第2話 女神の間

「はい、次の方どうぞ」


 唐突に受付らしき和装の女性から言葉を投げられて、俺はハッとした。


「えっと、なんでしたか?」


 相手は面倒くさそうな表情を浮かべる。


「順番ですよ。081番の尾張総一郎さまですね? そのまま直進してくださいませ」


「は、はあ……」


 いったいこれは何だ? ここに至るまでの記憶がまるでない。


「あの、申し訳ございませんが、後ろがつかえてるので」


「すみません、すぐ行きます」


 とりあえず俺は歩き出した。

 右も左も真っ白だ。どこまでも先に広がっていて、じつに不思議な光景だった。

 気づかぬうちに蛇行して、変な場所に行ってしまいはしないかと不安を覚えるが、そういう心配も不要のようだった。なぜなら、前方から何かが見えてきたから。


 美しい亜麻色の髪をした女性だ。ずいぶんと豪華な和装をしている。

 だが、態度はお世辞にもお上品とは言えなかった。涅槃仏ねはんぶつのように横になり、頬杖をついてポテトチップスを食べている。


「あー、来た来た。まったく遅いではないか。太ったらおぬしのせいじゃぞ」


「ごめんなさい。なんだかよくわからなくて」


「なるほど、覚えておらんのか」


「はい。ここはいったいどこでしょう?」


 女性は服の裾で手を拭いてから、よっこらせと姿勢を正した。


「よいか、聞いてもショックを受けぬように」


 ごくりと唾を呑みこんだ。


「おぬしは死んだのじゃ。冷たき沼に落ちてな。げに儚き命よのう」


「そ、そんなあ……!」


「本当じゃ。うぬは生前、ずいぶんと怠け者だったそうじゃな。で、本来なら地獄へ直行なのじゃが──」


「えええ!?」


「最期の善行に免じて、今一度チャンスをやろうという話になってな」


「チャンス?」


「蘇らせてやろうというんじゃ」


「そんなことが可能なので? あなたはいったい?」


 俺は、目の前で横になっている女性に尋ねる。あ、いまお尻かいた。


「わらわは女神じゃ」


「ええ! 横になってポテチ食べてるような方が女神!?」


「ムカッ! おぬしなんか無間むけん地獄行きじゃ!」


「待って、それ一番ひどいやつ!」


「知っておったか。今すぐ謝れば、ゆるしてやらんことも──」


「たいへん申し訳ございませんでした。この世、いや、あの世? ええい! 全宇宙で最も美しい女神さま!」


「よろしい。話を戻そう」


「ほっ。というか俺は、とくになにか信仰していたわけでは」


「気にするな。憐れじゃから救ってやろうというだけのこと」


 女神は咳払いして、話を続けた。


「おぬしは生前、なにもかも中途半端であったな」


「申し開きのしようもございません。そのとおりでございます」


「悔いがあるとは、感じておるか?」


「……ええ、一応は」


「そこで、じゃ。これからわらわが、おぬしに試練を与えよう。もしそれらすべてのやり残しを成し遂げることができたらば、時を戻し、蘇らせてやらんこともない」


「具体的にはどんなことを?」


「お遊戯をするのじゃ。おぬし、端的に言って『ラスボス前症候群』じゃな?」


「なぜそれを!」


 ゲームのラストに登場するボス直前でやめてしまう者のことを、俗にそう呼ぶ。


「というか女神さまってゲームするんですか?」


「……ま、まあそれなりに。わらわも人の世を知っておかねばならぬゆえに、知識はかじっていないこともない」


「がっつり遊んでいらっしゃるんですね」


「うるさいわい、話を逸らすでない! どうじゃ、やるのか、やらんのか」


 女神は頬を赤らめるも、真面目な瞳で問いかける。

 俺はしばらくの間、黙って考えこんだ。

 正直なところ、生き返って何をするんだろう、と思ってしまった。また再び、あの鬱屈して、けだるい、退屈な日々を送るのだろうか。


 同級生たちが順調に人生を積み上げているのに対し、俺といえば、プロットと序章を書いては投げ捨てて小説のまがい物をつくり続け、あとは自堕落にゲームする生活を送っていただけ……。


