フェイズ3 熱の壁

 地上管制室。

 沈黙に包まれていた部屋にどよめきが広がった。

 降下角度、機体姿勢、速度を記すステータスが微動し始め、続いて絶え間なく動きはじめたのだ。専門的な知識を持つ者なら、それらが意味することがすぐにわかる。

 無人で音信不通の軌道往還機が再突入軌道に入ろうとしていた。


 ──おおとりが動いている。


 誰かが言った。

 応じる声はない。それほど管制室の驚きは大きかった。

 なぜなら、交信回復は絶望的であるとして、最終手段が実行される矢先のことだったからだ。

 最終手段。それは、どの様な状態でも受信可能ならば、受け付ける機能停止信号を発信するというものである。宇宙機にとって「余計なあがきはやめて諦めろ」という死の宣告に等しい。

 すぐさま停止コマンドの送信が中止され、追跡と予想される帰還コースが割り出される。該当した長大な滑走路を持つ宇宙基地へ、緊急着陸準備の連絡が送られた。

 人間にできることは、それですべてだった。

 そして、誰もがモニターを見たまま再び沈黙する。



 CBM705は、まず自機の状態確認から始めた。

 いびつな二等辺三角形のシルエットを持つ機体は、炭素繊維と耐熱セラミックの複合体で、その部品の多くがほぼ一体成形で作られていた。

 機体外装の損傷は、機首にわずかなダメージが認められたものの、現状では無視できる。それより内部に収めれたパルス・ドップラー・レーダーが、乱反射するエコーを拾う程度にしか作動しないことがダメージとしては大きい。さらに、機体各所に張り巡らされたフェイズド・アレイ・レーダー素子、長距離通信用アンテナ類も大半が機能していない。

 電子的な探知や送受信するための機器は、軒並み何らかの被害を受けていた。外部から情報を得ることもできなければ、外部に情報を送ることもできない。

 センサー群は、オールロスと判定するしかなかった。

 これとは対照的に、機体本体の損傷は極めて軽微だった。主翼及び各動翼は、予備の油圧系統も無事で、推進器は予備を含めて正常に稼働している。結線していたフライバイ・ライト・システムを、増殖した菌糸類が修復していたこともある。

 CBM705は、各機器を客観的に監視するための自律制御モードを応用し、航行補助コンピュータとの新たなリンクを確立した。おおとりを完全に制御下に置き、人知れず秒読みを始める。


 3、2、1……実 行アクティベート


 メインノズル噴射2秒。イオンスラスター左下方4番出力60%、右上方1番出力35%で噴射。傾いていた機体を水平に戻し、下がりすぎていた機首を上げる。大気加速は既に始まっているため、動翼は固定したままX、Y、Z各リアクション・ホイールを同期させ姿勢制御を行う。

 おおとりは、地表を下に25度のやや浅い突入角度を取り、機体の安定を取り戻した。機外温度は降下とともに低下していくが、加速により機体表面温度は上昇している。

 これまで多くの降下体や落下物を焼き払ってきた熱の壁が発生しているのだ。

 航空機が音速を超え音の壁を突き破る際、機体自体もすさまじい振動にさらされる。このとき発生するのが衝撃波である。さらに加速すれば、突き破った圧縮された空気との間の温度が上昇していく。温度上昇は加速度に比例しやがては摂氏1000度を超え、ジュラルミンなどの金属を溶解させるほどの熱の壁となる。そして、それは宇宙空間から地球大気に突入する宇宙機は、1000度どころではない熱にさらされる。

 この熱の壁を抜けるために、宇宙機は再突入時に減速を行うのである。

 熱圏から中間圏に入り、そこを抜ければ成層圏だ。しかし、最初の侵入角度が深すぎたため降下速度が速くなり、高度は一気に落ちていた。これは、機体の安定を取り戻すため、減速すべきところで加速してしまったことにある。この速度で熱圏を通過して機体が保ったのは幸運としか言えない。

 高度127キロメートル。

 熱圏との境界である中間圏界面に達するまで、あと30キロメートルあまり。このままでは熱の壁から抜けられない。CBM705は、おおとりの機体形状と自機は本来持っていない航空力学を他の記憶装置から引き出して計算する。推進器を使わずとも可能な飛行時間。着陸時に必要な推進剤の分量。それらの条件と気象条件を掛け合わせる。

 きわどい結果が出た。

 CBM705は、大気圏内の飛行は滑空を主として、着陸時に行う姿勢制御と減速用の推進剤を温存することにした。失速する危険はあるが、減速推進終了時の高度は十分にある。

 おおとりは滑走路を多少オーバーランしても着陸できるよう作られていたので、問題は基地まで辿り着けるかどうかにあった。失速しないとは断定できない。しかし、一度基地へ侵入するコースに入った場合、陸地に接近することになる。基地の近くならば、墜落しても被害は最小限に留められるが、それ以外の場所に墜落すればどうなるか。推測するまでもなかった。

 CBM705は決断した。

 下方の3、4、5番のイオンスラスターを全力噴射、同時に機体の姿勢を保つため、上方のスラスターも噴かす。さらに、異常増殖した自機の一部の粘菌を機体表面に放出し、イオンスラスターの排気熱に衝突させプラズマ流を発生させた。

 速度観測計であるピトー管が、正規速度まで減速したことを知らせた。センサーやレーダーが使えない状態では、このピトー管と有人飛行時の補助カメラによる機械の目が頼りだった。

 CBM705は、人間がマニュアル操縦するのに等しい状態で、おおとりをコントロールしていた。

 電離層E層を抜ける。

 おおとりはそのまま中間圏に突入、CBM705はおおとりの機首を上げ、迎え角を大きく取らせる。気流の渦を意図的に機体へ当て、空気抵抗を増加させさらに減速する。すさまじい振動にさらされたが、おおとりは耐え切った。

 大気を切り裂く衝撃波とプラズマ光が長い尾を引く。

 空が割れる。

 青が広がる。

 成層圏に到達した。人工衛星が飛ぶような高さから、航空機が飛ぶ高度までの降下。再突入に成功したのである。

 イオンスラスターは限界を超え、姿勢制御は動翼でのみ行うしかない。推進剤は着陸時に必要な分量を差し引くと、余裕は全くなかった。

 CBM705は、メインノズルをわずかに噴かし、可変翼を広げコースを修正する。おおとりが着陸すべき滑走路へと機首を向けた。

 人間なら喝采かっさいを上げるところだが、CBM705は黙々と作業を続ける。

 規定高度への降下と突風などに対する動翼制御。着陸進入から着陸後の最終減速。エンジンカットまでのプログラムを組む。自機の性能をはるかに超えた作業だったが、CBM705はやってのけた。プログラムを航行補助コンピュータを受け渡す。

 そして、CBM705は最後の仕事にかかった。


        ☆


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