十話

「……そうでしたか。忘れていました」

 四キログラムは、赤子の重さだ。人間とは、

子供の頃から何かを背負って生きることを学

び、成長するにつれ、その重さは人によって

異なるのを知るのだろう。俺でいえば両親が

働けぬので、家を背負うようなものだ。

「ところで、百千ももゆき君は、何色のランドセルを

使ってたの?」

「あっ。……黒でした」

「あれ。水色だと思った」と彼が微笑み、机

上の歯ブラシを指差す。よく気が付く人だ。

米倉よねくら部長が彼を優男とする所以ゆえんかもしれぬ。

「水色って、いいよね。かつてのフランス王

妃が愛した色らしいよ。平和を求める感じが

する。あの王妃はフランスのために、生涯を

捧げたんだよね。知ってた? 王妃は生活を

公開していたんだって。寝姿や、出産も。尊

敬するよ」

 成城せいじょうさんは前髪を掻き上げ、「こんな感じ」

と言う。王妃を引き合いに出すとは博識だ。

「……はい。王妃を詳しく存じ上げませんが、

好きな色が同じというのは、嬉しいです。自

分も調べて、学んでおきます」

 俺は言葉に留意し、人には丁寧に接したい。

「何だか、正直だね。水色が好きな人に、悪

い人はいない気がする。空と海の色だもん。

おれは冬に青いニットを着るのが好き。どう

しても無彩色の景色になるから、明かるい色

を着る。気持ちが弾むもん」

「ああ……。わかります」

 冬の晴天もよい。青いニットはそれを知ら

せるのだろう。彼とは話が合いそうだ。

「にこにこ顔して。嬉しそうだね。それが、

きみのよさだよ」

「はっ、はい。ありがとうございます」

「ちなみに、おれも黒いランドセルだった。

商店街って保守的な考えなんだ。それで男子

は黒だと決まっていたみたい。でも、おれは

自分で選ばなくてよかったかも。好きな色は

一つではないし、気分で変わるもん」

「はい」

 含蓄のある言葉だ。曲解かもしれないが、

い人は複数存在するとあんに匂わせた。彼は

美しく、そして恣意しい的なので人を引き付ける。

人気者だろうと思っていたが、気掛かりであ

る。慌てふためく事態にならねばよいと、願

うしかない。

 俺は男子の体故に、推察できる面はあるけ

れども、人それぞれだ。相手を仮初めにしな

ければよし。又、行儀よすぎても交渉は成立

しない。はて、そう言えば俺が使い古したラ

ンドセルは、どこかに保管してあるのだろう

か。まるでの日別れた人のように、確認し

ない方がよい気はする。

「おれは、男子が水色や桃色のランドセルで

も、構わない。黒にしなくていいと思う。女

子も黒を選びたいかもしれないし、性別に囚

われぬことでお友だちの好きな色もわかる」

「共感します」

 俺の好きな色を知った上で、話を合わせよ

うと模索を続けるのが見て取れる。営業担当

だなと実感しつつ、優しさが伝わる。彼はよ

い人なのだ。是非、語り明かしたいものであ

る。

 俺は人間を男女と分けずに、ジェンダー平

等でありたいと考えているので、ランドセル

に関しても『男子は黒』の傾向に着目する。

生前の祖母も、俺に黒いランドセルを勧めた

からだ。頷きつつも水色のそれを眺め、これ

は謂れがあると思い、図書館で調べて夏休み

の自由研究にしたのを覚えている。色とは、

平安時代まで遡るものであった。位が高い男

子は黒を着た。女子の袴の色は赤である。こ

の赤とは紅花が出す色で、高価であった。故

に互いが上質なものを着たと推測されるが、

男女の区別ではない。源義経の鎧は赤なのだ。

 色が自由ではなくなったのは江戸時代だ。

 幕府から贅沢を禁じる命令が発せられ、高

価な赤は庶民のものではなくなり、禁色きんじきとさ

れた。その赤を着られるのは、上位に立つ者

で、身分の高い者と庶民の差が明確になった。

