五話

――俺の入社日である三月三日。朝礼に参加

し、緊張しながら全社員の前で『宜しくお願

いします』と挨拶をした。暖かい拍手で迎え

て貰い、俺は早起きして月光を仰ぎ、心身を

清めてよかったと静かに息をしたら、社長が

新人の華々しい活躍を褒めた。再び皆が手を

叩き、一人の男子が右手を上げた。彼の端正

さに初見で引き付けられた俺は、『成城頼せいじょうらい

と、名前を覚えた。そして、部署にて鶴田つるた

長から、彼と業務上でパートナーになること

を指示された。意外や意外、新入社員同士で

組むのかと驚きつつも、光栄に思い、姿勢を

正すと、上司に促される儘に自己紹介をした。

しかし、初対面故にぎこちない俺であった。

自分より先に出世しそうな彼を直視して、何

も持たぬ己が恥ずかしくなったのである。

 彼が首を捻り、いぶかしんだのを記憶している。

 緊張が続く中、『造作のちまちました顔。

目がぱっちりしている』と、彼が言ってくれ

た。敵意はないと伝わるが、彼は中々名乗ら

ず、何心無なにごころなく向き合う状態であった。

百千ももゆき君。おれはきみを見掛けたことがある

よ。積雪の日に、面接を受けに来ていたよね。

たまたま社屋の三階から見下ろして、哀愁と

いうか色気があるなあって注目したよ。きみ

態々わざわざ困難な道を歩いて来たんだから、採用

されるといいなと眺めて、雪が降り始めたか

ら、きみの姿を見失ったけれども』

 俺は見られているとは気付かなかった。故

に少なからず動揺した。さりとて、彼は一笑

することなく、黒い瞳が動かない。無心

と知り、救われた。あの日、俺は駅を目指し

て歩いたが雪道が難儀で、傘を差せずにいた

せいか、『忘れ物はありませんか』と近づく

春の声を聞いてはいた。俺は当時を思い返し、

『……宜しくお願いします』と一礼した。滑

舌に気を付けたのを、昨日のことのように覚

えている。とても気を使った。彼に嫌われた

くない一心であった。パートナーになるので、

長い付き合いを予見した以上、俺を苦手とさ

れたくない。過失は致命だ。あえて彼のネク

タイを見詰めた。すると、彼は左手で後頭部

を支えるような仕草をした。

『ふうん。同期というよりも、佳客かかくを喜んで

迎えるような心持ちだ。発声もよいんだね。

そうか。営業部へ配属も漸く頷ける。おれの

名は、成城せいじょうです。宜しく』

 俺をお客としたのは、一ヵ月後に入社した

からであろう。迎え入れる側なのだ。照れた

俺を見たのか、『一切の心配をなくしたい』

と、彼は司会役へ早変わりした。

……何故に追加募集で入社したのか。さては

ぽつんと一人だけ修行でもしていたのかと質

問し、あまつさえ事務職が希望だったのか、家が近

くだから我が社へ来たのかと、早口でまくし

立てたのだ。正に答えを先に知りたい時代で

あった。俺は、彼が言い込める性質だと早合

点し、圧倒されていると、『百千ももゆき君はたぶん

青空が似合う。桜より先に咲く可憐な小米桜こごめざくら

を思わせるもん』と、透かさず褒めてくれた。

見事な話術に眼孔がんこうの広さを覚え、魅入ると彼

が笑んだのでときめいた。パートナーになっ

ても、いざこざとならない感じがした。しか

し、俺はスピードに不慣れでありたい。頭で

考えず、心を腰に落として、真っ直ぐ立てば

難なしと捉え、『迅速且つ適切な対応ができ

るように、努力します。でも、個人情報は勘

弁して下さい』と返事をした。家は近くにあ

ると答えれば住所を聞くだろう。それに両親

の職業も聞く可能性があると警戒したのだ。

『そうか。結論を早く求める者は欲心が強い

ということだね。失礼した。俺は、身上しんしょう

持っていないせいか、気遣いがわからなくて。

……きみは白帝城はくていじょうがわかるかな。俺は御膝おひざ

もとである<羽ばたけ下町商店街>育ちなの。

家業が大正元年創業のパン店で<鳩屋の食パ

ン>だ。商店街は遠くの親戚よりも、向こう

三軒両隣りと、人情で成立してる場で』

 彼は誇らしげだが、生憎俺は白帝城はくていじょうは疎か

その商店街を知らなかった。おもんみるに地域へ根

付いた賑やかな場に違いない。育った彼がお

しゃべりだからである。<鳩屋の食パン>と

言った。確かに鳩も雀と一緒に、朝からよく

鳴いている。彼は営業に向いていると思うが、

家業があるのに余所で働くとは、時人じじんに頼ら

ず向上心があるのかと関心を持つと、ふと、

目が合った。俺の身長は百七十五センチで、

父親より背が高い。故に相手と目線が合うの

まれであった。

『何? 気を張り詰めないようにね』

 彼を凝視したことに気付かれ、俺は体の熱

を感じ『はい』と自分のネクタイを整え、咳

払いをした。そして、『これから、あなたの

ことを知ってゆけるので、楽しみなのです』

と、用心に用心を重ねたのである。

『……へえ。綺麗ごとではなさそう』

 彼は優しい人だと思った。理由を聞かぬか

らである。俺は歩幅が似ているなと、これか

ら始まる日々に夢を抱いた。

『新入社員のきみたち。ご縁とは有難いな』

 社友の穏やかな声音は、どこか手離れしな

い子供を見守る印象があり、おろおろしたら、

成城せいじょう君。全く語らぬのもよくないが、長話

は悪と教えよう。人のことよりも、分に応じ

た実力を知るのが大事だよ。さて、百千ももゆき君。

ようこそ、我が社へ』と、米倉よねくら部長からお言

葉を賜り、恐縮した。

 威厳のある上司は、我々を観察していたの

だ。俺は只でさえ人が苦手なのに、社会とい

う見知らぬ世界へ飛び込んだと知った。しか

し光を見た。緊張していたからなのか、虎を

引き連れて龍の背中をよじ登る己が見えたの

だ。夢は大きい方がよい。空を見上げていれ

ば運は上昇するのであろう。一方で咎めを受

けた成城せいじょうさんが気掛かりで、後日、吉乃きつのさん

に子細を尋ねた。旗手によると米倉よねくら部長は挨

拶はされるが、直属の上司ではないので指導

しないという。人とは、距離を置くらしい。

しかし、目立つ言動をする成城せいじょうさんに対して、

『この子は果たして大丈夫なのか。社員とし

て使えるのか』と不安を覚え、声を掛けたの

ではないかとの読みであった。でも、成城せいじょう

んは驚いたことであろう。社長が太鼓判を押し

ても新入社員には違いない。米倉よねくら部長から

指導して頂いたので感謝すべきだが、彼はしょう

然とし、よろめいたからだ。上司を苦手とす

るなんて、複雑怪奇である。嫌われそうだ。

しかし吉乃きつのさん曰く、成城せいじょうさんに愛嬌がある

のは救いらしい。俺も戸惑わず、焦らずにだ

なと思い直し、ふと、社内を見回す。何と、

隣りの席に成城せいじょうさんが勝手に座っていたし、

「おれに用事はない?」と俺を凝視するので、

返事に窮したら、「成城せいじょう。社内をぶらりと歩

くな。亀の如く心を落ち着けろ」と声がした。

「はい」

 永井主任の指示には従うようだ。さりとて、

成城せいじょうさんは席へ戻らず書棚からカタログを取

り出して捲る。商材を調べていると見た。


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