ、冗談ですよ。さあ、上がってください」
この前に来たときはそれどころではなかったが、一人暮らしする女性の家である。やたらと良い匂いがしてなんとも落ち着かない。俺は鼻も利くのであった。
「私のほうは、まだ最後が終わっていません。それでもよければ」
パソコンは一台。そちらは自分が借りて、彼女にはネットに保存してあるデータをスマホで読んでもらうことになった。俺は椅子に座り、ミヤはベッドに横になって、互いの機械を交換して読み合う。
隙あらばほかのデータを見てやろうかとも思ったが、ファイル名からして真面目な性格がうかがえて己を恥じると、意識を集中させて読んでいく。
そこには、最初に読んだときとはまるで別の物語があった。
明らかに主人公はミヤ自身を種とした痕跡は残っているものの、そこから芽吹いたキャラクターは彼女とは異なる誰かであった。アドバイスを真に受けるのではなく、己の解釈で独自の作品を構築している。
正直に言って、嬉しいと同時に悔しさを感じた。俺たちは手を差し伸べ合う協力者であり、決して戦い合うことはないライバルの関係だ。
漫画であるがゆえに先に読み終わった自分は、音を立てぬように椅子を引く。
「……あら、もう読み終わったんですね」
「ああ」
「どうでしたか?」
「ん。まあ、いいんじゃないの」
「なんですかその口調は!」
「このまま努力しなさい。君ならきっと良いものが描ける」
「なんかムカつく! というか『狐物語』読んでみたら、内容ひどすぎです!」
ひとしきり笑い合うと、読むのは後回しにしてもらい、今後のことを話し合った。
ミヤはラーメン屋のバイトを辞めて、創作時間を増やしたそうだ。
俺は恥を忍んで現状を打ち明け、流されるままに彼女と同じファミレスで働くことになった。
そして互いの金を浮かせるために、あらためて親に金を支払って共にマンションを借りることにした。まあ、つまりはそういう事である。
しかし断じて恋愛のためではない。俺たちには死ぬ前にやり遂げなければならないものがあるのだから。
同じテーブルで頭を突き合わせて、書いて書いて、描きまくる日々。ときに詰まることはあっても、もう立ち止まることはない。
今度こそ、真のラスボスに決着をつけるのだ。
それからしばらく経ったある日のこと──
「とうとう私たち、しちゃいましたね……」
「あ、ああ……」
普段は向き合っているのに、今日ばかりは隣に座っていた。
頬が真っ赤になっているのが自分でもわかる。ミヤもまたずいぶんと体が火照っているのが感じられた。何があったかは、想像にお任せしよう。
恥ずかしながら震える己の手を、彼女はそっと上から包み込んだ。
ああ、なんだかとってもいい感じ……、と思った、その瞬間──
ドッゴオオオオオン!!
パンパン!
押入れの扉が乱暴に開け放たれると同時に、クラッカーが打ち鳴らされる。
ふたりで呆然とソレを見つめる。
「パンパカパーン! 初体験おめでとうなのじゃ!」
「ぎゃあああああ!!」
「きゃあああああ!!」
言うまでもない、それは夢に見た、あのアマテラスの姿であった。
「いやー、長かったのう。あの時の続きをとうとう……。おぬしらの成長を目にすることができて、わらわもたいへん喜ばしいぞ」
「てめえええ! 見てんじゃねーよ!」
「ああ……恥ずかしい……」
「お赤飯とお酒も用意してあるのじゃ! 今日ぐらいはいいじゃろ」
「いつからここに居た! 言え!」
「初めからかの~」
「なんて女神だっ!」
「もういやぁ……」
粋な計らいと称して、宴の支度がちゃくちゃくと整えられていく。
なんだかんだ、これを受け入れようと思っていたところ──
『アー!!』
……ん?
「あっ、お前は出てきちゃダメなのじゃ」
「あー! カラス! 三本足!
「ば、ばれてしまったのじゃ……」
橋から落下する直前に見たもの、最後の戦いでとんでもない攻撃をしてきた魔神、わずかに残る『日本書紀』の知識……すべての点と点が線で結びついていく。
震える拳を握りしめ、あらん限りの大声で叫ぶ。
「アンタのせいかよおおおおお!!」
マンションの壁がやや厚くてよかった。
どうかこの大騒ぎが、ご近所さんの迷惑になりませんよう……。
こうして、俺たちは初めての体験を終えた。
すなわち──
互いの足りないものを埋め合って処女作を完成させ、
長い長い時を経て、ようやく投稿童貞を卒業したのであった。
薄暗い部屋に光るパソコンには、『エントリー完了』の文字が刻まれていた。
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最後まで読んでいただき、誠にありがとうございました。
物語を拡張できる余地は残しつつ、ひとまずこれにて終了です。
フォローやレビューをしていただけると幸いです。
関連のある『幽刻のワイルドハント』もどうぞよろしくお願いします。
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