外国の歴史をひもといても、中世のフランスでは

権力のある方が赤を着たと、記録が残されて

いたのだ。

 現代にも通じる身分での差別とは、歴史あ

り。一方で、立派に成長し、よい身分を得る

ように願いを込めて、黒と赤を選び、男女そ

れぞれに分けたとしたら、頷ける。しかし今

は多様性の時代で、俺は赤に思い出がある。

――俺は小学六年生の時に、禁色きんじきで失敗した。

 公園の桜紅葉さくらもみじを眺めていたら、不意にラン

ドセルのベルトが破れてしまい、修理に出し

た。その際に代替品を借り忘れ、む無く赤

い鞄を提げて登校したら『ずるい』と級友に

文句を言われて、はたと気が付いた。誰しも

重いランドセルを背負いたくないのだ。

 担任に事情を話し、皆にも内情を打ち明け

たが、『そんなことで破れるもんか』と、誰

も信じてくれなかった。疑いを晴らすことが

できず、席へ戻ると、机上に落書きがされて

いた。『男子のくせに赤いかばんを使うな』

と、見慣れた筆跡で、誰の仕業かわかった。

いつも仲よくしていた女子だった。彼女は赤

が好きで、タオルハンカチも赤にこだわって

いたのだ。迂闊うかつだった。俺はたまたまくじ引き

で貰った赤い鞄があるとさえ話しておらず、

陰でこそこそ赤い鞄を買っていたとの指摘に

混乱し、話すのを躊躇した儘で給食の時間に

コッペパンを食べようとしたら、中にフォー

クが仕込んであった。仰天すると、皆が注目

し、くすくす笑うので、俺は委縮した。漸く

苛められていると自覚した。

 俺は、ランドセルを修理に出したことを悔

やんだ。ぼろぼろでも背負うべきであった。

修理には一週間掛かると聞いていたので、後

四日の辛抱と思い、翌日は父親の黒い鞄を借

りて登校した。さりとて、誰も挨拶をしてく

れなかった。『あいつ、今日も』と全員に嫌

われたのである。交歓の輪に入れず、無視さ

れた俺は、俯いて席に座り続けた。そして、

皆が連れ立って家路につくのを見ながら、一

人で歩いた。級友が振り返り、俺を見て笑っ

た。物哀れな俺を嘲ることで、優位に立つの

を物語り、凝然ぎょうぜんとした。ただただ涙が滲んだ。

後三日と思いつつ、ランドセルは直っても、

周りは元通りにならない気がした。何をすれ

ばよかったのであろう。鞄は黒なのにと、言え

なかった。しかし、『羽立うた君……』と声を

掛けてくれた子がいた。俺と同じ背丈の青木

君だ。彼は遠足で迷子になり、班長の俺が探

したのを覚えていてくれて、『羽立うた君に迷

子のつらさを知らせたくない。今度は僕が助

ける』と、手を繋いで下校してくれたのだ。

俺と関わることで、彼も除け者とされるであ

ろうに、勇敢であった。

羽立うた君。皆は力が有り余っているんだ』

 俺は生活に不安を覚えたが故に、思考が停

止していた。青木君は、ランドセルの代替品

を借りに行こうと促してくれて、お店へ付き

添ってくれたのだ。

『青木君。ありがとう……』

 俺は零れた涙が唇を濡らしたあの日、意識

して空を見上げた。月は少し雲がかかってい

ても美しいと知った。人生には多少の困難が

用意されているのだろう。でも、慌てずにい

れば、救いの手は差し伸べられるのだ。今で

も青木君に恩を感じ、彼のように人の力にな

りたいと思う。

 彼との友情を支えに社会で羽ばたく。だが、

胸に手を当ててしまう。だが、

胸に手を当ててしまう。朧朧ろうろうは真の友ととも

にあったのだ。心力しんりょくの危機は、空の色を見れ

ば立ち直れる。しかし耳鳴りがして、思わず

目をつぶり、己で勝手に壁を作ってしまう。す

ると、隣りの席からくすくすと笑う声が聞こ

えた。それは生彩を失った声質であった。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る