晩春、新緑、燻り風
新学期が始まって一ヶ月が経った。二年生というのは初っ端からなかなか忙しく、まず部活と委員会が忙しくなった。どちらも中枢学年が現三年生から現二年生に移行し、委員会はまだまだ三年生が担う役職が多いのでましだが、部活は部内の事務的な仕事を全て二年生が担うためかなり負担となる。少ないと思っていた学級委員の仕事は他委員会、とりわけ行事の実行委員会との連携が増えて激務と化し、陸上部はブロック長を務めることになった為、練習メニュー作成に競技場予約に新入生勧誘など忙しない日々を余儀なくされた。
陽葵とは席が前後なこともあってそれなりに話すようになった。少し驚いたのは、陽葵が学級委員に立候補したことだ。なんとなく、頼られることが多い印象を持っていたので、自分から積極的に仕事を引き受けている姿を意外に感じた。しかし、僕は新学期が始まってから日々の疲れからか朝図書室へ行かない日が増え、陽葵とはクラスや仕事以外では特別に会ったり話したりすることは無かった。だから、この前に聞きたかった部活の話の続きや、他にプライベートなことはまだあまり知らない。
「はす!部活行こーぜ」
「ごめん、今日俺の班掃除」
「えーさぼっちゃえよ〜」
「さくら!碧に変なこと言わないの」
「げ、みつせ」
「げってなに!?真面目な碧をさくらの軽薄さで汚さないで!ほら早く行くよ」
「冗談じゃん。じゃあ先行ってるねはす!詩乃ちゃんもばいばい」
「うん。また明日」
”詩乃ちゃん”は背が小さくて綺麗な長い黒髪の
「碧くん、霞くんと仲良いんだね」
珍しく詩乃から話しかけられた。詩乃はとても綺麗な声をしていて、話していると気分が凪ぐような感じだ。
「小学校からの友達なんだ。騒がしいけど、良いやつでしょ」
「うん。それに、面白い」
「はは、そう思ってもらえてるなら霞もうれしいと思う。霞、結構人見知りなんだけど、詩乃仲良くなるの早いね」
「最初はあんまり喋らなかったんだけど、霞くん休み時間の度に碧くんの席に来るから。あと、私も人見知りだから似てるのかもしれない」
「詩乃、なんかいいことでもあったの?」
「え、どうして?」
「なんか嬉しそうだし、たくさん話すの珍しいなって」
詩乃はみるみる顔を赤くして、手で顔を覆って言った。
「そんなに、顔に出てた?」
「え……」
あ、もしかして、霞か?
「え、霞のこと好きなの?」
「いや、まだそんな、好きとかは分からないよ」
”まだ”ってもう間もなくじゃん。霞と同じように人見知りが強い詩乃はよくクールといった印象を持たれがちだが、この分かりやすさを皆が知ったらなんて言うだろうか。健気で可愛い彼女を応援したい気持ちはあった。しかし一つ問題がある。三犀だ。三犀は恐らく霞のことが好きだ。恐らくというか、僕から見たら明らかに。それとなく本人に聞いてみても本人自身で気づいていないふりをしているような感触で、なかなか進展しない。三犀は基本人に頼るよりも自分の力でなんとかしたがる性格から、霞へのアプローチに僕を介するようなことはしない。だから僕の応援する気持ちが特別三犀に傾いている訳では無いが、昔から二人を見てきた手前、三犀たちを応援したい気持ちもある。うわあ、罪な友達だな霞は。
「ごめん、遅くなった」
職員室に用事があった陽葵が遅れて掃除に来た。といっても、もう殆ど終わってしまっている。
「もしかしてもうすぐ終わるところ?ごめん、明日は私が多く机運ぶね」
「大丈夫だよ。ひな、今日一緒に帰る?」
「あー、ごめん!今日さ、槌浦先生に頼まれごとあって学級委員の仕事やらなきゃいけないの」
「碧くん部活みたいだけど、一人で大丈夫?」
「うん、平気。ありがとうね。」
あれ、槌浦先生からそんなこと言われてない気がする。陽葵にだけ言われてたのかもしれない。
「ごめん今日仕事あったっけ?忘れてた。手伝うよ」
「大丈夫。あお部活あるでしょ?部活終わって、まだ片付いてなかったら手伝って欲しい」
「え、そういう訳にも……」
「本当に大丈夫。部活終わったら連絡して」
「そう?分かった」
押し切られてしまった。部活でも新入生に教えることがあるのでそちらの方が助かりはするが。
部活が終わり、時刻は十七時半を回っている。太陽は傾いているが、最近随分日が伸びたのでこれでも時刻に対しては明るく感じる。
「はす帰ろー」
「悪い、今日学級委員の仕事あってちょっと陽葵手伝ってから帰るんだ。また明日な」
「そうなのか。分かった!頑張ってなー」
陽葵の方はどのくらいだろう。あれから二時間ほどたっているが、さっきの口ぶりだと僕の部活よりも長引きそうだった。尚更悪いことしたな。
『お疲れ〜。部活終わったよ』
『わかった、お疲れさま。校門行くから待ってて』
『あれ?仕事は?もう終わっちゃった?』
既読は付いているが急に返信が来なくなった。どういう状況なんだろうと考えていると、一拍置いて”Good”のスタンプが来た。終わったってことでいいのかな。
「ごめん!お待たせ!」
「大丈夫、こちらこそ手伝えなくてごめんね。ちょうど終わった感じ?」
「あ、そのことなんだけど。ごめん、仕事があるって嘘なの」
「え、そうなの?」
「騙すようなことしてごめんね」
「いや、大丈夫だけど、どうして?」
「その、一緒に帰りたくて」
「そうだったの!?言ってくれたら良かったのに!」
「いや、その」と口篭る彼女はいつもより小さく見える。
「私、あおと初めて会って一ヶ月くらい経つのに仕事以外であんまり話さないなって思って。せっかく春休みに知り合えて同じクラスになれたからもっと話したいと思ってるんだけど」
「本当に?俺も話したかったから、そう言ってくれて嬉しい。あ、でも詩乃と帰らなくて平気だった?」
「詩乃にはあの後連絡したよ」
陽葵には初めて会った時からなんとなく話しやすい気がしてたから、陽葵がどんな人でどんなことを考えてるのか知りたいと思っていた。まさか話したいと思ってくれてるとは予想していなかったが、素直に嬉しい。
いつだか歩いた土手を再び辿った。一ヶ月前の出来事なのに、忙しなく巡ったこの春はなんだか昨日のことのようにも昔のことようにも思える。
あの時咲き誇っていた桜は葉桜に姿を変え、芽吹いた新緑を通過した風が僕の鼻骨を撫でる。立夏の薫風が、春の終わりを香らせていた。
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