九話

「本人の前でも言わせて貰おう。きみのパー

トナーである成城せいじょう君は、闇夜やみよに遊ぶと懸念す

る。何せ優男。天地自然を愛すべきところを、

妄想相手に野球を挑みそうだ。私は不安を隠

せない。……まあ、始まったばかりだ。欠点

を補い、支える相手になればよし。そもそも

パートナーは不変と思わず、一日を大事にし

なさい」

「はいっ」

 上司は理想の父親像である。さりとて成城せいじょう

さんがおしゃべりなのは、自分に自信がある

訳ではないと感じている。社会で活躍するた

めに、たぶん、彼も味方を探している。故に

誰かに話掛けないと、落ち着かないのだろう。

不安を隠すために、あえて活動し、心を守る

人はいるのだ。

……俺の父親は蛮行に走り、社会との繋がり

を失くした。我が家は前途に白雲が塞がって

いる。しかし、俺は社会へ羽ばたけたので、

行動することだ。一つの成功体験が、次の大

きな挑戦の糧になる。これは天のお導きかも

しれない。生活に絶望せず、時機を待つ。快

晴になるのを信じて、業務へ向き合う。


「それにしても、我が社は新卒採用にあたり、

容姿を重視しておるのかな。絢爛けんらん桜花おうか』と

評す。実に贅沢な空間だと感じている。それ

ぞれ愛されて育ったであろう。これからは、

人はもちろん、ものを大事に扱うことだ。ど

ちらも宝珠の如しと学んでほしい。先ずは、

自分にできることを見付けてゆきなさい」

 上司のお言葉を重く受け止めよう。何せ俺

は、営業部で使える販売士検定三級も持って

おらず、日本語検定は勉強中だ。使えるもの

がなく、人より劣るのだ。でも、できること

を増やすのが居場所を守る術だと心得た。

「若き戦力よ。仲間を愛することも忘れない

でくれたまえ。愛がない事業に成功はない。

そして、社員であれば野望は抱くだろうな。

部下が育つのは楽しみだ。栄光を掴むには、

明かるい気持ちが要る。肝に銘じて、人生と

いう道を進んで貰いたい」

「はい」

 はてさて、道とは難しいことを仰るものだ。

 考えることは多いし『野望』と出世を指し

ておられた。事務職でも幹部へ昇進できるの

かなと意外に感じたが、希望を持つことにし

よう。

 指導者は、一貫した思想があるようだ。

『愛がない事業に成功はない』とは、上司の

感性が素晴らしい。さりとて皆がよく喋るし、

上司は弁が立つ。俺はややこしい会社に拾っ

て貰えたのは理解した。社会は楽しくないか

もしれないが、負けじと今日を生きてみよう。



    ♢


 行く手に希望の朝日は輝くが、尾骨が痒い。

 昨日も人に揉まれたので念入りに入浴した

のだが、ほぼ八時間座る業務に慣れないせいだ

ろう。自室でクッションの気持ちよさに浸ろ

うとしても、ふと腰を捻る有様である。

 人間は先の先まではわからぬものと理解し、

本日も世のために汗すると思えばよさそうだ。

 自分は正しいと思い込まぬのが基本である。

 和室へ入り、静けさを守る仏壇へ合掌する。

 遠くで見守ってくれる祖母に、よい報告が

したいものだと思いつつ、窓を開けた。そし

てポストから新聞を取り出し、台所へ置き、

両親のために、さくらんぼうを冷やしてある

ので、『食べてね』と書いた付箋ふせんを冷蔵庫に

貼る。「よし」と一人ごつ。出勤すべく支度

を整え、「行って来ます……」と閉ざされた

儘の扉へ挨拶するが、反応はない。両親の起

床時間はとみに遅くなった。『お早う』と挨拶

してくれた日常を取り戻すには、俺が頑張っ

ている姿を見せるしかない。

 行く先がある俺は恵まれているのだ。両親

にも行動する目的があるとよい。新聞のよう

に、室内という容れ物の中で苦しそうに息を

つく両親を、俺が連れ出せたらよいのだが、

行く先が病院しか思い付かない。思考が停止

する。


――午前の業務を終えて昼休みとなり、近く

のコンビニへ向かう。トマトのサンドイッチ

