フェイズ2 ミッション確認
管制室の推測は、的中していた。
おおとりが降下シークエンスに入る直前、レーダーの死角から飛来したデブリが機体の間近で炸裂した。それ自体は大したことはなかったのだが、この炸裂というのがまず異常だった。本来なら、衝突寸前のニアミスで済んだコースだったこともあるが、もとが人工衛星であれなんであれ、デブリが突然爆発することはない……はずだった。
おおとりの機首前方わずか13メートルで炸裂したデブリは、強烈な電磁パルスを放出した。この時、おおとりは地上管制と交信中であり、通信用アンテナはもとより機体各所に巡らされたフェイズド・アレイ・レーダー、機首に収められたパルスドップラー・レーダーは、この電磁衝撃を存分に吸収してしまった。
人間で言うなら、視聴覚を始めとした感覚器官へ一度に滅茶苦茶な刺激を与えられたようなものだ。おおとりの場合なら、さらに磁気、振動波、放射線なども明瞭に感知する。人間の感覚より敏感な電子機器の解析機能へと、あらゆる刺激が一度に与えられたわけだ。
地上との交信途絶までにタイムラグが生じたのは、電磁衝撃があまりに強烈だったため、内部に一度蓄積されたそれが暴力的なエネルギーに化けたからだった。
メインコンピュータは、ダメージを受けたと判定した瞬間に機体コントロールを隔離、各回路を接続する光ファイバーの結節点を一時的に解除したが、それが限界だった。
防御が間に合ったのは、文字どおり機械的な部分のみで、電子制御系はほぼ死んでいた。光ファイバーの高速性が、裏目に出てしまったのだった。
電子回路の集積であるメインコンピュータ及び付随するサブコンピュータは、純粋な記憶装置であるバックアップ・メモリを残して全滅していた。
生き残っているコンピュータは二つあったが、その二つではどうしようもなかった。
もちろん、コンピュータは抗議などしないし、抵抗したりもしない。コンピュータは、そうした意思というものを持たない。
しかし、意志という点からすれば、ある種の人間と相通ずるものがある。
コンピュータは、諦めるということをしない。
非常灯と各種航法指示器、耐熱キャノピーの向こうに見える地球の光。ほとんどが機能停止を示す赤い光で埋め尽くされた中、うっすらと緑色の光を放つ機器があった。
おおとりに搭載されたコンピュータの生き残りは二つだけだったが、言い換えれば二つだけは生き残ったということでもある。
一つは、メインコンピュータかそれに準ずる電子頭脳からの命令を実行する航行補助コンピュータ。もう一つは、実験的に積まれていた特に役割を割り振られていない補助コンピュータだった。
コクピット内で唯一別の光を放っていたのは、CBM705という名の後者だった。
CBM705は、推論式
粘菌コンピュータとは、粘菌が光や餌となるものに反応し、様々な形に変形する活動性質を利用したコンピュータのことを指す。餌と認識させるものを与えれば入力となり、餌までの最適距離に形を組み替える活動が出力となる。
推論式というのは、目の前で発生している事態に対して推測を行い、最も可能性が高いものをはじき出す方式だ。別々に研究されていたものを掛け合わせて作られたのが、CBM705だった。
見た目はコンピュータチップと変わらない素子の中身を顕微鏡で拡大投影すれば、菌類が絶えず活動しているのが見える。
CBM705は、注目も称賛もされたが、現場ではみそかっすだった。
宇宙では確実に動作するものが求められる。補助コンピュータという位置付けは、この新たな電子頭脳が極限環境下でどれだけの力を発揮できるかを量るためだった。
役割は期待されていないにもかかわらず、成果は期待されている。
なんとも矛盾した存在なのだった。
そんなCBM705の役どころは、機器の全般監視である。このため、最初からメインコンピュータなどとは、結節点が遠くに置かれている。これによって、大電流の洗礼こそ受けたが電磁波の直撃は免れていた。
だが、設計の想定を超える電力を注ぎ込まれたことで、素子の中の菌類が異常増殖を起こしていた。扱いはみそかっすでも、他と同じくCBM705にも非常手段として、外部のバックアップを自己判断で受けられるように設置されている。
外部との結線である光ファイバーは、非常用のターミネーターを噛まされていたが、現在のおおとりにはCBM705以外に判断を行うものが存在しない。非常措置として再接続させ増殖した電荷を伴った菌糸類を外へ出すことは、つまり機体全体の電子機器へ流れ込むことは、ごく自然に行われた。
なぜなら、流れ込む先の素子の過半は焼き切れており、軌道上での航行記録と観測記録を収めた記録装置くらいしかマトモに機能しているものはなかったからだ。この二つは最初から隔離されていたし、航行にはなんの役にも立たない。
CBM705は、異常事態発生から289秒でおおとりと一体化した。
行動を開始するには、258秒の時間が必要だった。同機が置かれた状況からすれば、ロスタイムと言える時間である。
あらゆる状況想定の中に、CBM705が全体をコントールするという想定は入っておらず、全体を把握するまで素子に使用された粘菌が繁殖するという状況も想定外だった。当然、CBM705自体にとっても。
この規模の菌糸ネットワークは、人間の脳に相当するほどになる。人間が物を考える際は、脳の神経網であるシナプスを形成するニューロンに電気信号が流れる。そして、おおとりに形成された菌糸ネットワークは、全体に広がった際に生き残っていたわずかなバックアップから電子情報を受け取っている。入力と出力が絶えず行われ、ネットワークはその度に最適の形に変異する。
人間の脳が再現されているようなものだった。
CBM705の行動が遅れたのは、人間にたとえるなら、戸惑っていた、からだった。実験室内でも自機がこれほどまで拡張されたことはない。それに、どの電子頭脳も機能停止している。地上からの指示もない。
おおとりがごく一部を除いて、光ファイバーによる機体制御を行うフライバイ・ライトと呼ばれるシステムを導入していたことも、これに一役買っていた。
フライバイ・ライト・システムは、もう一つの生き残りである航行補助コンピュータに接続されている。これは電子頭脳というより純然たる操作伝達機械に近く、自動航法装置とも切り離されている。代わりに、これを介してならば、電圧・油圧系統に至るまで操作も可能だった。早い話が手動操縦装置である。本来、おおとりは有人機なのだから。
だが、操縦桿を握る手はない。
結果として、全てCBM705が行わなければならなかった。
そのため、CBM705は自機の暴走を抑制する信号を流した後、優先順位の確認という基本に立ち戻った。
◆行動優先順位
1 乗員の保護(現在は無人のため省略)
2 1を前提とした上での機体の保全
3 上位のコンピュータの命令実行
4 自己保全(3がない場合、自己判断)
5 上位コンピュータの保護(破壊されているため不可能)
◆ミッション確認
1 おおとりに搭載されたあらゆる電子機器の全般監視(完了)
2 1と並行して上位コンピュータの支援(不可能)
3 自機動作状況の確認(実行中)
4 帰還(待機)
CBM705を戸惑わせた原因は、四つ目のミッションだった。
ここでの帰還とは、当然おおとりが再突入し着陸するということである。他のコンピュータは、航行制御や観測をつかさどっていたため、帰還について具体的な指示が与えられていたが、CBM705にはそれがない。
結果、帰還する方法を単体で考えなければならないのだった。
おおとりには、自機の他に判断する物はもう存在しない。CBM705は128通りの可能性から最適解を選び出し、それまで待機状態にあった『帰還』ミッションを実行に移した。
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