春雲、花筏
「おい碧、今の……」
「ああ、さっきの小さい子が詩乃ちゃんなんだっけ?噂聞いたことあったけど、確かに可愛い子だね。良かったじゃん、同じクラスになれて」
「いやそうじゃなくて、いやそれはもちろんそうなんだけど。今碧が話してた子誰だよ、めっちゃ可愛いじゃん」
「陽葵のこと?この前友達になったんだ」
おいおい、と紀田が顔を手で覆う。
「なんだよ碧言ってくれよ、あんな可愛い子知ってるならさあ。」
「なんでお前に報告しなきゃいけないんだ」
「俺のデータに穴が空くだろ!?しかもお前、結構親しそうだったじゃん。新学期始まって早々抜け駆けかよ、全くやれやれ」
一歩引いた目で見てしまうと紀田の言動は大変気持ち悪いが、男子高校生ならばむしろ正常な思考なのかもしれない。正常なんだろうと理解できるからこそ、僕は自分の胸のあたりにある霧の正体が全くもって分からなかった。
「はい、ホームルーム始めるよ」
槌浦先生が呼びかけて、各々席に着いた。陽葵は僕のひとつ前の席だった。
「はい、おはよう。物理は2年生から習うから、去年僕のクラスか部活だった人以外は大体初めましてだと思います。
今日は始業式なので先生はスーツを着ている。骨格や胸板の厚さから体育の先生のようにしか見えない。サッカー部と言われて辻褄が合った。たかたまや取江はサッカー部なので、槌浦先生の話は時々聞いていた。この学校は槌浦先生のように主要教科かつ部活を担当している先生の負担を減らすため、どの部活も原則主顧問が2人或いは3人での体制を取っている。さらに加えて副顧問や合宿・遠征・試合時の臨時付き添い教員などがいる。そのため、顧問を掛け持ちしている先生も少なくない。実は槌浦先生は軽音部の副顧問も担当しており、名前は去年の春過ぎの時点で知っていた。しかし、ただでさえ活発でない軽音部な上、基本副顧問は普段の活動に関わらないためちゃんと顔を見たのは今日が初めてだ。出席簿を片手に先生がクラスメイトを読み上げていく。
「呼んだら手挙げてね。えー、
槌浦先生の声は低くて落ち着くような感じだ。出席を聞き流していると段々意識がぼーっとしてきた。
最近、自分について考えることが増えた。本当の自分は何者で、本当はなにがしたいのか。どんな時に楽しくて、どんな時に悲しいのか。こんなこと改めて考えるようなことでも無いって、いつも自分に言い聞かせる。だが言い聞かせて抑えつけるほど、それに反発するもう一人の自分がいるかのように喉の奥の奥に突っかえができ息苦しくなる。その突っかえは僕の本音の発声を妨げ、胸を強く締め付ける。
何かが足らない。友達はいる。これは本当だ。心から友達と呼べる人が僕には何人もいる。優しい家族もいる。有難いことに勉強や部活も十分にさせてもらえる環境でもある。これだけ何もかも揃っているような日々なのに、補い難い不足感が確かにある。欲張りや甘えだと言われてしまえばそれまでだ。しかしこれは僕が見て見ぬふりをしてはいけない心の問題である。どのくらい時間がかかるのか、どのような方法かも分からないが、僕は心の奥に棲まう激力のように渦巻く何かを義務として紐解かなければならない。
「つのせ、蓮葉……。蓮葉、おーい蓮葉」
ぱっと目をあげると半を分体をひねっている陽葵と目が合った。続いて槌浦先生やクラスのみんなが不思議そうにこちらを見ていることに気づいた。くすくす笑うクラスメイトに羞恥が呼応して僕の体は内側の温度を急激に上げた。
「すいません。ぼーっとしてました」
「頼むよ今日から二年生なんだから。まあ休み明けは学校つらいよね。はい次、
優しい先生で助かった。始業式からみんなの前で怒られたんじゃ、恥ずかしくて明日から登校できない。次から気をつけよう。
今日は曇りだ。ときどき晴れ間が見えるが一日どんよりしていて気持ちの良い天気ではない。雲は、地上の人間にどう思われようとも微塵もそれを気にせずに、移ろう。ゆっくり、空をなぞるように。その様子は土手越しの川に見える花筏のようだった。
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