「どうなんじゃ?」


「うーん。よくよく考えてみれば、ロクでもない人生の残り時間を消化したとこで、かえって虚しさが増すだけのような気が……」


「ふむ」


 女神は、俺に失望したような表情を見せた。


「本当に悔いがないというのなら、わらわの手間がひとつ減るだけじゃ」


 唇を噛んだまま、言葉を返すことができなかった。


「じゃが、ひとつ聞かせておくれ。なぜあの娘を助けた?」


「ああ──」


 ようやく、死ぬ直前のことが思い出されてきた。


「なんとなく、です。俺の人生に価値はないけれど、あの子には生きていてほしいと思った。ただそれだけ……」


「その娘じゃが、あやつはおぬしを巻き込んで死んだ。その罪は重い」


「そんな、あれは俺が勝手にやっただけで」


「そういうわけにもいかんのじゃ。おぬしがなんの価値もないように、あの娘もまたなんの価値もなかった。それだけのことじゃ」


 なぜだか無性に腹が立った。それを言っていいのは自分だけだ。他人に言われたくはない。

 だが、言い返せなかった。

 子供のころは病気にも負けず、あんなにも頑張っていたのに。現状、いや、生前を思うと、幼いときの自分に申し訳がなかった。


 小説を書こうと思い立ったのは、いったいいつからだっただろうか。

 題材はすでに見つけていた。だから毎日必死になって調べていたのに、どうしても書き上げることができなかった。絶対に面白いものができると確信したテーマだったのに……。


 世界観もキャラクターも決まっていたし、ストーリーにも自信があった。だけど、うまくまとまらなかった。組み立てに失敗していた。

 長らくインプットだけをし続け、アウトプットを怠っていたせいで、自分の稚拙な文章を見ては嫌気がさすの繰り返し。

 気づけば、書き続けてきた連中と大差が開いていた。


「本当に、悔いはないのか?」


 女神はもういちど問うた。


「悔いがないと言えば、嘘になります。でも、戻ったところで自信はない。ただ──やり残したゲームの続きができるというのなら、願ったり叶ったりです。それで率直に申し上げると、ひとつお願いが」


「なんじゃ? 申してみよ」


「試練を達成した暁には、俺の代わりにあの子を生き返らせてあげてください」


「それは無理な相談じゃ」


「目が合ったとき思ったんです。とても悲しそうな瞳をしていた。あの子こそ悔いがあるに違いない。だから、どうか……」


「おぬしはとんでもない阿呆じゃな」


 思わず俺は、拳を握って叫ぶ。


「アホでもバカでも構わない! あの子を救えなかったことこそ、俺の何よりの後悔なんです!」


 すると女神は急に姿勢を正し、唇を緩ませる。


「よかろう、よくぞ言い切った! その願い、わらわが叶えてやろう」


「ああ、女神さま、ありがとうございます!」


 体が自然とひざまずき、こうべを垂れてひれ伏した。


「それではさっそく最初の試練を与えるとしようかの。おぬしには、ラスボス直前で止まってるゲームを消化してもらうぞよ。作り手が血反吐ちへどをはいて生みだした最後のシーンを見ないなんてあんまりじゃ」


「滅相もございません」


 なんだかとても、胸にチクリとくる言葉だった。


「タイムリミットは一日じゃ」


「え、たったのそれだけですか? とても全部は終わるわけが」


「安心せい、わらわが抜き出したものだけじゃ。女神も暇ではないのだ」


「ほっ」


 どうせ自分も早くゲームしたいんだろうな、と思った。


「では参るぞ」


 女神は台帳をめくりながら、片手をこちらに向け、つぶやき始める。


「えーなになに、こんなにも残しておるのか。とにかくひとつめじゃ。今年度発売の日本語版『デモニック・キャステラン』、標準価格、税込み8,519円──」


「急に事務的になるな!」


「のところ、ウィンターセールの三割引で5,963円──」

「細かすぎる!」


「英語版でやればもっと安かったのに」

「やかましいわ!」


「それでは、サキュバスで致して満足した時間に時を戻し──」

「くぁwせdrftgyふじこlp」


「最後にえっちなシーンが見れるから、スクショ撮るのを忘れずにな」


「笑顔でネタバレすんなし! てかやってたんかい女神ィィィ!」


 俺は絶叫しながら、女神の生み出した暗黒の渦巻きに飲みこまれていった。

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