七話

 戦力として期待される者が会社で生き残る。

 それは挽回できぬ父親から学べたことだ。

 父親は高卒の会社員であった。現役を退く

前は『資格を取得して自信を強める』と、意

気込みを話してくれた。人生を再生する気概

を見せていたのである。俺は父親のために必

要な本を集めたり、差し入れの御握りを作っ

たものだ。そもそも父親と俺の関係はややこ

しく、『子供は父親へ献身的でありなさい』

と教育され、徹底的に家事全般を仕込まれた

のだ。故に俺は父親へ意見したことは一度も

ない。むしろ父親の話が聞けるから、よいと

思った。俺は父親を支えた。『この字が読め

ない』と言われたら、そばで教えた。さりと

て勤務しながらの勉学は、儘ならぬ様子では

あった。間が悪いことに、後から入社した大

卒の若者が出世した。父親は『もっと活躍し

たい』と愚痴を溢すようになった。鬱憤が勤

務中に表われ、あろうことか高卒の女子社員

を呼び付けて倉庫からコピー用紙を運ばせ、

有り得べからざることに、彼女のおやつも失

敬したという。その経緯は当の本人から聞い

たが故に当時の俺は胸が躍った。自ら女子社

員へお詫びしたい気持ちでいっぱいになった。

 翌朝、父親は女子社員へ謝罪したが、依然

として社内はもやもやとした空気であったと

聞き、俺は菓子折りを持たせるべきだと気付

いた。これは父親一人の問題ではない。家族

一丸となって解決すべきなのに、機転がきか

ぬ己を恥じた。俺は直ちに行動した。満月が

浮かぶ夜道を自転車で進み、量販店で菓子折

りを購入して、覇気絶ゆ父親に手渡した。

『明日、持って行って。……心から謝って』

 小さな心掛け一つが大事なのだ。社内から

の問いの元を辿ることだ。さりとて、この事

案は上司の耳に入り、厄介とされ、安泰に過

ごせなくなった。父親は社内に相談できる相

手がおらず、孤立した。憔悴しょうすいし、社内をぶら

ぶら歩いて転び、打ち所が悪く前歯を折って

しまい、『体調管理もできない』として再考

を余儀無くされた。崖っぷちを悟った父親は、

歯の治療を理由に辞職したのだ。

 今や父親は見る影もない。過ぎたことだが、

人生を再生するには私憤を押さえることや、

周りへの気配りなくしては叶わぬのである。

勤務する以上はのらりくらりでいられない。

 俺が味方を作ろうと決めたのは、父親の失

敗を知ったからに他ならない。優しい心根こころね

人を見付け、励まし合いながら勤務して、居

場所を得るのだ。この世界に必要とされるに

は、応援して下さる人がいなければと思う。

もちろん、俺には相手を知る努力が必要だ。

 俺は性別を記入せざるを得ない場合は男子

なので、同性には支え合うように厚い友情を

育みたいと思っている。父親の影響は大きい

ので親愛の情を持ち、仁愛を忘失せずにいた

いのだ。しかし、相手に『友人になって下さ

い』で通じるのだろうかと、そわそわする。

 俺は、友人となるには会話を重ねる努力が

必要な気もする。胸に咲く筈の花はまだ蕾で

あり、時節到来を待つ昨今である。花咲く春

に、よき友人のためにお茶を淹れて、深く語

り合いたいものだ。



百千ももゆき君。ぼんやりして、どうしたの」

 成城せいじょうさんがそばにいるのを忘れていた。

「……すみません。業務は気が抜けないもの

なのに、失態です。反省して頑張ります」

 俺は努めて笑みを浮かべ、成城せいじょうさんに向き

合おうとしたが、清香せいかさんの揺るぎない視線

に威圧感を覚える。こちらにも失礼をしてし

まった。文字がのたうつような書き振りによ

る命令に従わず、面目めんぼくない。早急さっきゅうにお怒りを

鎮めるのだ。

清香せいかさん。我々がやかましくてすみません」

「なんですって」

 十八歳の女子が険しい顔をするとは、初見

である。冷ややかな態度に対し、御機嫌を取

らねばと、気が逸る。

 俺は今まで、乙女とは雪の如く清らかに輝

き、花のように美しいものと思っていた。彼

女のことも、初見で百合の花と称賛したかっ

たが、おこがましいとして黙したのである。

