四話

 配属先は希望が叶えられ、営業部であった。

 しかし『営業担当の補佐をする事務職を任

せる』と通達された。又しても肩透かしだけ

れども、この職を任じた。先回の反省を活か

したのもあるが、我が家は生活が危機に瀕し

ているため、一日たりとも疎かにできぬから

だ。そのような俺の気を引いたのは、お給料

の額だ。人事部曰く、二十二万円を支給する

とのことだ。一般的な事務職の手取りは十八

万円らしくて四万円の差は大きい。一ヵ月分

の食費が賄えると、胸が弾んだ。さりとて、

この額は俺が大卒だからとのことだ。学歴社

会にいささかならず驚かされた。何せ俺の父親は

高卒だからである。自分は、二十二万円を素

直に喜んでよいものかと、後味の悪さを覚え

たのだ。

 学歴社会とは、果たして公正だろうかと疑

義を抱いた。痛み入るとした俺に『人擦れし

たところがない』と、担当者が笑んだ。

 大学は誰でも通える訳ではない。学力はも

ちろん、学費が必要である。俺は私立の文科

系へ進み、入学金だけで二十八万八千円が必

要であった。そして設備費負担を含め、八十

九万三百円という授業料を、実に四年間も納

めたのである。会社員の年収に相当する大金

を己へ投資だ。進学は人生の決断といえよう。

それに服や鞄を準備するため、財産のない我

が家にとってかさんだ印象だ。奨学金も考えた

が返済に困るよりもと、アルバイトをした。

 外界には優秀な成績であっても費用の面で、

質の高い教育を受けられぬ人はいると思う。

故に人間の優劣を学歴で判断するのは、真実

を見落としている気がした。社会で活躍した

い人に公平でありたいので、己に席が与えら

れたのは、不可思議なる智恵の御蔭と、天に

感謝である。


 社屋の窓から見下ろす中庭は、青々として

鮮やかである。商売繁盛を思わせるきらめき

だ。我が社の羽振りのよさには理由がある。

取引先に活気があるからだ。日常生活に欠か

せぬ小売店をはじめ、国民の支持を受けて伸

びゆく大手流通業や、コンビニを展開する総

合商社と取引を締結し、各所へ商材を卸すの

が<元亀げんき商事>の業務内容である。

 商材の主力は、スーパーやコンビニのレジ

袋だ。聞き齧りだが、レジ袋にスプーンなど

を含めたコンビニの商材は、年間三億円の売

上という。一社員として有難い話だ。しかし

不思議でもある。昨今はプラスチックごみを

減らす動きが顕著で、テレビ番組でも、SD

Gsを取り上げている。レジ袋を有料化の上、

エコバッグの利用が国民に呼び掛けられたの

は、記憶に新しい。さりとて、大事なことは

言い続けないと効果がないようだ。コンビニ

で二円のレジ袋を買う人を、俺は見掛ける。

奇しくも、その人たちの御蔭で、我が社も活

気がある様子だ。売り気でゆくのが読める。

だが、大きさによるけれども、卸値が一円四

十銭のレジ袋をお店が二円で売るのは、決し

て利益にならぬ。現状は経費である。

 俺は偏った思想かもしれぬが、プラスチッ

ク原料の製品を造ることで、生計を立てる人

もいることを忘れてはならないと思う。もち

ろん、美しい海を取り戻したいとも願う。そ

れ故に、持続可能な開発目標とは難しいと考

えている。

 我が社は『産業と技術革新の基盤を作る』

と、見える形で変化を知らせようと試みてい

る。プラスチック資源循環促進法に基き、植

物由来の原料を、二十五パーセント使用した

スプーンを開発したのだ。従来のものより、

二センチ短い十六・五センチである。この千

本入り一袋の卸値を、一千九十五円に押さえ

たと聞く。しかし改良前の卸値を知らぬ俺は

混乱したものだ。それに問題点がある。この

スプーンは、土に還ることができないのだ。

自治体にもよるが、全般的に焼却処分となる

ので、地球の温暖化対策に貢献できない。エ

ネルギー価格も高騰している。元よりプラス

チックを燃やすと、有毒ガスが発生するので、

人への被害も避けるべきだ。

 憂憤ゆうふん遣る方ない昨今だ。地球に優しく。そ

して、製造する側の生活も守る姿勢を示すに

は、歩み寄りだと思う。遣り過ぎは禁物であ

る。全く以てややこしいのだ。

 時代に沿うのは大変である。何でもごみへ

化すと考えては窮屈だ。しかし、我意は出さ

ない。水の流れに乗じて泳げば、難なしなの

で、俺はそのように努める。それは、のべた

ら会議ばかりしている会社で、生き残るため

である。未だ前後の見通しはきかぬが、勝機

を見出したい。たぶん、会社員なら皆が熟考

するだろう。その中で競合他社より先に出る

べく選抜されたのが、営業担当である。


「へえ。スーパーでは春にお中元の予約を始

めて、九月にはお節かあ。一年が早い」

成城せいじょう。商社は季節先取り。お店より先に準

備するんだよ」

 

 俺のパートナーである営業担当の成城せいじょうさん

は、入社日から永井ながい主任に同行し、取引先へ

紹介されたと聞く。上司が先を急いだ様子で

あるが、彼は容姿端麗なので、先方に好印象

を与え、持ち前の我儘さも『元気でよい』と

お褒めに預かったそうだ。何でも、そつがな

い彼は倉庫から持ち出した包装紙を提示して

『抜群のセンスだ』と喜ばれ、商談が纏まり、

初陣を飾ったという。この報告を受けた社長

は『好機を捉える男子だ。私が太鼓判を押す

ぞ』と、新人なのに単独での営業活動が認め

られたのだ。名を上げた彼は、言わば期待の

星である。

 俺の推察だが、予定にない商材を提示した

ことにより、相手の意表を衝き、売れたので

あろう。俺には難しいと感じることが、彼に

はできたのである。たぶん、永井主任の采配

を見て懐手にせず、斬り込んだと思う。直覚

的だ。

 会議を続ける上司は気付いていない。人間

は待てない生きものへ変化したのである。そ

れは手軽さの弊害だと思う。配信の音楽は、

さわりを探して聴くらしく、映画も結末を先

に知りたがる。兎に角急いでいる印象だ。私

見だが、楽しいことだけ欲して退屈に苛立ち

を覚え、これ以上何も待てない人は多いだろ

う。深夜でもSNSで不平不満を呟くうちに、

昼夜逆転し、出勤できない人もいる。<概日

睡眠覚醒リズム障害>という病で、早さは一

つの社会現象を生じたのだ。俺の母親も不眠

を訴えたので、若しやと思い、自分なりに調

べてある。この病の原因は、興奮状態が続い

ているからだ。しかし奇妙なことに、不眠だ

からと病院へ行き、原因よりも診断結果を知

りたがるのが、患者の特徴であるという。

 何かと早さを求め、急がせる時代だ。先手

を打つ者が勝つのなら、遅れて来た俺は、矢

張引け目を感じる。

 ふと、お茶を飲む成城せいじょうさんを見遣る。英知

ある彼を知ったのは、もちろん入社してから

だ。

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