と水色の歯ブラシを買い、エコバッグに入れ

る。俺は水色のものが好きだ。特に歯ブラシ

は水色だと、清潔感を覚えて、他の色より汚

れを落としてくれる気がするし、身近に空の

色があるのは心強いのだ。

 帰社すると席へ戻る。俺は休憩時間も自分

の席で過ごす。他の人は別室で休んでいるの

で、部署には俺と鶴田課長しかおらず、上司

に話掛けることもなく、孤食である。一人で

も平気な振りをして、受注データを確認する

と、紙袋の注文が増加の一途を辿る。これは

贈答品が売れていると読むか。はて、四月に

お祝い事はと考え込む。入社式かなと思い巡

らすと、足音が近付くので顔を上げた。

「あれ。百千ももゆき君。休憩時間なんだから、仕事

をしなくていいんだよ」

成城せいじょうさん。お疲れ様です」

 座した儘だが頭を下げる。そのような俺に

「お疲れ様」と、彼が笑む。

「きみは丁寧だね。ところで、何を調べてい

たの? あっ、紙袋か。取引先ではランドセ

ルの販売が始まったからね。それを入れるん

だな。レジ袋では小さいもん」

 今は四月である。小学校の入学式はうに

過ぎたと思い、返事に窮して顎に指を当てる

と、「来年用だよ」と言われて仰天した。

「販売開始を前倒しにしたんだって。永井主

任から聞いた話では、例年はお盆に合わせて

売り場を作るそうだよ。その時期には意味が

ある。孫が帰省するよね。かわいい孫の入学

祝いに、御祖父さんが買うんだって。少しわ

かるな。ランドセルは高価だもん。しかし、

春から売るのは目新しい感覚がして、おもし

ろいよね」

「……はい」

成城せいじょうさんは業務を楽しむ様子で素敵と思う。

 さりとて、俺はランドセルに別段関心を寄

せぬので、余所の話に聞こえる。まごつくと、

彼は伸びをして「高価といっても、携帯電話

よりは安い。あれ。ぴんと来ない感じ。無理

もないか。お互い独身だもんね」と腰を捻る。

「様々あって。馬の革なら五万円。専門の業

者さんが作ったものなら、七万円から」

 何と、値が張る印象だ。

「我々が担当する店舗では、牛革の六万円台

が売れ筋と聞いた。でも、それは十二色展開

で<さくら>とか、<チェリー>って、微妙

な色の違いもあるし、どの色が人気を集める

かは蓋を開けてみないとわからない。そうそ

う、SNSを駆使して宣伝するらしいよ。実

物を確かめに来店する家族連れは増えるだろ

うな」

「はい。……売れそうです」

 SNSが台頭たいとうするこの時代では、最新の情

報を提供した側が優位に立つ印象だ。春にラ

ンドセルの広告とは、さぞや新鮮だろう。それ

に一足先に購入した人が情報を拡散すれば、

フォロワーがこぞって同じ色を買い求めるの

は必至。人気とは計画するものかなと思う。

「ランドセルはメーカーから一括仕入れで、

売り切れ御免なんだって。十二色が三つずつ。

場所を取るよね。直ぐにお中元の特設をする

みたいだから、売って減らせば作業が減る」

「はい……」

 成城せいじょうさんの言うことは尤もだが、事務職の

俺は視点を変えてみる。一括仕入れとは安く

買い上げることで、返品はできない。それに

ランドセルの在庫金額は、他の商品を仕入れ

る際に影響が出る。原価まではわからぬが、

およそ二百万円では、人気のある服飾品を仕入

れたくても、在庫金額を見た本部が発注を止

める可能性があるのだ。故にランドセルを一

つでも早く売り、在庫金額を減らして売れ筋

の服飾品を入荷させる日々だと思う。店員さ

んは毎日緊張することだろう。しかし、接客

をして商品が売れると弾みがつく。俺は豆腐

や日本茶を販売した経験から旗色を想像する。

百千ももゆき君。電卓で何を計算したの? そう言

えばランドセルって、教科書やタブレットを

入れるから、四キログラムの重さになるって」

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