誰もが褒めそやす小町娘が、まさかの渋面を

するとは、俺のことが嫌いかもしれぬ。ろく

会話をしていないのに、そのような仕打ちと

無体むたいだ。それとも、可憐な女子を怖がる俺

こそ疲れているのだろうか。自分を見失いそ

うだ。睡眠をしっかり取って、後悔なく生き

たい。そこで、座した儘で椅子を回転させ、

成城せいじょうさんへ向き直る。


「……成城せいじょうさん。自分はそろそろ受注のデー

タを確認します」

 彼を見上げながら両手を膝に置き、『離れ

るように』と然り気なく話した。

「うん。わかった。頑張って。おれがここで

見ていてあげよう」

 予想外の返事に驚愕きょうがくする。あっぷあっぷの

状態という俺に構わず、すこぶるご機嫌な彼は中

腰になり、パソコンを覗き込む。どうやら手

が空いている様子だ。俺は小手回しがきかぬ。

「あの、あの……」と机に話掛け、悪戦した

ら、又しても床を踏む音が聞こえた。俊敏を

もって鳴る人とは思いもしなかった。

「こちたき私語。成城せいじょう君。少し黙って。百千ももゆき

君がデータを確認すると言ったでしょう。彼

の業務が滞ると、あたしが手伝う羽目になる

のよ。仕事を増やさないで。あなたも職務

の気概を見せた方がいいわよ。一体、そこで

何がしたいのよ」

「なんで清香せいかさんが怒ってるの」

 成城せいじょうさんは上体を伸ばして清香せいかさんへ顔を

向け、ふらついて爪先を床に突く。そのしな

やかな足に指をくわえる俺である。はて、お叱

りを受けたと思い出し、思慮に富んだ清香せいか

んを見詰める。そして成城せいじょうさんを見上げる。

 おやおや、日月にちげつ並んで天地あめつちを照らす奇跡だ。

 気持ちが華やぐ。美々しい二人を遠慮なく

拝めて、同期万歳である。先の会社を辞退し

てよかった。人間万事塞翁さいおうが馬である。

百千ももゆき君はどうして喜んでいるのよ。あたし

付箋ふせんに書いたでしょう」

 乙女に叱られてしおれる。観賞するにも度を

過ぎれば己を苦しめ、戸惑うのであった。

 

 二人の傾向について、己の心と語りたい。

 何故に双方は気が強いのであろうか。特に

清香せいかさんは年上の成城せいじょうさんを君付くんづけだ。しか

し、同じ年である彼を慕い『成城せいじょうさん』と呼

ぶ俺に言えたことではない。我々はややこし

い。挟まれた俺が折れるしかないようだ。そ

れにつけても、今を生きる乙女の姿をかいま

見る思いがした。尋常ではない怒りはさて置き、

業務へ真剣に取り組んでいるのが伝わる。女

子の社会進出は目覚ましく、管理職を担う人

も増加傾向にあると聞く。幹部には長期出張

が付き物で女子には重責とする向きであった

が、今は遠方ともリモートで商談が可能なの

で、性別を問わずに皆で挑戦するのだ。

 俺は性別を問わずに素質のある者が活躍す

べきと思うし、性差なしをよしと思う。もち

ろん相手を敬うことが大事だ。そして自分は

第三の性であるため、平等を望むのである。

百千ももゆき君。のんびりしないでよ」

 年下の女子が怒髪天どはつてんを衝く。なんて怖い子

だろう。心が栄養失調ではないだろうか。果

たして仲よくなれるのか。味方になってくれ

るのだろうかと、不安を覚えてしまう。

 赤い唇が夕日影ゆうひかげのようだ。俺はたった一人

になってその光を浴びた少年時代を思い出す。

本日も無事であったと、感謝を伝えたものだ。

今は『お静かにお願いします』が切り出せぬ。

「あれ。百千ももゆき君が無心になってるよ」

 人間とは、思えば思うほどこじれるものらし

い。話が角張かどばるし、おしゃべりな成城せいじょうさんを、

如何に扱えば執り成せるのかと、気が張る。

そう言えば、『世間とは塵や埃を掃けば清々

しくなるもの』と読書で学んでいた。自ら動

いて吉を得るのだ。そこで、「御手柔らかに。

あの。お茶を淹れましょうか」と、座した儘

で彼に聞いてみる。図らずも彼の出方を占う

ことになってしまった。

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